114 / 116

第114話 【ご褒美飯】たまにはラーメンでも食おう※

「はー。疲れた」  無事、今日の撮影を終えた桜が控え室のパイプ椅子にぐでっと座り込む。さっきまで白いふわふわのホワイトブラウスと、白いスラックスの衣装に身を包んでいた桜だったが、衣装を汚すことに不安があったようで撮影直後、すぐに私服に着替えていた。  桜の私服のほとんどは、ひいらぎ荘から持ってきたものらしい。3年以上愛用しているものもあるのだとか。でも、ところどころ色褪せたり、生地がペラペラなものもあったので新しい服を買い与えようと幾度となく提案してきたのだが……。  その度に桜は真剣な表情で訴えてくるのだ。 『俺、服は今の持ってるので十分だから。変にたくさん買い始めたらハマって浪費が止まらなくなりそうだし』  そう言って苦笑した時の桜のあの、少し憂いのある表情が目に焼き付いている。  売り専になる前の話は、あまり桜から聞いたことがない。けれどなんとなく想像はできる。弟の瞬が教会で暮らしていることもぽつりと告げられたことがある。深くは踏み込まなかったが、弟想いなのは痛いくらい伝わってきた。売り専で働いていた目的も弟の大学進学費用の為だったと聞いているし。  けれど、モデルとして仕事が増えれば桜が自分で納得して自分の可能な範囲で新しい服を買ったり、大好きなスキンケアやコスメを買えるだろう。それを見越してモデルデビューを勧めたのもある。 「桜。腹、減ってるか?」  疲れた表情。頬のチークが少し掠れている。ファンデーションも目尻に少しシワが寄っていた。 「うん。お腹ぺこぺこ。今日のためにダイエットしてたし……」 「そうか。そうしたら今夜はご褒美飯に行かないか?」  さっきまで項垂れていた桜が、ぱっと顔を上げて俺のことをきらきらした目で見つめてくる。  この目には弱いな、俺は。  子どもがおもちゃを強請る時のように、期待に満ちた瞳。 「えっ! 行きたい! どんな店? 何系?」  控え室で帰り支度を手伝いながら、俺はそっと呟く。 「俺の若い頃からの行きつけのラーメン屋だ」 「ラーメン……! 最っ高。さすが睦月さんだね。俺の好みをよくわかってる」  るんるん気分で帰り支度を進める桜に、そっと近寄る。腰を引き寄せて軽く抱擁してみた。少し、どんな反応をするだろうかと悪戯心で。 「っ!」  桜が息を潜めたのがわかる。抱きしめると桜の体温が服越しに伝わってくる。薄いアイボリーの半袖のポロシャツを着ているから、その触り心地が良かった。 「睦月さ、ん……?」  慌ててるな、これは。  桜の戸惑う様子も可愛らしくて、さらにいじめたくなる。好きな子にはいじめてしまうタイプなのだ、俺は。 「疲れただろう。だから、俺の元気を分けてやっている」 「……ありがとう」  はにかんで上手く喋れてない。そんなところもかわいくて。かわいくて。俺は思わず俯いた桜の顎を持ち上げ口付けを落とした。 「んっ……」  軽いリップ音が静かな控え室に響く。一応、控え室の外には撮影スタッフがいるから、控えめに、バレないように。  そう思っていたのに、桜が俺の腕をぷるぷると震える手で掴んで告げてきたのだ。 「やばい……これ以上されたら勃つから、無理」 「……っ」  本人は無自覚なんだろうが、潤んだ瞳と半開きで唾液の伝うてらてらとした桃色の唇。かじりつきたくなるのを必死に耐える。  確かに、ここで無理をさせるのはよくないな。外には人もいるし。  俺は「すまないな」と桜の頬を優しく撫でてから少し落ち着くまで椅子に座らせた。荒く息を吐く桜に、少しやりすぎたかと反省していると、ちょうど先程のカメラマンがノックをして控え室に入ってきた。 「お疲れ様でーす! あれ、桜くん顔が紅いけど大丈夫?」 「あっ、大丈夫です」  俺はしまった、と自分の失態を後悔した。こんな惚けた桜の顔を誰にも見せたくなかったのに。  桜は急いでマスクを付けて顔を隠した。目がまだ潤んでいるが先程よりはまだマシだ。 「初めての撮影だったからね、疲れたでしょ。これ、次回の撮影のイメージビジュアルのパンフレット。後でメールでも送るけど、先に用意できたから渡しておくよ。