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第41話
パチッ薪のはぜる音だけが短く響く、冷え切った集会所は、壁は薄く、隙間風が火を揺らしていた。
その中心に、アザールは一人で座していた。
獣王軍の将という立場でありながら、剣も帯びず、態度にも威圧はない。ただ、静かに、堂々とそこにいて、凛としている。
そんな彼を囲むように、人間たち──村の長オルヴァンと、数名の古老たちが腰を下ろしている。
誰もが険しい表情で、どこか刺々しい空気が場を満たしていた。
「……わざわざ、将が自らご足労とは、随分余裕なことで。人間など一人で事足りるってか」
口火を切ったのは、村の中でも言葉の荒さで知られる年配の男だった。
言葉の端々に棘があり、あからさまな敵意が滲んでいる。
「余裕? そんなものはない。俺はただ、話をしにきただけだ」
アザールは静かに返す。
それだけで、一瞬場の空気が変わった。だが、別の男がすぐに重ねる。
「話、だと? これまで我々が獣人にどれほど痛めつけられてきたか、知りもしないくせに!」
「知っているとは言わない。だからこそ聞きに来た」
「……綺麗ごとを並べるな」
吐き捨てるような声に対し、アザールは微動だにしない。むしろ、憎しみにも似た感情をぶつけられることを、受け止めているようだった。
「俺たちは、もうずっと恐れて暮らしてきたんだぞ! 外から毛皮の化け物が来やしないか、夜も眠れずにいる!」
「……だから武装しているのか」
アザールが言うと、男たちは一瞬だけ口を閉ざした。
「この村が動いていると、王の耳にも入った。俺はその真偽を確かめに来ただけだ。武器を手にしても、振るう理由がないのなら、それでいい」
「言葉で済む相手なら、そもそも備えなどいらねえんだよ!」
また別の男が叫ぶ。あまりの大きな声にアザールは耳をピクっと動かした。
「俺はただ、話がしたい。……お前達も言葉を持っているだろう。俺がただの獣であるなら、こうして話す前に既にその喉元に噛み付いている」
「っ!」
「それに、俺は人間と触れ合うことが好きだ。俺の妻は人間だから、他の獣人よりも人間のことを知っているつもりだ」
その言葉に、村人たちは「人間と?」「人間を妻に?」とザワザワし始める。
「だ、だが、紛れもなくお前は獣人だろう! ハッ、もしや、王都ではそんな戯れが流行りなのか? まさか……奴隷を、妻と呼んでいるわけではあるまいな?」
その一言に、アザールの空気が変わった。
焚き火の光に照らされたその瞳が、静かに鋭さを帯びる。
「──今の言葉を、撤回しろ」
低いが、確かな怒気がこもっていた。
誰もが息をのむ。先ほどまでの柔らかな口調とは明らかに違う、将としての厚がにじみ出ていた。
「奴隷になどしていない。彼は俺の隣にいる。大切な者として、共に歩いている」
静かな言葉ほど、重いものはない。
それが、この時のアザールの声音だった。
敵意を投げつけた男も、言い返すことができなかった。
重たい沈黙が集会所を包む。
「……人間と、共に……?」
ぽつりと呟いたのは村長のオルヴァンだった。
彼の目には、わずかな驚きと困惑があった。
「彼は俺にとっての家族だ。人間であることも、弱さも、すべてひっくるめて、守ると決めた」
誰もが、それ以上言葉を投げられなかった。
アザールの言葉が、あまりにも真っ直ぐで、嘘のかけらも感じられなかったからだ。
やがて、オルヴァンが口を開く。
「……今夜は、もう遅い。頭も固くなっておる。続きは、明日にしようではないか」
胸に着いた火を深く息を吐いて消していく。
「……構わない。話を聞いてくれたことに感謝する」
やがてアザールは深く頭を下げた。
その姿に、どこか居心地悪そうに視線を逸らす者すらいた。
◇
夜気は冷たく、焚き火の火だけが柔らかく揺れていた。
野営地に戻ったアザールを、カイランが肩をすくめて迎える。
「……随分と、長居だったな。揉めなかったか?」
「……少し、な」
「少し? まさか殴られたりしたんじゃないだろうな」
「そんなことは無い。ただ……人間と暮らしていると話して……。向こうの言った言葉がエルをバカにしているようで腹が立っただけだ」
カイランが呆れ混じりに息をつくと、アザールはふっと笑う。
「もう落ち着いている。大丈夫だ」
「……なんだ、まさか人間を奴隷にしているとでも言われたか」
「……何でわかった」
「そりゃあわかるさ。獣人と人間が共に過ごしていると聞いて、人間が想像するのなんて奴隷くらいだろう」
カイランの言葉に、少し悲しくなる。
人間と獣人は共存するべきであって、どちらかが奴隷になるなんてこと、あってはならない。
──だからこそ。
「……俺はエルを、誰よりも大切に思っている。それを踏みにじるような言葉を聞いて、黙ってはいられなかった」
「……そりゃそうだな」
焚き火を見つめるアザールの目に、どこか遠くを見るような光が宿っていた。
今、エルはどうしているだろうか。
自分の居ない邸で、深く穏やかに眠れているだろうか。
そんなアザールを横目に、カイラン小さく肩を揺らして笑う。
「……本当に惚れてるんだな」
「……ああ、手放せないほどにな」
早くエルのもとに帰りたい。
その為には一刻も早く目の前の仕事を片付けなければ。
明日の朝も早い。
どこまでも続く暗い空を眺め、深く息を吐いた。
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