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第61話
それから数日後、アザールの屋敷を、ふたたび訪れる者がいた。
門の前に姿を見せたのは、雪を払った白の外套を纏うレオン王子と、従者のティナだ。
応接間に通されたレオンは、アザールとエルが姿を現すと、深々と頭を下げる。
「改めて──父に代わり、謝罪を申し上げます」
それは、王子としてではなく、一人の人間としての言葉だった。わずかにエルがアザールの背に隠れるようにして立っているのを見て、レオンはさらに深く頭を下げる。
「今回の一件について、父は……民の怒りと騒動の大きさを前に、正式に謝罪の意を表しました。そして、文様についても、国を乱すものではないと理解し、今後一切、干渉をしないと決めたことを、お伝えしに参りました」
アザールが小さく息を吐く。エルの背を支えた手に、ふと力が入る。
「……感謝いたします。王子殿下」
「……しかし、申し上げておかねばならないことがあります」
そう前置きして、レオンは静かに視線をエルへ向けた。
「私は……父を説得するため、文様の意味について、お話ししました」
エルの目が、かすかに揺れる。アザールも一瞬だけ目を細めたが、すぐに頷く。
「……そうするしかなかったのでしょう。仕方ありません」
その声は、淡々としていたが、どこかに割り切れない思いも含んでいた。
ティナがそっと口を添える。
「陛下は……密告をしたラビスリの所在については『知らぬ』とおっしゃっていました。ですが、王子殿下が動かれております。見つかり次第、アザール様にお伝えいたします」
アザールは目を伏せ、短く頷いた。
「ありがとうございます。……しかし、終わったことです。今は、エルが無事でいることのほうが大事だ」
「アザール……」
隣でそっとアザールを見上げたエルは、その優しい横顔に安心したように微笑んだ。
「ただ──」と、アザールは低く静かな声で続ける。
「文様のことが知れ渡った今、今後も王の動きや城の様子は警戒せねばなりません」
「ええ。私もそう思います。……でも、それでも、私達は二人の味方です。何かあれば必ず、手を貸しましょう」
レオンは真剣なまなざしでアザールを見つめる。
エルはふと、胸の奥が温かくなるのを感じた。
やがてレオンは、最後に一礼すると、ティナと共に部屋を後にする。
「……それでは、また。ティナも、必要あればいつでも伺いますので」
「ありがとう、レオン……王子殿下……」
エルがちょっとだけ言い直すと、レオンはふっと笑い、扉の向こうに消えていった。
◇
王子の訪問から数日が経った。
屋敷に穏やかな空気が戻り、ようやくアザールも深く息をつけるようになった。
エルも日に日に表情が柔らかくなり、食事を楽しんだり、暖炉の前でうとうとと眠ったりして、普通の時間を取り戻しつつある。
そんな夜。
「エル、湯浴みの時間だ」
「うん」
湯殿は湯気に満ち、ふたりは並んで湯船に身を沈めていた。
冬の外気で冷えた身体に、湯の温かさがじんわりと染みわたっていく。
エルは肩まで湯に浸かり、ぽかんとした顔でぼんやりとアザールの隣に寄り添っている。
その背中に、ふと目を留めたアザールの眉がわずかに動いた。
「……エル」
「ん……?」
「……文様が、白く……光っている」
「……え?」
アザールがそっと手を伸ばして、エルの背に触れる。
湯気のなか、いつもは肌の色に溶けて見えづらいはずの文様が、淡く、ほんのりと白く浮かび上がっていた。
「……痛みはないか?」
「ううん、痛くない……でも、なんか……あったかい感じ……する」
それは静かな変化だったが、気にしない訳にはいかなくて、その夜、アザールは文様に関する古文書を読み漁った。
そして、翌日──
「……わかった。あれは兆しだ」
「……? き……なに……?」
椅子に座るエルの前で、アザールは厳かな面持ちで話し始めた。
「文様は、歳が十八になると少しずつ白く光り始めるという。それは子をなすための準備が始まる証らしい。肉体が、精を求めるようになっていく……」
「精……? なあに、それ」
エルはキョトンとしてアザールに問いかける。
さすがの彼もこの質問には少し困ってしまったのだが、何とか説明をすれば、エルの顔は真っ赤に染ってしまった。
「精を、求めちゃうの……っ?」
「ああ。文献には、こうあった。文様が完全に浮かび上がる頃には、身体が熱を持ち、欲に敏感になり──本能が……繋がりを求め始める、と。……エル、前に話した通りだ。番にならないか」
「そ、そんなの……あの、えっと……でも、どうやって……?」
恐る恐る、でもちゃんと聞こうとしているエルの姿に、アザールは静かに息を吐く。
「……番は、番となる者が、自らの精を、相手に注ぐことで結ばれる。それが……本来の契りだ」
「!」
「自分のものだと、匂いをつけるんだ。わかるか?」
だから、だからレオンはあの時、まだ番じゃないのかと驚いていたのか!
ここでようやくあの時のレオンの驚きようを理解したエルが、視線をキョロキョロと彷徨わせる。
「っ……そ、注ぐって……」
「体を繋げるんだ。直接的に言えば……俺がエルの中に入る」
エルは、ギョッとしたが、次第に戸惑いのまま目を伏せた。
でも──同時に胸の奥が、なにか温かく揺れていた。
怖い。けれど、それを「アザールから」なら、受け入れたいと思ってしまう自分がいる。
混乱と照れと、ほんの少しの期待。
それが入り混じって、エルの表情は赤く染まり、目尻が潤んでいた。
「……ゆっくりでいい。お前が望むときに、俺に……番になってほしいと伝えてくれ」
アザールの言葉は、優しく、けれど深く響いた。
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