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第65話

 朝食を終えた二人。  アザールはこれから仕事に向かうので、エルはいつも通りレイヴンとリチャードと過ごすことに。  アザールが出かけてから早速、エルは本を沢山置いている部屋に行き、読みたい本を見つけようとしたのだが、見当たらなくて首を傾げる。 「レイヴン、リチャード。本が無いよ」 「本が? 何の本ですか?」 「あのね、『妊娠』とか『子供』のことがわかる本が、読みたいの」 「!」  驚いた二人は顔を見合わせると、咳払いをひとつして下手くそな笑みを浮かべた。 「エル様は子供に興味がおありで?」 「うんと……子供が出来た時に、困らないようにしたいなって」 「なるほど……。おい、レイヴン。俺には荷が重い」 「俺だってそうだ。……エル様、ここにはそのような本は置いていないかと……」  だってここはアザールの屋敷で、誰でも入れる場所にちょっとした図書が置かれているだけなので。 「そうなの……? じゃあ、どうしよう。……あ、二人が、『妊娠』と『子供』について、教えてくれる?」  二人は寒い季節だというのにダラダラと汗をかいて、笑顔のまま固まっている。  俺たちが教えることではない。そしてきっと、それを教えた暁にはシュエット殿からの小言が飛ぶ。下手をすればアザール様にも怒られる。 「お、俺達には、無理です」 「……そうなの?」 「そ、そもそも、ですが……その……エル様のお体には文様があります。それは、特別なものなので、俺たちの知っていることとはまた別かもしへません」 「……」  文様のせいで熱くなって、番であるアザールを求めてしまう体。確かに、文様が無い彼らと自分とでは、少し違うのかもしれない。  納得したエルは、本を探すこともレイヴンとリチャードから話を聞くことも諦め、トボトボと部屋に戻る。  廊下の角に差しかかり、そこを曲がろうとしたとき、ふと気配に気づいて顔を上げると、そこにはシュエットが静かに立っていた。 「シュエット……」 「あら、何かお困りですか?」 「……」 「お話をお聞かせ願えますか?」  優しく微笑む彼に、エルはゆっくり頷いた。  彼にも分からないことかもしれない。けれど一人で考えるには難しくて、やっぱり誰かに相談したかった。  部屋に戻り、エルはシュエットに悩み事を打ち明ける。途中でレイヴンとリチャードが困惑した顔をしていたけれど、あまり気にしないようにシュエットばかりを見つめる。 「──だからね、皆とは違うのかもしれないけれど、知りたいなって、思ったの」 「それはそれは、とても素敵なことですね」 「!」  思ってもみなかった彼の反応。  嬉しそうに微笑んでくれて、ホッとする。 「きっと、子供が出来た時のことまでを考えてくださっていると知れば、アザール様も大変お喜びになりますよ」 「そう?」 「ええ。もちろんです。私、約束いたしますよ」  シュエットが優しく目を細める。  その言葉に、エルの胸がふわりと温かくなる。心細さが、少しずつ解けていくのを感じた。 「ありがとう、シュエット」 「いえいえ。お礼を言われるようなことではありません」  ふとシュエットは目線を落とし、静かに言った。 「しかし、エル様。私も、実のところ文様について詳しいわけではありません。けれど、アザール様のお部屋には、古くからの記録がございます。きっとそこには文様のことも記載されているでょう」 「……本当に?」 「ええ。アザール様に許可をいただいて、その記録を見せていただきましょう。そうすればエル様の知りたいことがわかるかもしれません」  嬉しさが胸に広がって、エルは思わず立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。   「ありがとう、シュエット」 「頭を上げてくださいませ、エル様。……それよりも」  と、シュエットは少しだけ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。 「アザール様に、子供ができたときのことを考えているなどとお話しになったら、それはそれは……」 「……?」 「きっと、お仕事どころではなくなりますね」  エルはぽかんと瞬きをしたあと、徐々に頬が赤く染まっていった。 「あ……あの、言っちゃ、だめ……?」 「ふふ、どうでしょう。ですが、記録を見たい理由を聞かれてしまったら、そうお答えするしかありません。ただ、準備はしておかれたほうが良いかもしれませんね。抱きしめられて、離してもらえなくなるやもしれませんから」 「っ!」  エルは耳まで真っ赤になって、慌てて両手で顔を覆い隠した。 「……アザール、どう思うかな」 「おそらくは、嬉しいの一言に尽きるかと」  小さく呟くようにシュエットが言う。  静かなその言葉には、たしかな信頼と、深い想いが込められていた。  エルは、胸に手を当てた。  アザールの顔が浮かぶ。  ──きっと、喜んでくれる。  そう思えた自分が、少しだけ誇らしかった。

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