それと、真柴」 「佐藤。どうした?」  話の矢尻が桜から俺に向いたのに気づき、ベテランカメラマンの佐藤に向き直る。もうかなり長い付き合いだからか、年上の佐藤にもタメ口で良いと言われている。堅苦しいのが嫌いな奴なのだ。 「今日、撮影を見学していた女性がいただろう? 黒いメガネをかけた、ボブの女性。あの人、アパレル雑誌の編集長さんなんだよ。あの人から、撮影終わりに声かけられてさ、ぜひうちの雑誌で表紙デビューをして欲しいってさ」 「それはすごいな。桜、雑誌の表紙デビューだ」  喜びを堪えきれずに桜に振り向けば、目尻を落として喜びを噛み締めているのが見えた。 「ありがとう。佐藤」 「いやいや俺はそんなただのカメラマン。桜くんはすごいモデルさんになるぞ。俺が保証する!」 「はい。ありがとうございます!」  その後、アパレル雑誌の女性編集長を紹介してもらい、その日は終了となった。 「すごいレトロな店だな」  タクシーに乗って神田の近くにあるラーメン屋にやってきた。桜は店の外観に興味津々の様子だ。 「50年近く続いてる店だそうだ。ほら、入るぞ」 「うん」  引き戸を引いて店の中へ入る。木製の床板は店内の油を吸って少し滑りやすい。よちよち気をつけながら後ろをついてくる桜に内心微笑みながら、食券機に向かう。 「おすすめは?」  桜は食券機に記載されているラーメンと、俺の顔を交互に見つめてくる。 「王道なのは豚骨醤油ラーメンだな。チャーシューが3枚、海苔が2枚、メンマともやし、ほうれん草がついててかなりボリューミーだ」 「うまそう! 俺、それにする」 「俺もそれにしよう。並でいいか?」 「うん。並にする」  食券機にお札を入れ、おつりを拾いながら2枚のラーメン券を取る。カウンター席の前に座ると、大将がにこやかな笑顔で出迎えてくれた。 「おう。真柴先生。久しぶりだなあ」 「お世話になってます。志倉さん」 「おお。そっちは見ねえ顔だな。真柴先生に見劣らないべっぴんさんだあ」  大将の冗談を桜も喜んでいる様子だ。 「いつものやつ、並2つ」 「おうよっ」  食券を大将に渡し、お冷をセルフで用意する。割り箸を桜にも渡した。  カウンター席に座ってからというもの、桜の挙動が少しおかしい。ちらちらと目の前で湯気を立てている厨房内を見渡しては、隣の客が勢いよく麺を啜る音に興味津々といった様子だ。 「どうした? 腹が空きすぎて落ち着かないか?」  少しのからかいと、労りの気持ちを込めて言ったつもりだったが桜はしんみりとした面持ちで呟く。 「いや、そういうんじゃなくてさ……。睦月さんとこうして一緒に飯食えるのって改めて幸せだなあとか、ちょっと照れくさいっていうか」  おい、なんだそのかわいい理由は。  俺は2人きりだったら、今この瞬間桜を抱き寄せていたと思う。手触りのいいすべすべとした白い肌を撫でて、つやつやでさらさらの髪の毛を梳いてしまう。そのくらい、桜に夢中だった。決して、桜には気づかれないように表情には出さないが。 「はい、お待ちどうさま」 「わあ……美味そう!」  その直後、大将がラーメンを2つ俺たちの前に置いたから甘い雰囲気が壊れた。内心少し膨れつつ、良い時間を邪魔されたように感じて軽く額を手で押さえた。だが、せっかく大将が作ってくれた熱々のラーメンだ。熱いうちに食べたい。 「いただきます!」  桜が割り箸を右手に、れんげは左手に。麺を箸で掴むと、ふうふうと息をかけて冷ましている。子どもみたいに無邪気な振る舞いをする桜を見つめていると、自分も童心に帰りそうになる。  1口、大きな口でかぶりつき、麺を啜る桜を見て俺も食欲がわいてきて、桜と同じようにラーメンを啜る。 「んま!」 「……!」  2人して顔を見合せ、ラーメンの美味さを共有する。目を見るだけで、以心伝心ができる。そんな相手は今まで生きてきた中で桜だけだった。  その後もラーメンを啜り、汁も全部飲み干してから店を出た。  去り際に一言。 「大将! めっちゃ美味かったです」 「ご馳走様でした」  桜、俺の順で大将に声をかければにこっと笑って頷いてくれた。

ともだちにシェアしよう!