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第76話
エルは楽しみながら、そして時々怯えてリチャードとレイブンの背に隠れながら、訓練の様子を眺めていた。
みんな、こうして、戦っているんだ。
そしてこの多くの人を引っ張って、先頭に立つのがアザール──自分の番。
「アザールって、お家にいる時と、全然違うね」
「ええ。……怖いですか?」
「怖いけど……大丈夫」
あんなに格好よくて強い人が、自分の番なんだ。
改めてそれを実感し、ふふふんと彼を眺めていたのだけれど、転がっていた小石が足を取る形となり、エルの体はぐらりと揺れる。
「エル様!」
「っ、だいじょうぶ……!」
とっさにリチャードが支えたことで、倒れることはなかったが、少しバランスを崩した音に、訓練の空気が一瞬ピリついた。
遠くで視線を向けていたアザールが、気づいて鋭く眉をひそめる。
しかし訓練はまだ終わらず、エルは転けないようにピッタリとリチャードとレイブンにくっついていたのだが。
訓練の時間が終わり、アザールがまっすぐこちらに歩いてきた。
「エル、さっきは大丈夫だったか」
「? なんのこと?」
「転けそうになっていただろ」
「あ! 大丈夫だよ。リチャードが支えてくれたから」
「……そうか。──ところでお前たち、近すぎるとは思わないか?」
アザールの声が突然低くなった。
リチャードとレイブンはビクッと震えると、サッとエルから離れ、視線を彷徨わせながらダラダラ汗をかいている。
「エルを見ていてくれたことは感謝する。しかし、距離感を間違えるな」
「ハッ……。申し訳ありません……!」
3人の様子をキョトンとした顔で見ていたエルは、クイクイとアザールの服を引っ張った。
目が合うと小首を傾げて、不思議そうにする。
「なんで、怒ってるの?」
「……怒ってない。注意しただけだ」
「なにを?」
「……。エル、お前は俺の番だ。必要以上に他の雄に近づかないでほしい」
「……おす」
「俺以外の匂いを、つけてくれるな」
そう言ったアザールの瞳は、どこか寂しげで、しかし真剣だった。
エルは数秒ぽかんと見上げたあと、ふにゃりと微笑んだ。
「アザールだけだよ。あの……さっき、知ったけど、僕はアザールとだけだから……たくさん、匂いつけてね」
「……っ……」
その一言に、アザールの耳がぴくりと動く。
そして次の瞬間、何かを堪えるように大きく息を吐くと、エルの後頭部に手を添えて、そっと抱きしめた。
「言ったな……覚えておけ。帰ったら、後悔させてやる」
「え……? お、怒るの? やだよ?」
「ふ……怒らないよ」
「……?」
きょとんとした顔のまま、エルは抱きしめられ、耳元に優しく触れたアザールの唇が、そっと囁く。
「今夜も、俺の匂いでいっぱいにしてやる」
──そしてその日の夜。
「もう……無理、だよ……」
途切れそうな声でそう呟いたエルを、アザールは抱きしめたまま、ようやく眠りにつかせたのだった。
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