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第28話

「あのね……番って、なあに?」  アザールはズルっと転けそうになった。  しかし、そうだ、彼はまだ言葉を知らない。  気を取り直して、エルでも分かるように説明をする。 「……生涯の伴侶のことだ」 「しょうがい、はんりょ……?」 「あー……愛してるから、ずっと一緒にいたい」 「あ、愛、してる……!?」  エルの頬がぱっと赤く染まり、目をまんまるに見開いた。  それは言葉の意味が分かっていないからではなくて、たぶん、ほんの少しだけ、その意味が分かったからだ。  アザールはそんな彼の反応が面白くて、思わず噴き出しそうになったが、必死にこらえた。驚かせたのは間違いなく自分だ。 「すまない。驚かせたな」 「あ、ううん、大丈夫、だけど……」  エルはもじもじと視線を落とし、指先で上着の裾をぎゅっとつまんだ。 「愛してるは……好きってこと……? でも、好きとは、違うの……?」  その問いに、アザールは静かに息を吐く。どう答えればよいか一瞬迷ったが、正直な言葉を選ぶことにした。 「……エルの全部が、愛おしいって思うことだ。どんな顔も、どんな声も、どんな弱さも。全部を、俺だけのものにしたいって思うこと」  それは、アザールにとっては当たり前になりつつある感情だ。  けれど、エルにとっては初めて触れる、真っ直ぐな想いだった。 「……全部、アザールの……?」 「ああ。……もちろん、エルが嫌じゃなければ、だがな」  そんな彼の言葉にきょとんとしたあと、エルは小さく何度か瞬きをする。そして、おそるおそる口を開いた。 「……じゃあ、アザールの番になったら、アザールは僕の……?」 「え?」  今度はアザールのほうがきょとんとする番だった。  エルは小さな手で、自分の胸をとん、と叩く。 「まだ、全部は、わかんない。でも……アザールのこと、大切って思う。……だから、アザールと番になったら、アザールは、僕のに、なるの?」  その純粋な言葉に、アザールの喉がつまった。  胸があたたかくなって、フッと笑みが漏れる。 「……エル」  アザールはそのまま、彼の頬に指を添えた。 「……そうだな。もしも、番になってくれるなら、俺はお前のものだ」 「わぁ……ずっと一緒だねぇ」  エルはとろとろとした目でアザールに寄りかかると、フワフワ欠伸をこぼす。  そうして、そのままコテンと眠ってしまった。 「……嘘だろ」  アザールはつい苦笑をこぼした。  まるで赤子のようにあっという間に眠りに落ちたエルをベッドに運び、穏やかに眠る頬に唇を落としたのだった。  ***  窓の外が、薄い光でじんわりと白んでいる。  炉の残り火がまだ赤くゆらめいて、ほんのりと部屋をあたためていた。  毛布の中、エルはゆっくりとまぶたを持ち上げる。  柔らかな布団のぬくもりと、すぐ隣に感じる大きな背。アザールは珍しく、まだ眠っているようだった。  ふと、昨夜のことを思い出す。湯上がりの甘いミルクと、あたたかな手。そっと触れてきた鼻先に、「俺の番になってくれないか」という言葉。  その意味を、全部はまだわからない。けれど「ずっと一緒だねぇ」と言った自分の声は、確かだった気がする。  なんだか恥ずかしくなったエルは、そっとベッドから抜け出し、静かに立ち上がる。冷たい空気が足元をなでるように走った。寝間着の裾をぎゅっと握りながら、戸を開けて廊下へ出る。  誰もいないと思った廊下の先に、人の気配があった。  若い獣人の男──ラビスリだ。彼はエルを一瞥し、吐き捨てるように呟いた。 「……人間のくせに、よくもまあ、獣人に媚び売れるもんだな」  思いがけず飛び込んできたその声に、エルの足が止まる。目を瞬かせ、ふと視線を落とす。  彼はわざとではなかったのかもしれない。独り言のように、誰にも聞かれないつもりで言ったのだろう。  けれど、はっきりと耳に入った。  心臓の奥が、ツキンと小さく締めつけられる。  媚び売れるとは、どういうことかは分からなかったけれど、きっといい言葉ではない。  何も言えず、エルはうつむいてその場を離れようとした。  ──そのとき。 「……今、何と言った?」  背後から聞こえたその声に、空気が凍った。  ラビスリは、肩をびくりと震わせて振り返る。そこに立っていたのは、アザールだった。  彼は寝起きのはずなのに、まるで戦場に立つ将軍のようだ。あたたかかった体温はすでにどこかへ消えて、氷のように冷えた眼差しだけが、ラビスリを射抜いている。 「い、いえ、別に、その……冗談です。軽口というか、あの……っ」  必死に言い訳を試みるラビスリの言葉を、アザールは一切拾わなかった。  一歩、彼が前に出た。廊下の板が、重たく軋んだ。 「俺の番に向かって、よくそんな口が利けたな」 「つ、がい……!?」  その声は低く、静かで、怒鳴り声などではなかった。  けれど、ラビスリの顔はみるみるうちに青ざめていく。

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