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第20話

 食事を終え、支度を整えたアザールが屋敷を出てから少し。  エルは与えられている部屋で、食事の時の会話を思い出していた。  一緒に湯浴みをしようという、彼からの誘い。  それ自体は、恥ずかしくはあるけれど、楽しそうだ。  いつも、湯浴み係の人にまるで物を洗うかのように洗われているエルだが、しかし洗ってもらうこと自体ここに来てから経験している事なので、それが普通だと思っている。  それがアザールと共に入るのなら、きっと楽しく会話をすることもできるのだろう。  だが、エルには不安があった。  この屋敷に来たその日、エルは乱暴に体を洗われた上に恐怖を感じていたので何も言わなかったが、──エルは背中に文様を抱えている。  何度もエルを洗っている湯浴み係はそれを知っているが、しかし話をしたいとも思わない上に、それほど人間に興味もないので、誰かに何かを告げることもなかった。  まあ、人間の孤児なので、内心は奴隷の証だろうと思っていたりもするのだが。  この文様のせいで、捨てられたことを、エルは理解していた。  村の皆が『忌み子』だといい、『背中』『文様』という言葉を口にしていた。  今でこそ言葉を理解したエルは、それが全ての元凶だとわかっている。  なので、それをアザールに見られるのが──少し、嫌なのだ。  窓の外を見やる。雪がちらちらと舞っていて、庭の木々にも白い花のように積もっていた。  寒いのはあまり好きじゃない。だからこそ、今、暖かい部屋の中にいられること。それはとても幸せなことだ。  それでも、胸の奥のもやもやは消えない。  アザールが、あの文様を見たら、嫌うだろうか。  彼が優しいのは知っている。けれど、もし、あの村の人たちと同じように、気味悪がられてしまったら──。  今のこの、あたたかくて大好きな毎日が壊れてしまう気がして、怖い。  「……どうしよう」  ベッドの上で膝を抱え、エルはぽつりと呟いた。  あの文様を、自分でも見たことはない。けれど、他人の反応から、それが普通ではないことだけは分かる。 「いいよって、言っちゃった……」  みんなでお風呂に入る、って聞いた時は、なんだか楽しそうで。気がつけば、『いいよ』と言ってしまっていた。  エルはむにっと下唇を突き出して、不安と、『今さらやめたい』なんて言えない後悔に、背中を丸めた。  コンコン、と扉がノックされる。  返事をすれば、開いた扉からレイヴンが顔をのぞき込ませた。 「レイヴン!」 「今、いいですか?」 「うん!」  エルは楽しく話ができる相手がやってきてくれたことが嬉しくて、ベッドから降りると彼に駆け寄った。 「……昨日の、お昼のことですが」 「お昼?」 「はい。昼食の時のこと。……アザール様にはお伝えしましたか?」 「……」  昨日の、昼食の時のこと。  エルは笑顔のまま、ほんの少しだけ顔を曇らせた。  アザールに少しだけ話した、あの従者のことを思い出したのだ。 「少しだけ。全部は、言ってないよ」 「……全部言いましょう」 「……でも、あの人、怒られたら困っちゃうもん」 「あの人は困るだけです。エル様は傷つけられたんです」 「んん……? わかんない」  エルは首を傾げた。  体のどこにも傷はない。  レイヴンは困ったように笑うと、床にそっと膝を着いてエルの手を取った。 「見えないところが、傷ついているかも」 「痛くないよ」 「……そうですか」 「レイヴン、僕は、大丈夫。元気だよ」    まだ、全てを理解できるようになったわけではない。  真剣な表情の彼に、エルは微笑むことしかできなかった。

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