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第16話

 エルの言語能力はグングンと伸びていった。  気になったことはアザールに聞いていたし、彼が居ない時にはリチャードやレイヴンに教えてもらっていた。  時々他の従者にも尋ねることもあったが、彼らは忙しいようで、結局その三人と一緒に勉強を続けた。   「アザール!」 「ああ、エル」  アザールがしっかりと食事と睡眠の世話をしていたこともあり、この屋敷に来た頃よりも体に肉がつき、身長も僅かに伸びた。  そんなエルは、白いシャツに身を包み、パタパタと走って仕事から帰ってきたアザールに勢いよく飛びついた。  不意を突かれて驚いたアザールだったが、すぐにその小さな体をしっかりと受け止める。 「おかえりなさい!」 「ただいま」 「今日は、リチャードと、走る練習をしたよ!」 「そうか。リチャードは速いだろう」 「速い! でも、アザールの方が、速い!」 「ふふ、そうか」  頭を撫でられたエルは、アザールの腕に抱かれたまま建物内に入り、彼の自室に連れられてふんわりした椅子におろされる。 「エル」 「うん。なあに?」  アザールは隣に座り、エルの頭を撫でた。  少しづつ話せるようになって、今や簡単な会話もできる。 「困っていることは無いか?」 「困る……? ない、と、思う」  エルはそう言ったが、少し悩んでいることはあった。  しかしあまり気にしていても意味が無いので、なるべく気にしないようにしている。 「そうか」 「うん」 「……本当だな?」 「本当」  微笑んでみせると、アザールは「わかった」と言って、しかしエルをじっと見つめた。 「最近、人間の反発が強くなってきている」 「反発……? 反対、意見? 嫌だってしてるってこと?」 「簡単に言うと、そうだ。獣人に支配されてたまるかと」 「獣人……アザール達のことだよね……?」 「ああ」  エルは、少しだけ考えるように目を細めた。  村にいた頃、人間たちは獣人のことを怖がっていたと思い出す。  エル自身も初めこそ怖かったが、しかしアザールは初めから優しかったし、今やリチャードもレイヴンも怖くない。 「なんで、反発……するの?」 「……それは、恐れているからだよ」 「こわい、の?」 「昔、獣人と人間は戦った。人間が負けてからは、我らがこの国を治めるようになった。だが……それを快く思わない者も、少なくない」  アザールはふっと視線を落とす。  エルには難しい話だったが、アザールの声が少し寂しそうに聞こえたことだけは分かった。 「アザールは……かなしい?」 「……ああ、少しな」 「僕は、アザール、こわくないよ」 「ふふ、ありがとう」  アザールの表情がやわらいだのを見て、エルもほっとしたように笑う。  けれどその笑みの奥には、小さな胸のざわつきが残っていた。  人間と獣人。  自分は人間で、アザールは、獣人。  でも、一緒にいちゃいけないなんて、そんなことはないはず。  しかし──エルの中で、言葉にできない不安が、そっと芽を出す。 「アザール」 「?」 「さっき、僕、嘘つき、した」 「嘘? 何のことだ」  最近少し、悩んでいること。  言わないつもりだったけれど、アザールの話を聞いて、打ち明けることにした。 「いつも、ご飯とか、いろいろ、お世話をしてくれる人達」 「従者のことか?」 「……ヒソヒソ、してる。人間のくせにって、言ってた。僕のこと、多分、みんな嫌で……。だけど、村の人達より優しい。だから、気にしない」 「……誰がそう言った。そのようなこと、誰が……」 「あ、お、怒らないで。気にしない」  エルは慌てて手を振って首を振る。  その姿がかえって、アザールの胸の奥を締めつけた。 「そんなふうに言われて……辛くなかったのか?」 「大丈夫。アザールも、リチャードも、レイヴンも優しい。それに……戦っていたこと、知らなかった。だから、大丈夫」  アザールは息を詰め、エルの顔をじっと見つめる。  一生懸命に自分の想いを伝えようとするエルの姿が、あまりにも健気だった。 「エル……」 「僕、怖くない。辛くない。だから、アザールと一緒が、いい」  エルはへらりと笑った。  アザールはもう、こらえきれず、そっと手を伸ばして、その小さな体を強く、優しく抱きしめる。 「……誰がなんと言おうと、エルは俺の大切なものだ」 「……た、大切?」 「ああ。人間でも獣人でも関係ない。俺は、エルを守る。それだけだ」  エルはしがみつくように、アザールの胸元に顔をうずめた。  力強く響く鼓動に、ぽかぽかと温かい気持ちが広がっていく。 「ありがとう、アザール……」  その声は小さくて、でもちゃんと届いていた。  アザールは何も言わず、ただエルを抱いたまま、長い沈黙の中でその体温を感じ続けていた。

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