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第53話

 その日一日を二人と過ごしたエルは、疲れてソファに腰を下ろすと、そのままコテンと眠ってしまった。  ティナは寝る支度を整えるため、エルに「必ず部屋から出ないように」と言い残し、部屋を後にしていた。  間もなく、扉がノックされたのだが、眠っていたエルは返事ができなかった。  そして静かに開いた扉から入ってきたのは──ティナではない、見知らぬ男の従者だった。  彼はスッとエルに近づき、その体を抱え上げると、音も立てずに部屋を出ていく。  そのままエルが運ばれたのは、王の後宮。  香の焚かれた部屋に入れられ、ふわりと甘く重いそれが、無意識のうちに彼の肺へと入り込んで、深い眠りへと誘った。 ◇  王は長たらしい政務を終えると、一度後宮に訪れた。  それと同時に、王子とエルに付かせていた従者がこちらに来れないよう手配をする。  エルの眠る部屋の前には、影に溶けるような黒い服を着た男が一人。 「人間の様子は?」 「はい。深く眠っております。昨夜のものよりも、少し香を強めました」 「そうか。我らへの作用は?」 「ございます。ですから、香が弱まる明け方に起こしくださいませ」  王は顔を歪めると、短く舌を打った。 「先に文様を見ることもかなわんのか」 「ご存知の通り、使用している香は強力です。少量でもかなりの効果がございます。陛下の御身にもすぐに作用するでしょう」  人間よりも鼻のいい獣人は、より香が効いてしまう。  面倒なことだ。王は深い溜息を吐く。  文様を力尽くで暴くことは容易い。  だがそれでは、完全なる悪として語られることになる。  無理に服を脱がせたとなれば、噂は国中に広まり、民心を失う恐れもある。  王が王であれるのは、この国で暮らす民のおかげなのだ。それを理解しているからこそ、面倒な手を使わざるを得ない。  王は誰よりも国を、国民を大事にしている。  だからこそ、報告にない文様が、いずれ国を揺るがす事態を招くのならば、それは早く消してしまわねばならない。    もしも将軍が意図的に隠していたのなら、それはやはり不穏なことが起きるのではないかと、疑ってしまう。    王は一度自室に戻ると、朝日が昇るのを待った。  この目で確認しなければ。  文様は事実であるのか、そしてそれは何の力を宿しているのか。  後宮のとある部屋、その扉を開ける。  ベッドに仰向けで眠るエルに近づき、そっと服に手を掛けた。  白い肌には傷一つ見当たらない。  しかしその背中には、何がある──。  ──ふと、視線を感じた。  王が顔を上げれば、ぼんやりとしてこちらを見つめている人間が。 「っ、な、に……やだ、なに……っ」  エルの視界がぐらつく。体は熱いのに、手足が冷たい。何が起きているのかわからない。ただ、本能的に、この人が怖い。  昨日見たような夢に似ていた。  もしかして、昨日のあれも、夢ではなかったのかもしれない。  エルは何とか手足に力を入れると、そのまま手を伸ばして王から逃げようとした。 「! 香を強めたんじゃなかったのか!」  思いがけないエルの覚醒に王は驚き、抵抗しようと伸びてきた手を、彼の頭上に一纏めにして押さえつける。  王がエルの肌を撫でるように触れる。ぞわりと、嫌な感覚が背中を走った。 「ひっ、ゃ、なに、やめて、やだぁっ」 「静かにしろ。ただ、文様を見せればいい」 「! やだぁっ!」  エルがそう、叫んだ時だった。

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