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第72話

 王城から少しだけ離れた場所で馬車が止まる。  先に降りたレイヴンとリチャードに手を差し出され、そろりと地面に足を着けた。   「わあ……大きいねえ……」  顔を上げると、大きな建物があって、レイヴン曰くそれはリングのように建てられており、建物に囲まれた内側には訓練をする施設や、軍議をする場所なんかも多くあるらしい。 「こんなに大きいと、迷子になっちゃうね」 「ハッ……! け、決して俺達から離れないでくださいね……! 俺達も、エル様から目を離すことはありませんが、どうか……!」 「うん。迷子は困るからね」  リチャードとレイヴンは人間のエルよりも随分嗅覚が優れているし、見失ったとしても見つけ出す自信はあるのだが、何が起こるかわからないのでかなり慎重になっている。  というのも、エルは基本的にふわふわとした性格なので、獣人の彼らからすると隙がありすぎるのだ。   「エル様、こちらです。アザール様のもとへ行きましょう」 「うん!」 「ここは獣王軍の訓練所ですから、いきなり走り出したり、大声を出すようなことはしてはいけませんよ」 「……走っちゃダメ? アザールを見つけても?」 「はい。剣など、危険な物を持っている兵士たちがいます。怪我をしないように、よく周りを見て歩きましょう」  レイヴンに静かにそう教えられ、エルはひとつ頷いた。  リチャードが先頭を歩き、なにやら手続きをして建物の中に入る。 「ふたりはここに来たことがあるの?」 「ええ。まあ、数える程度ですが」 「ここでは、アザールは偉い人?」 「ここだけに限りませんが……」  レイヴンとリチャードは少し困ったように笑う。  エルにとっては、誰よりも自分を大切にしてくれる番だが、外の彼の姿はまた別なのだ。  誰彼構わずエル相手のように優しくする訳では無い。むしろ将軍であるから、冷静沈着な姿を見ることの方が多い。 「──ん? あ、エルじゃないか」 「……? あ、カイラン!」  突然声を掛けられ、名前を呼ばれた方に振り返れば、そこにはカイランの姿が。  訓練時の服装だろうか。いつもよりもラフな格好をしている。 「将軍がいるのかと思ったぜ」 「アザールが? どうして?」 「どうしてってそりゃあ、匂いをさせてるからだろう」 「……アザールの匂いがするの?」 「ああ。俺らにはな」  カイランの視線が、どこか探るようにエルを見た。  だがエルはただ純粋な眼差しを返すだけだった。  口角をひくつかせたカイランは、そばにいるリチャードに「おいまさか、エルは知らないのか……?」と問いかけた。  リチャードはフッとした顔で頷く。 「まじかよ……将軍は何も教えてないのか」 「それは、わかりかねますが……」  エルはコテンと首を傾げると、カイランを見上げて「アザールは?」と問いかけた。 「将軍ならコッチだ。案内してやるよ」 「ありがとう」 「それにしても、少し大きくなったか? 前より目線が近い気がするぞ」 「よく食べて、よく寝たら、大きくなるよって。だからそうしてるの」 「そりゃあいいことだ」  カイランに案内されるがまま廊下を歩く。  その奥から、打ち合う剣の音が響いてくる。金属と金属がぶつかり、鈍く火花を散らすようなその音に、エルは肩をすくめた。  湿り気を含んだ汗においが漂ってくる。屋敷とはまるで違う、どこか張りつめた空気──。  しかし、一歩、また一歩。  金属音に足がすくみそうになっても、エルはカイランの背を追った。

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