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第55話
◇
王城を出て屋敷に戻れば、アザールはエルを抱いたまま私室に駆け込んだ。
何か薬を盛られているのか、ベッドに寝かせれば、その顔は赤く、息は浅く、目元は少し潤んでいる。
「エル、熱が上がってるな……」
「ん、……なんか、へん……」
触れると肌がやけに熱い。
香の効果がまだ身体に残っているのだ。
アザールは無言で水を持ってきて、額に冷やした布を当て、指先で背中をやさしくさする。
「つらいか?」
「……ん、でも……アザールが、いるから……だいじょうぶ」
エルの小さな声に、アザールはそっと抱きしめた。
「すまない。こんなことになるとは思ってもいなかった……!」
悔しい。たった一人。何よりも大切なエルを、こんな風に傷つけてしまうだなんて。
「えへへ……大丈夫、だよ。もう、怖くないし……」
「すまない。エル……」
「ん……アザールぅ……」
エルの赤らんだ頬を撫でれば、その手にすり寄ってくる。
胸がキューッと締め付けられるように苦しくなって、目元が熱くなり、エルに覆い被さるように上下する胸に額をつけた。
「アザール、泣かないで……大丈夫……」
「っ、」
「大丈夫、だいじょうぶ」
髪を撫でられる。
そのまま抱きしめられると、アザールはいよいよ目に浮かんだ涙を零す。
「アザール……ぼく、ねむたいよ……」
「っ、ああ。休んでくれ。俺はずっとここにいるから」
「ん……ありがと……」
涙を拭って顔を上げる。
安心させようと微笑んでみせれば、エルも薄く笑みを浮かべ、そうして眠りに落ちた。
体が辛いのか、汗をかいている。
アザールは「シュエット」と小さく従者の名前を呼び、それに応えて現れた彼に顔を向けることもなく口を開ける。
「湯と、布を。エルの体を拭ってやらねば」
「はい。──アザール様、一つ、ご報告が」
その言い回しに、アザールの耳がわずかに動いた。
報告は一つ。それでも、予感は複数あった。
「……王の追っ手か?」
「いいえ。──カイラン様が」
「……カイランが? なぜ……まだ部隊は──」
「皆様がお越しです。ここはリチャードとレイヴンに任せて、どうか」
アザールは眉をひそめ、シュエットの言葉を繰り返すように問うた。
「皆……? 本当に、全員来たのか?」
「はい。残っていた部隊の方すべて、カイラン様の指示で」
その瞬間、アザールの目がわずかに見開かれた。
まさか、あの男が──いや、あいつなら、やりかねない。
だがこれは、王に牙を剥くということ。簡単なことじゃない。
エルを見つめたまま、アザールは低く息を吐く。
安心と、そして次に来る不穏の気配を感じながら。
「シュエット、しばらくここはレイヴンとリチャードに任せる。他には誰にも入れるな」
「はっ。屋敷の警備も既に固めております。それから──どうやら城下にも情報が流れ始めているようです」
「……流れ始めている? なんの情報が──」
「カイラン様が、『王が将軍の番を攫った』と街の者へ語ったそうです。すでに広まりつつあります」
アザールは目を伏せた。
口の悪いあいつらしい手法だが──それは、いずれ国そのものを揺るがす炎になるだろう。
だが、構わない。構わなかった。
「……よくやった、カイラン」
エルの熱い頬に触れながら、アザールは静かに呟いた。
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