61 / 100

第61話

 それから数日後、アザールの屋敷を、ふたたび訪れる者がいた。  門の前に姿を見せたのは、雪を払った白の外套を纏うレオン王子と、従者のティナだ。  応接間に通されたレオンは、アザールとエルが姿を現すと、深々と頭を下げる。   「改めて──父に代わり、謝罪を申し上げます」  それは、王子としてではなく、一人の人間としての言葉だった。わずかにエルがアザールの背に隠れるようにして立っているのを見て、レオンはさらに深く頭を下げる。 「今回の一件について、父は……民の怒りと騒動の大きさを前に、正式に謝罪の意を表しました。そして、文様についても、国を乱すものではないと理解し、今後一切、干渉をしないと決めたことを、お伝えしに参りました」  アザールが小さく息を吐く。エルの背を支えた手に、ふと力が入る。 「……感謝いたします。王子殿下」 「……しかし、申し上げておかねばならないことがあります」  そう前置きして、レオンは静かに視線をエルへ向けた。 「私は……父を説得するため、文様の意味について、お話ししました」    エルの目が、かすかに揺れる。アザールも一瞬だけ目を細めたが、すぐに頷く。 「……そうするしかなかったのでしょう。仕方ありません」  その声は、淡々としていたが、どこかに割り切れない思いも含んでいた。  ティナがそっと口を添える。 「陛下は……密告をしたラビスリの所在については『知らぬ』とおっしゃっていました。ですが、王子殿下が動かれております。見つかり次第、アザール様にお伝えいたします」  アザールは目を伏せ、短く頷いた。 「ありがとうございます。……しかし、終わったことです。今は、エルが無事でいることのほうが大事だ」 「アザール……」  隣でそっとアザールを見上げたエルは、その優しい横顔に安心したように微笑んだ。 「ただ──」と、アザールは低く静かな声で続ける。 「文様のことが知れ渡った今、今後も王の動きや城の様子は警戒せねばなりません」 「ええ。私もそう思います。……でも、それでも、私達は二人の味方です。何かあれば必ず、手を貸しましょう」  レオンは真剣なまなざしでアザールを見つめる。  エルはふと、胸の奥が温かくなるのを感じた。  やがてレオンは、最後に一礼すると、ティナと共に部屋を後にする。 「……それでは、また。ティナも、必要あればいつでも伺いますので」 「ありがとう、レオン……王子殿下……」  エルがちょっとだけ言い直すと、レオンはふっと笑い、扉の向こうに消えていった。 ◇  王子の訪問から数日が経った。  屋敷に穏やかな空気が戻り、ようやくアザールも深く息をつけるようになった。  エルも日に日に表情が柔らかくなり、食事を楽しんだり、暖炉の前でうとうとと眠ったりして、普通の時間を取り戻しつつある。  そんな夜。 「エル、湯浴みの時間だ」 「うん」  湯殿は湯気に満ち、ふたりは並んで湯船に身を沈めていた。  冬の外気で冷えた身体に、湯の温かさがじんわりと染みわたっていく。  エルは肩まで湯に浸かり、ぽかんとした顔でぼんやりとアザールの隣に寄り添っている。  その背中に、ふと目を留めたアザールの眉がわずかに動いた。 「……エル」 「ん……?」 「……文様が、白く……光っている」 「……え?」  アザールがそっと手を伸ばして、エルの背に触れる。  湯気のなか、いつもは肌の色に溶けて見えづらいはずの文様が、淡く、ほんのりと白く浮かび上がっていた。 「……痛みはないか?」 「ううん、痛くない……でも、なんか……あったかい感じ……する」  それは静かな変化だったが、気にしない訳にはいかなくて、その夜、アザールは文様に関する古文書を読み漁った。  そして、翌日── 「……わかった。あれは兆しだ」 「……? き……なに……?」  椅子に座るエルの前で、アザールは厳かな面持ちで話し始めた。 「文様は、歳が十八になると少しずつ白く光り始めるという。それは子をなすための準備が始まる証らしい。肉体が、精を求めるようになっていく……」 「精……? なあに、それ」  エルはキョトンとしてアザールに問いかける。  さすがの彼もこの質問には少し困ってしまったのだが、何とか説明をすれば、エルの顔は真っ赤に染ってしまった。 「精を、求めちゃうの……っ?」 「ああ。文献には、こうあった。文様が完全に浮かび上がる頃には、身体が熱を持ち、欲に敏感になり──本能が……繋がりを求め始める、と。……エル、前に話した通りだ。番にならないか」 「そ、そんなの……あの、えっと……でも、どうやって……?」  恐る恐る、でもちゃんと聞こうとしているエルの姿に、アザールは静かに息を吐く。 「……番は、番となる者が、自らの精を、相手に注ぐことで結ばれる。それが……本来の契りだ」 「!」 「自分のものだと、匂いをつけるんだ。わかるか?」  だから、だからレオンはあの時、まだ番じゃないのかと驚いていたのか!  ここでようやくあの時のレオンの驚きようを理解したエルが、視線をキョロキョロと彷徨わせる。 「っ……そ、注ぐって……」 「体を繋げるんだ。直接的に言えば……俺がエルの中に入る」  エルは、ギョッとしたが、次第に戸惑いのまま目を伏せた。  でも──同時に胸の奥が、なにか温かく揺れていた。  怖い。けれど、それを「アザールから」なら、受け入れたいと思ってしまう自分がいる。  混乱と照れと、ほんの少しの期待。  それが入り混じって、エルの表情は赤く染まり、目尻が潤んでいた。 「……ゆっくりでいい。お前が望むときに、俺に……番になってほしいと伝えてくれ」  アザールの言葉は、優しく、けれど深く響いた。

ともだちにシェアしよう!