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第54話

 部屋の扉が勢いよく開かれる。 「──エルッ!!」  低く鋭い怒声。  琥珀の瞳が怒りに燃え、王の手元を狙うように一直線に飛び込んできた影── 「王よ、そこから離れろ」  王の目前に立ちはだかったのは、牙をむき出しにしたアザールだった。  白く滑らかな肌が、乱れた衣服の隙間から覗いていた。  震える肩、濡れた睫毛。エルの顔には怯えと混乱の色が滲んでいる。  それを見た瞬間、アザールの理性が音を立てて崩れかけた。  怒りでは足りない。  燃え盛る焔でも足りない。 「アザールぅ……こわい、こわかった……!」 「ああ。帰りが遅くなって、すまなかった。……もう、誰にも触れさせない。俺の番に、こんな真似をして……王でなければ、その首を……」  牙の根元まで怒りが噴き出しそうだった。  だが、まずは震える体をそっと抱き寄せ、自分の上着で包む。エルの体温がいつもより低いことに、指先が震えた。  アザールはゆっくりと顔を上げる。  王と、目が合った。 「……王よ。何をしていた?」  低く押し殺した声。  その下に、怒りと殺意が渦巻いていることを、誰の耳にも隠せはしなかった。  だが王は、何食わぬ顔で答える。 「何をしていた? 決まっているだろう。文様の確認だ。将軍がその位に就いておきながら、このような報告を怠った以上、私の判断で動かねばならない」 「それを、朦朧とさせた上で寝込みを襲うという形でか」 「……感情に任せるな。おまえが私に忠誠を誓った以上──」 「──忠誠を誓った覚えはない」  王の言葉を遮るように、言葉をかぶせる。 「俺は国に尽くしている。王に仕えているわけではない」  一言ごとに、アザールの声は低く、鋭くなっていく。 「ましてや、この子は俺の番だ。貴方であろうと──触れることは許さない」  そう言って、アザールは明確に威嚇の咆哮を漏らした。  王の後ろにいた近衛が思わず後退るほどの殺気。  しかし王は、それでもなお、涼しい顔を崩さなかった。 「番、か。ではその証を、今ここで見せてもらおう。そうでなければ私の行動を咎める権利はない」 「貴方に見せる理由がどこにある」  冷たく言い放ち、アザールはエルを抱えたまま王に背を向ける。 「この子を守る。それが私のすべてだ。……貴方の思惑には組しない」  そうして歩き出そうとした瞬間、王が「衛兵!」と声を上げた。  ぞろぞろと部屋に流れ込んでくる兵士に、アザールは足を止める。 「アザールよ、それはいけない。貴様には責務があるだろう。……ましてや何故、ここにいる。遠征はどうした。まさか、その者が我が手にあると知り責務を放って帰ってきたわけではあるまい」  アザールの腕にギュッと力が込められる。  僅かに苦しさを感じたエルだけれど、今はそれすらも愛おしい。 「話は終え、問題なく事態は収まった。そこでエルのことを耳にして、急ぎ帰ってきたまで。まさか……王ともあろうお人が、このような暴挙に出るとは思わなかった」  苛立ちを隠すことのない言葉。  兵士たちは思わずたじろぐ。  しかし王は、なおも余裕の笑みを浮かべたままだ。 「……ずいぶんと感情的だな、将軍。まるで、番を奪われることを何よりも恐れているようだ」  その挑発に、アザールは一歩も引かず、むしろ声を低くして返す。 「恐れているのではない。激怒しているのだ。獣人であり、王である貴方がそれを理解できないのなら、もはや言葉を交わす必要もない」  その言葉に、王の表情が初めてわずかに動く。 「貴様……本気でこの場で刃を向ける気か?」 「今この場で剣を抜かぬのは、俺が、王という立場を尊重しているからに過ぎない。……しかし、これ以上この子に手を出そうとするのなら……、その肩書きなど二度と口にできなくなると覚悟なさるがいい」  アザールの瞳が鋭く光る。  兵士たちは完全に動きを止めた。  命令を待っているというより、王に味方することへのためらいが、彼らの顔にありありと見えた。  兵士たちも獣人。獣人にとって番は何にも変え難いものだ。それをこの王は、将軍から攫った。その事実を、今更変えることは出来ない。    王はようやく渋々と手を引く構えを見せる。 「……好きにするがいい。だが、私の命令を無視した以上、将軍といえども責任は取ってもらう」 「その覚悟は、最初からある」  静かにそう言い残し、扉の方へと歩き出す。  王の側近の一人が一歩踏み出そうとした瞬間、アザールが振り返り、静かに言った。 「──追えば、殺す」  その言葉の重みを、部屋にいる全員が肌で感じた。  そして、本能で悟ったのだ。次に動けば、命はないと──。    誰もそれ以上、アザールを止めることはできなかった。

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