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第15話
アザールはとても優しい人なのだと、エルは理解していた。
彼は仕事があって、四六時中一緒にいられる訳では無い。
偉い人のようで、皆からは『アザールさま』や『かっか』と呼ばれていて、彼に向かって深くお辞儀をする人がほとんどだ。
エルは外が好きだった。と、いうよりも、外しか世界を知らないので、落ち着くという方が正しい。
村のはずれ、静かなそこで長い間暮らしていたので、逆に部屋の中だと落ち着かないこともある。
しかし、彼に外が本かと問われた時、外と答えるのに少し躊躇ったのは、外に出て、そのままアザールの居る部屋に帰れなくなったらどうしようと、不安に感じていたからだ。
でも、そんなことはなかった。一緒に走って、その後は冷えた体をアザールがふわふわの布で体を温めてくれた。──それだけで、不安なんてどこかへ消えていく。
その後、彼は「おしごと」と言葉を残し、エルを部屋に一人にしてどこかに行ってしまった。
何もすることがなくて、いつも勉強に使う本を眺めたり、ちゃんと会話ができるように言葉の練習をする。
しかし、一人ではその発音が正しいのかも分からず、エルはウジウジとしていたのだけれど、意を決して部屋の扉を開け、外に立っていた二人の馬の獣人に、震える声でそれでも思い切って──『こんにちは』と、声をかけた。
「は? え、おい。出てきたぞ」
「嘘だろ。閣下は部屋にこもっているはずだと仰っていたが」
「なんだ。何かあるのか。侍従長を呼ぶか」
「いや、でも、わけも分からずに呼ぶ訳にもいかんだろう」
二人は早いスピードでテンポよく会話をしていて、しかしエルにはその内容が理解できなかった。
もう一度、「こんにちは」と言うと、二人はエルの目線と高さが合うように膝を折る。
「こ、こんにちは……?」
「何かありましたか」
茶色の髪をした騎士のリチャードと、黒髪のレイヴン。
二人はタジタジになりながら、エルに返事をする。
「これ、本と、言葉……あ……違う、ない?」
「……。おい、リチャード、わかったか?」
「わからない……。よし、もう一度お願いします」
エルはぐぬぬと眉間に皺を寄せ、本の絵を見せた。
「とけい」
「あ、はい。時計」
「……じ、じかん……?」
「はい。時間ですね」
「ぉ……ん? あさ、ひる、よる?」
「そうです。お上手ですね」
発音の仕方は、合っているらしい。
嬉しくなって、エルはそのまま本に載っている絵を指さして、続けていたのだが、知らないものが出てきたので、チラッと二人を見上げた。
「ん? 分からない?」
「? これ、なあに」
「これはライオン」
「ら、らい、おん?」
「そうそう。ライオン。俺たちの王様さ」
エルは首を傾げた。
ライオン、おうさま。おうさまとは、なんだろう。
「おうさま、何?」
「一番偉い人のことさ」
「えらい……アザール……?」
「アザール様も偉いけど、それよりも偉い人で……」
エルはアザールよりも偉いと聞き、やっぱりよく分からなくて、首を傾げたままにっと口角を上げた。
「わかんないよな。うん。今はそれでいいよ」
「いい? わからない、いい?」
「うん。なあリチャード」
「ああ、レイヴン」
リチャードは頷いて、無意識にエルの頭を撫でる。
しかしその頭が思っていたよりも小さくてギョッとし、思わずレイヴンの腕を掴んだ。
「お、おいおい。人間てのはこんなにも小さいのか。力加減を間違ったらグシャッと潰しちまいそうだ……!」
「アザール様は大変だろうなあ」
二人が話しているのを、エルはジッと聞いていた。
そして、リチャードを指さす。
「りちゃー、ど?」
「! そうです。リチャードです」
「れ、れい、ぶん……?」
「惜しい。レイヴンです。難しいよな」
今度はレイヴンを指さして発音してみたが、しかし少し違ったらしい。
二人はそれから紙に自分の名前を書くと、エルに発音を教えた。
エルはそれがとても嬉しかった。
そのうち、アザールが居ない時は、気がつけば二人と勉強をすることになっていた。
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