30 / 100
第30話
一度部屋に戻った二人だったが、エルは仁王立ちをしたアザールの前で、ちょこんと椅子に座らされていた。
どことなく、アザールからは怒ったような空気が醸し出されている。
「エル、勝手に黙って部屋を出てはいけない」
「あぅ……ごめんね……」
「俺と共に眠った日の朝は、必ず、俺に声をかけてから部屋を出ること」
「……はい」
「約束できるか?」
「うん。約束、するよ」
チラリと肩を竦めながらも、視線をアザールに向けたエルは、ヨシヨシと頭を撫でられたことでホッと息を吐いた。
「……それから、昨日は伝えていなかったことがある」
「……?」
コテンと首を傾げたエルに、アザールは少し躊躇いながら口を開けた。
「背中の、文様のことだ」
「!」
僅かに目を見開くエルに、しかし構うことなく言葉を続ける。
「エルのその文様は、確かに神からの祝福だ。俺はその筋に詳しい。……それは『子を成す器』の証だ」
「子を、成す?」
「……ああ。エルは男だが、妊娠できる体だ」
「にんしん……?」
「……子供を、産むことが出来る」
「えぇ……?」
エルは引きつるような笑みを浮かべながら、震える手をお腹に当てた。
「……無理だよ、そんなの。僕……男だよ……?」
声がかすれて、どこか怯えたように聞こえる。
「信じられないのも、無理はないが……しかし、そうなのだ。文献がある」
「……難しい言葉、ばっかりだねぇ」
「そうだな」
アザールは少し困ってしまって、しかしちゃんと伝えなければ! と心折れることなく続ける。
「そして、俺は獣王軍の将軍だ」
「うん? ……うん。将軍ね」
「ああ。だから、王様にはお前のその、文様のことを伝えなければならない」
「……どうして」
エルの表情が一気に曇った。
エルは王様を知らないし、将軍だから王様に文様のことを伝えなければならないという、その理屈が分からない。
また、村でそうされたように迫害されてしまうかもしれない。
何もしていないのに、石を投げられるのは嫌だ。
それに──アザールに出会って、人の温かさを知ったばかり。
これを手放したくはない。
「獣王軍は異質なものに関して調査をし、その結果を報告しなければならないという決まりなんだ。将軍として、隠しておく訳にはいかない」
「いしつ……?」
「……すまない。適当な言葉が見つからなくて……」
エルはつい、顔を顰めた。
異質というのは、あまり嬉しくない。
それに──
「……また、知らない誰かに、嫌われるの……?」
ぽつりとこぼしたその言葉に、アザールは眉をひそめる。
「……お前が泣くようなことは、俺が絶対にさせない。……王に伝えるのは、義務だ。だが──その先に何があろうと、俺はお前の傍にいる。手放したりはしない」
難しい言葉は、ほとんど頭を通り抜けていった。
けれど──アザールの目は、まっすぐに自分を見つめて。
それだけで、エルはなんとなく「うん」と頷いていた。
そっと抱きしめられ、鼻先同士が触れ合う。
擽ったくて思わず笑ってしまう。
瞬間、アザールの腕にすっぽりと抱き上げられた。
こうして包まれていると、さっきの不安なんて、どこか遠くに消えてしまいそうだ。
「……他にも、伝えないといけないことがあるんだが……まずは、食事をしようか」
「うん」
「その後、また少し話そう。それから俺は仕事に向かう」
「今日もお仕事なの?」
「ああ。すまないな」
「……ううん。頑張ってね」
そう返事をしたけれど、本当は少し寂しい。
アザールの太い首に腕を回して、落ちないようにしっかりとくっついた。
少し空気がひんやりとしている。それでも、彼のおかげで寒さは感じなかった。
ともだちにシェアしよう!

