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第40話
翌日、日が沈み、空は月と星が支配していた。
予定していたよりも少し早く、目的地の村の近くまでやってきた一行は、濃い靄が低く張りついた林間を静かに進んでいた。
雪解けの地面はまだ固く、馬の蹄が踏むたびパキッと微かに氷を砕く音がする。
先導していた斥候が戻り、アザールへひそやかに報告した。
「将軍、村の外柵が視認できました。木製の簡易柵ですが、見張り塔が二基。弓兵も少し。いずれも人間です」
アザールは頷き、カイランと眼を交わす。
兵士たちへは声を張ることなく指示を送った。
「武器は見せるな。盾を構えるのもまだ早い。『こちらに敵意は無い』ということを、まずは示す」
言われた兵士たちが、槍の石突きをそっと雪へ立てかけた。
やがて、獣王軍の一行は村の外れの小高い丘に差し掛かった。
そこから見下ろせば、雪に埋もれかけた木造の柵と、点在する民家の灯がわずかに確認できる。
見張り塔の上に、ひとりの人影が浮かぶ。
数秒こちらを見下ろしたあと、慌てて塔を降りていった。
「……村にも気づかれたな」
カイランが低く呟くと、アザールは一度深く息を吐き、馬から降りた。
「これ以上近づくな。俺が先に出る」
「将軍、一人でか?」
「ああ。こちらが牙を見せぬ限り、相手もすぐには弓を引かない……はずだ。兵はここで待機。しかし何かあればすぐに動けるようにしておけ」
「承知した」
そう言って、アザールは丘をおり、両手をゆっくりと見える高さまで上げた。
月明かりの下、その大きな体が白く浮かび上がるように進み出る。
雪が軋む音だけが響く中、アザールは柵の前に立った。
「──我らは王都よりの使者。獣王軍将、アザールが命を受けて参った。武器を交える気はない。村の代表者と、話がしたい」
静寂が続く。
風が一度、吹き抜けた後、柵の奥から数人の影が現れた。
その中の一人――灰色の外套を羽織った壮年の男が、ひときわ重い足取りで前に出る。
雪に沈むたび、木の杖がキィ、と悲鳴のような音を立てた。
「……村長の、オルヴァンと申す。獣の将が直々にお出ましとは……」
言葉の最後にわずかな皮肉が混じる。
だがアザールは眉一つ動かさず、静かに応じた。
「村の混乱が王都に届いている。武装の動きが本当なら、我々も見過ごせない」
「……我らは守るために備えたまで。獣の爪が二度とこの土地を裂かぬように」
その言葉には、警戒と、憎しみに似た感情が微かに滲んでいた。
アザールは短く頷き、口を開く。
「……俺も争いを好まぬ。まずは話をしよう。互いの言葉を交わさぬままに、剣を抜くのは愚かだと思わないか」
「……」
オルヴァンはアザールの目をじっと見た。
風がまたひと吹き、二人の間を通り抜ける。
やがて彼は、背後に控えていた若者に顎をしゃくった。
「……話だけなら、聞こう。村の集会所に通す。――ただし、兵は中に入れぬぞ」
「ああ」
アザールは頷き、ゆっくりと丘を見上げると、キラリと怪しく輝く獣の瞳を見付け、彼らにそっと首を振った。そこで待てという合図である。
月と星が見下ろす中、アザールは人間の村へと足を踏み入れた――。
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