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第64話
第二章
アザールと番になってから、早くも一年。
ラビスリは未だ行方が知れないが、怯えて暮らすようなことはもうなかった。
エルはアザールの屋敷で、穏やかな日々を過ごしている。
変わったことといえば──日々の勉強の成果で、エルがすっかり流暢に話せるようになったこと。
そして何より、番になったことで、アザールが以前にも増して過保護になったことだ。
「エル、寒いからちゃんと暖かくしないと」
「大丈夫だよ。アザールのくれたお洋服、あったかいもん」
「いや、人間の体は繊細だからな。……ほら、肩もしっかり包め」
「ん、ありがとう」
「手袋は?」
「ううん、大丈夫! 外に出るわけじゃないし」
「それでも──」
「……じゃあ、手を繋いでよう? そしたらね、あったかいよ」
よく食べ、よく眠るようになったせいか、出会った頃より身長が伸びたエルは、アザールとの目線が少し近づいたことを内心とても喜んでいた。
──もっとも、それはエルだけの小さな秘密である。
仲良く手を繋ぎながら廊下を歩くふたり。
すぐ後ろには、侍従長のシュエットと、警護を担当するリチャードとレイヴンが静かに控えている。
食堂に移動して椅子に座ると、エルは相変わらず自分の手で食べさせようとするアザールに苦笑しながら、それでも素直に口を開けた。
「ん、アザールは?」
「俺も食べるさ。気にしなくていい」
「……僕、自分で食べられるよ? そしたらアザールも、待たずに一緒に食べられるし」
「それでも、俺がやりたいんだ」
「面倒じゃないの?」
「面倒じゃない」
おそらくこれは、人間と獣人の価値観の違いなのだろう。
けれど、エルにとってこの行為が不快なものでないなら、彼のしたいという気持ちに素直に甘えるのも悪くない。
そう思ってエルは、静かにそれを受け入れ、アザールの手から口へと食事を運んでいった。
食後、すっきりとした果実水を飲み干したエルは、ふぅ、と小さく息をついて背もたれに身を預けた。
「今日も体はなんともないか?」
「あ……うん。大丈夫だよ」
アザールと番になったあの日から、不定期にエルの体に訪れる変化。
文様が白く浮あがる度にアザールを欲して、毎回彼には付き合ってもらっているのだが。
「ねえ、アザール」
「なんだ」
エルの食事を終えて、今度は自分の食事を摂っていた彼をチラリと見上げる。
「アザールは、……子ども、欲しい?」
「っ!?」
その質問に驚いて、思わず吹き出しそうになったのを堪え、水を飲む。
それから一度深く息を吐いて、エルの顔を見た。
「なぜ?」
「……だって、文様が浮かぶ度に、アザールと繋がっているでしょう……? それに、僕の文様は、子が成せるって。アザールが嫌がらずに僕に付き合ってくれるのは、子供が欲しいからなのかなって、思った」
「……誤解をしている」
「誤解?」
エルの質問の理由は、アザールにとって少し寂しいものだった。
アザールただ、純粋に、エルのことを愛している。
愛しているから、辛そうにしている彼を少しでも楽にしてあげたいし、そもそも、文様があってもなくても、エルと繋がりたいとは思っている。
「俺はエルが好きだ。何よりも愛している。だから、文様があってもなくても、関係ない。エルが許すなら本当は──今晩だって抱きたいくらいだ」
「え──っ?」
「子供は好きだ。それにエルとの間にできる子なら、愛おしくてたまらないだろう。しかしだな、エルが望まないなら、俺も望まない。俺はエルが居てくれるのなら、それでいい」
エルは少しキョトンとした後、ポッと顔を赤く染めた。
それからエヘへと子供のように笑って、アザールの肩にトンともたれ掛かる。
「アザールは、僕のこと、大好きだね」
「いつもそう言っているだろ」
「ふふ、僕も大好きだよ。──本当はね」
そこで言葉を区切ると、周りにいる人たちを見渡し、アザールの耳元に口を寄せた。
擽ったさにピコピコ動く耳は可愛くて、エルのお気に入りだ。
「僕も、文様のことがなくても、アザールと繋がってたいって思ってるんだよ」
「! 本当か」
「ほんと」
クスクスと少し照れたように笑うエル。そして周りには聞こえないようにとコソコソ話をしていたのだが、傍に控えていたシュエットにリチャードとレイヴンは梟と馬の獣人。
聴覚が優れている彼らには全て丸聞こえであることを知らない。
彼らは少し動揺している。
「秘密だよ」
「……ああ、秘密な」
アザールに目配せをされた彼らは、静かに頷き『何も聞いていません』の態度を貫くのだった。
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