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第37話
その日エルは一日中アザールと共に過ごした。
好きな人がそばに居るのは何よりも嬉しくて、何をするにもベッタリくっついていたが、アザールは嫌がることもない。
「さて、そろそろ湯浴みの時間だな」
夜の食事を終え、満たされたお腹に眠気が漂ってきた頃、アザールはそう言ってエルを抱き上げた。
「一緒に行こう」
「うん」
湯殿へと連れて行かれながら、エルはアザールの首に手を回して顔を寄せた。
「……アザール、明日、ほんとに行っちゃうの?」
「ああ。明日になれば、軍の者たちも揃う。どうしても、な」
「そっか……」
そう呟いたきり、エルはそれ以上は何も言わなかった。
しかしアザールの胸元をぎゅっと掴む手には、寂しいという気持ちが詰まっている。
湯殿に入ると、アザールはエルの服を脱がせて湯舟へと誘った。
一度一緒に湯浴みをしたことで恥ずかしさが無くなったのか、今日は自然に身を委ねてくる。
ふたり並んで湯船に浸かると、エルは対面に腰を下ろして、ちょこんと膝を抱えた姿勢でアザールを見つめた。
「ほんとに、すぐ戻ってくる……?」
「ああ。必ず」
「……うん……じゃあ、僕、ちゃんと待ってるね」
エルはぎゅっと膝を抱えたまま、まるで自分に言い聞かせるようにそう言った。
アザールは湯の中で少しだけ身体を寄せ、距離を詰めすぎないように配慮しながら、そっと目線を合わせる。
「ありがとう、エル」
「……ケガ、しないでね」
エルの言葉にふっと微笑んだ。
言葉を交わすたびに、胸が温かくなる。
けれどその分だけ、明日の別れが現実味を帯びてきて──。
胸の奥がじんと痛んだ。
誰かと離れることが、こんなにも苦しいなんて──将軍になって、初めて思い知らされる。
再び、ただそっと「ありがとう」と言って、漂う湯気の中に、静かな誓いを重ねた。
湯浴みを終えて寝室に行けば、エルはぴったりとアザールにくっついたまま動かなくなった。
眠ってしまったら朝になる。朝になれば、アザールは行ってしまう。
それがとてつもない程に寂しくて、今にも涙を零しそう。
──ずっと一人で生きてきた。
誰にも頼らず、誰にも甘えず。
そうするしかなかったから、そうしてきただけではあるが。
しかし、今はちがう。隣にいてくれる人がいる。あたたかくて、大きな手があって、「エル」と優しく呼んでくれる声がある。
それが、ほんの少しでも離れると思うと、胸が締めつけられるようで──。
「……アザール」
小さな声で呼ぶと、すぐに「ん?」と返事がくる。
それだけで少し安心するのに、言いたいことは喉に引っかかったまま、うまく出てこない。
「……行ってほしくないって、言ったら……怒る……?」
くぐもった声でそう言ったエルに、アザールはゆっくりと顔を向けた。
泣きそうな顔。無理に笑おうとしても、目元が赤くて、口元が震えている。
アザールは何も言わずに、そっとエルの頭に手を添える。
「怒るなんて、そんなことはしない。エルが何を言っても、俺は嬉しい」
その言葉に、エルはようやく目にいっぱい溜まった涙をこぼした。
声をあげることもなく、ただ静かに涙を流す姿を、アザールはそっと抱きしめる。ただ、そっと、寄り添うように。
「明日、行くときに、起こしてね」
「……ああ、必ず」
「ちゃんと、お見送りするの……」
小さく震えた声。
アザールはそれを受け止めて、優しく頷いた。
夜が更けていく。
それでもふたりは、しばらくの間、互いの鼓動を聞きながら、言葉を交わすことなく、深くなる夜の時間を過ごした。
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