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第42話
◇
朝の冷気が頬に触れる中、アザールは再び村へ向かった。
前日よりも少しだけ村の空気は和らいでおり、柵の前には見張りの若者が二人立っているだけだった。
集会所へ案内されるまでの間、村の広場をゆっくりと歩く。
──そのときだった。
「……わあ、でっかい!」
子どもの甲高い声が、背後から響いた。
振り返れば、まだ七、八歳ほどの小さな子どもが三人、家の陰から顔をのぞかせていた。
怯えた様子はなく、むしろ興味津々といった風で、アザールの尻尾を指さして何かを囁き合っている。
「近づいちゃダメよ……!」
遠くから慌てて母親が声を上げたが、止まらない。
そのうちのひとりが、とてとてと小走りでアザールに近づいてきた。
「ねぇ、おっきいおじさん、なにもの? おうまよりも背が高い!」
「……俺はアザールだ。将軍をしてる」
アザールが膝をついて目線を合わせると、子どもはぱちぱちと目を瞬かせた。
「しょーぐん? それなに?」
「……えらいやつだ」
「へぇ〜、えらいんだ!」
もう一人の子どもがぴょんと跳ねて駆け寄ってくると、アザールの手に興味津々で触れてきた。
アザールはしばし迷い――そして、ふとその子をひょいと抱き上げた。
空を飛ぶように高く持ち上げられた子どもは、きゃあっと嬉しそうに笑う。
「すごーい! たかい!」
アザールは「そうか」とだけ小さく笑って、肩に乗せた子どもが見ている風景を、そのまましばらく眺めさせてやった。
──この光景に、村の大人たちは言葉を失っていた。
とくに、駆け寄ろうとしていた母親は悲鳴をあげる寸前だったが、子どもがあまりに楽しげにアザールによじ登ったりしているのを見て、その足を止めてしまった。
「おっきい人、こわくないね!」
「うん、つよいけど、やさしい!」
子どもたちの声が、村の空気をすこしずつ溶かしていく。
やがて、再び現れた村長オルヴァンがその光景を目にして、ゆっくりと近づいてきた。
「……見た目に反して、意外に子ども好きとはな」
「恐れられてることには慣れているが、こういうのも悪くない」
アザールは、子どもを優しく地面に降ろしながら言う。
オルヴァンはしばし黙っていたが、やがて口を開いた。
「……アザール殿。昨日のこともあるが、村としても、戦を望んでいるわけではない」
「……そうか。それを聞けて安心した」
「だが、完全に信じろと言われても無理な話だ。我らが獣人を恐れるのは、記憶の中のものだけではない。肌で覚えてきた恐怖だ」
その言葉に、アザールは深く頷く。
「わかっている。それを無理に壊すつもりはない。ただ、少しずつでも変わればと願っている」
「……ならば、こちらから剣を抜くことはないと約束しよう。だが武装は解かぬ。我らが不安である限りはな」
「理解する」
「それと、様子を見に来るのは構わぬ。だが……それはアザール殿がいる時だけだ」
「ああ。それでも、ありがたい」
オルヴァンがふっと目を細めた。笑っていたわけではないが、その表情は昨日よりも、ずっと柔らかかった。
「お話、おわった? ねえしょーぐん! もう一回抱っこして!」
「もう一回か?」
「うん! 高いの、楽しい!」
子どもはいつだって恐れを知らず無邪気だ。
ふっと笑って抱き上げれば、キャッキャと喜んでくれる。
その笑みを見て思い出すのはエルの姿。
今、あの子はこんな風に笑って過ごしているだろうか。
寂しい思いをさせていないだろうか。
「おお、アザール殿よ。そのような顔をして、家に残してきた人間を思っているのか?」
オルヴァンにからかうようにそう言われ、アザールは静かに頷いた。
だって本当のこと。あの子が泣いていないかどうかが心配だ。
「村で迫害されていた子だった。一目見て惚れてしまったんだ。我が屋敷に連れ帰って、沢山学ばせた。言葉も知らず、話せなかったから」
「……人間同士でもそのようなことが起こる。獣人と人間が蟠りなく関わり会える未来は、間違いなく遠いだろう」
「……そうだろうな」
しかしそれでも。
今日、この日がまた新たな一歩になった。
こうして輪を繋ぎ広げていくのだ。
そうすればきっと、いつかは。
アザールは空を見上げた。
冷たい冬の空はどこまでも澄んでいて、その向こうに、あの子がいる場所を思い描く。
子どもにもう一度「たかーい!」とせがまれながら、アザールはその小さな身体を高く抱き上げた。
その姿を見つめる村人たちの目には、昨日までの敵意とは違う色が、ゆっくりと灯り始めていた。
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