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第3話

 服を洗い、干してからしばらく。  触れば少し湿っているくらいになって、エルは完全に乾くのを待つことなく、それを着た。  村の方の騒ぎが気になったからだ。  何かあった時に服を着ていないとなると恥ずかしいので、多少湿っているのは気にしていられなかった。  そんなエルの考えは的中した。  滅多なことが無ければ食事を運ぶ以外には誰も来ないここに、男が走ってやってきた。  エルはギョッとして逃げ出そうとしたが、しかし呆気なく捕まり地面に体を押し付けられる。 「逃げんじゃねえ! ついてくるんだ!」 「っ、ひ、」  言葉の意味は曖昧でも、その声の圧と動きで、何をされようとしているのかは理解できた。  引きずられていく間、エルは何も言わなかった。  叫びも、泣き声も出なかった。痛みさえ、どこか遠くの出来事のように思えた。  外の光が眩しい。  音が、視線が、すべてが刺さるようだった。  村の中心、兵士たちの前まで引きずられていく間──まるで運ばれる荷物のようだった。  エルはまた、体を強張らせた。  見たことのない数の人間と、獣人たち。  その中央、異質なまでの威圧感を放つ男が一人、まっすぐにこちらを見ていた。  銀灰色の髪に、琥珀の瞳が、エルを射抜く。  その視線が、自分の内側まで見透かしてくるようで、エルは、自然と視線を逸らした。  ──怖い。  エルは膝を抱えるように体を縮め、震えている。  見たことのない獣人たち、剣と鎧がぶつかる硬い金属音、ざわめく声、熱のような視線。  すべてが痛い。息の仕方も忘れてしまいそうだった。  服の裾をぎゅっと掴む。濡れた布が指に冷たかった。  自分が何をされるのかも、誰が何を言っているのかも、はっきりとはわからない。  ただ、ひときわ鋭い視線が、自分のことを、上から下までじっと見つめていることだけは感じ取れた。  その人が誰なのかはわからない。  けれど、怖かった。まるで、どこにも逃げられない場所に立たされているようで。 「この者が、忌み子か」  ──忌み子。  また、その言葉。  その意味は知らないけれど、それが『悪いもの』であることだけは知っていた。  身体が勝手に震える。  声を出したいのに、喉が張り付いて、一文字も出せない。  そんなエルに向かって、その獣人が、ゆっくりと歩み寄ってきた。  エルは咄嗟に身をすくめる。逃げられないとわかっていても、体が勝手に縮こまった。  ──そして、次の瞬間だった。  ふいに視界が揺れる。  重力が反転したような感覚のあと、自分の体がふわりと持ち上げられていた。 「……っ」  驚きに、息が詰まる。  小さな悲鳴のような音が喉から漏れた。  男──アザールは、なんの苦もなくエルを抱き上げていた。  その腕の中は、意外なほど温かく、硬く、しっかりとしている。  何が起こったのかわからず、エルはきょとんとした目でその顔を見上げた。  それでもまだ怯えは残っていて、掴まれた服の裾を離すことができない。  琥珀の瞳が、ゆっくりと細められる。  その瞳に、怒りも嫌悪もなかった。ただ、なにかを見定めるような、深く静かな光だけがあって。 「連れて行く」  低く、はっきりとした声。  けれどその言葉の意味までは、エルにはまだ理解できなかった。  

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