4 / 100
第4話
エルの体は、まるで何かの荷物のように、アザールの腕の中で軽々と持ち上げられていた。
ただ、持ち上げられただけなのに、全身がこわばって動けない。服の裾を握る手に力が入りすぎて、指先がじんと痛む。
怖い。けれど、それだけではなくて、そこには確かにあたたかさもあった。
彼が何をするのか、どこへ連れて行こうとしているのか、エルにはわからない。
わからないのに、村の方からざわめきが広がっていくのだけは、耳に届いた。
「え、あいつを、連れてくのか」
「まさか、王都へ……?」
「馬鹿な、あんな忌み子を……!」
エルはぎゅっと目を閉じる。
忌み子。忌み子。誰かが言うたびに、その音が心に張り付いて離れない。
まるで、自分の名前みたいだった。
「将軍、それは……」
低く、少し警戒を含んだ声。近くで聞こえたそれに、エルはそっとまぶたを開けた。
横顔が見える。灰色の髪を揺らす獣人──副将のカイランだ。
アザールは立ち止まることなく歩きながら、短く告げる。
「連れて行くと決めた」
「……わかった」
どこに行って、何をさせられるのだろう。
エルはそう思ったのだけれど、その問いを口にすることもできず、エルはただアザールの腕の中で、小さく震え続けていた。
そのまま村の外れまで連れて行かれると、アザールは足を止める。
そこには大きな荷馬車があった。
食料や水、道具を積んでおり、布に覆われた木の荷台は、ごつごつしていて、あまり綺麗とは言えない。
けれど──エルが乗るには、そこしかなくて。
「ここに乗せる」
アザールがそう言い、次の瞬間には腕が緩められて、エルの体がそっと荷馬車の上に下ろされた。
硬い板の感触が背中に伝わる。乾いた干し草の上に、ただ置かれた。
それでも、投げ出されなかったことが、不思議なくらいだ。
震えた手で荷台の端を掴みながら、エルはそっと目を伏せた。
逃げることはしない。だってきっと、逃げたって捕まえられる。
馬に乗る二人の男の姿が、すぐそばにあった。
将軍アザールと、副将カイランだ。
その二人が、すぐ脇にいた。
荷馬車の横で、話すわけでもなく、ただ静かにこちらを見ていた。
目をそらしても、気配は消えない。
まるで──監視されているみたいだった。
エルはまた、体を小さく縮める。
それ以上の場所がないほど小さくなって、目立たないように、消えてしまえるように。
けれど、何かあるたびにすぐ目が合いそうな距離に、彼らはいた。
なにか、してしまったのだろうか。
心の中に不安が広がる。
エルはそっと膝を抱えた。
硬い板が、どこまでも冷たい。
荷馬車がゆっくりと動き出す。軋む音とともに、体がわずかに揺れた。
馬の蹄が土を叩く音。風に揺れる草のざわめき。乾いた空気が、ほんの少しだけ布の隙間から差し込んでくる。
エルは荷台の隅で身を縮めながら、その気配に耳を澄ませていた。何かが起こるのではないかと、緊張で肩がずっと強張っている。
と、不意に──何かがふわりと、目の前に落ちてきた。
干し草の上に落ちたそれは、厚手の布だった。使い古されてはいるが、しっかりとした織りで、軍の支給品だろうか。
エルはおそるおそる顔を上げる。
荷馬車の脇。馬にまたがったまま、アザールがこちらを見ていた。視線は合わない。ただ一瞬、目元がわずかに細まったような気がした。
──これを、くれた?
「寒いなら言え」
アザールの声だった。すぐ隣、馬に乗って並走する気配が、驚くほど近い。
エルは反射的に肩をすくめてしまう。返事はできなかった。ただ、唇をきゅっと結んで、声が漏れないように耐えた。
けれどその布の重さと温もりが、ほんの少しだけ、自分の存在を肯定されたような気がして──
エルは、小さく息を吸い込んだ。
「……通じてるのかも怪しいのに。甘いな、将軍」
カイランの声が続く。皮肉げな響き。でも、どこか呆れのようにも聞こえた。
それに対し、アザールは何も言わなかった。ただ、淡々と歩みを進めていく。
エルはそっと布に顔を埋めた。
その匂いも、肌触りも、自分の知るものとはまるで違っていたけれど──なぜか、とても安心できた。
ともだちにシェアしよう!

