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第50話
その夜、部屋の中には穏やかな灯りが灯っていた。
ふかふかのベッドに身を横たえたエルは、壁際に毛布を被って丸くなっているティナの姿をちらりと見つめた。
同じ部屋に誰かがいてくれるということが、こんなにも心強い。
「……ティナ、今日……本当にここで、寝てくれるの……?」
「はい。何かあったらすぐに駆けつけられるように、すぐそばにおります。安心しておやすみください」
「……うん……ありがと……」
布団の中で小さく息を吐き、エルは目を閉じた。
王宮の石造りの部屋は、アザールの屋敷よりも冷たくて、静かすぎる。
けれど、今夜は寂しくない──そう思えた。
──それから、どれほど時間が経っただろうか。
コツン、と小さな足音が、石床に響いた。
静かに開けられた扉の隙間から差し込む冷たい空気と共に、ひとりの獣人が顔を覗かせた。
ティナはギラっと鋭い視線を扉に向ける。
「……失礼いたします、ティナ。急ぎの用件です。王子殿下から、少しお力を借りたいとのことで……」
「殿下が、この時間に……?」
「はい、今すぐにとの仰せです。少しの間で構いませんので、どうか……」
ティナはすぐに不審を感じ取った。
こんな時間に殿下から呼ばれたことは無い。
けれど殿下からと言われた手前、無視することもできない。
彼女はふと、眠っているエルのほうを見た。
エルは安らかに、浅く寝息を立てている。
今すぐに何かが起こるとは思えなかった。
用件が終わったらすぐ戻ればいい──そう、自分に言い聞かせる。
「……わかりました。すぐ戻ります」
そう言って、そっと立ち上がる。
扉を出る直前、もう一度エルに視線を向けると、寝顔はどこか心細げだった。
◇
部屋に再び静寂が訪れる。
けれどそれは、安らぎではなかった。
飾り棚の陰から、気配を絶った黒衣の男がすっと姿を現す。
獣人の気配をまとったまま、無言のまま香炉のもとへと歩み寄った。
ふたを開けると、香をひとつまみ──王から渡された特別な香を、灰に混ぜるようにくべた。
ふんわりと広がる淡い甘い匂い。
それは、つい先日も使用したものと同じ香である。
ごくわずかな量。
効きすぎれば異変に気づかれる。だが、足りなければ王の命に応えられない。
慎重に、丁寧に。
男は香炉のふたを閉じると、ひとつ身を翻し、窓際へと退いた。
数秒ののち、風に紛れてその姿は夜の帳へと消える。
◇
「……ぅ……ん……」
エルが寝返りを打ち、毛布をぎゅっと引き寄せる。
どこか不安げに、小さく誰かを呼ぶような息がもれた。
「……ティナ……」
だけれど返事はない。
彼の目は開かず、そのまま深く沈み込むように、眠りの淵へと引きずり込まれていった。
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