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第78話

 柔らかい光に目を覚ましたエルは、隣に座っていたアザールが自分を見つめているのに気づいた。 「……おはよう、アザール」 「おはよう。……具合はどうだ?」 「うん……昨日より、ちょっと楽……でも、また眠たくなりそう」  エルはぱちりと瞬きをして、ふわりと欠伸をした。  アザールは一瞬だけ視線を伏せ、何かを決心したように、エルの手をそっと握る。 「エル。……少し、話したいことがある」 「……?」  エルは不思議そうに小首をかしげる。   「お前の体に、今……命が宿っているかもしれない」    一拍の間が空く。  そして、エルの目がぱちくりと瞬いた。 「……いのち……?」 「昨日、聞こえてきたんだ。まだ小さなものだが、間違いない。お前の体の中に──子がいる」 「…………」  エルはしばらく、何も言えずに固まっていた。  アザールはそっと様子を伺う。 「驚かせてしまったか?」 「……えっ、え、え……う、うそ……ほんと?」  瞳を潤ませたまま、エルは慌てたように布団の中から身を起こす。 「ぁ……でも、たしかに、文献に……眠気が、とか、気持ち悪くなるとか、匂いに敏感になるとか……全部、書いてあった……!」  ぽつぽつと呟いたあと、ぱあっと顔が明るくなった。 「……じゃあ……本当に、僕の中に……?」 「ああ。お前が、俺の子を宿してくれたんだ」  アザールの声は、どこか震えていた。  エルは自分の下腹にそっと手を当てる。  そこに鼓動は感じないけれど、確かに何かがある──そう思うと、胸がじんと熱くなった。 「……すごい……なんだか、ふしぎ……でも、うれしい……!」  ぽろりと、涙がこぼれた。  驚きよりも、喜びが先に込み上げてくる自分に、エル自身が驚いていた。 「僕、お母さんに、なるんだね……」 「……ああ」  アザールはそっとエルの肩を抱き、額をくっつける。 「ありがとう、エル。……本当に、ありがとう」  エルはその腕の中で、まだ小さな命の存在を、確かに感じようとしていた。 ◇  エルの妊娠が判明してから数日。  屋敷は静かに、けれどどこか浮き立った空気に包まれていた。  だが、アザールはふとしたときに、エルの寝顔をじっと見つめてしまう。  喜びに満ちたその表情の裏で、彼の胸にはひとつの懸念が膨らんでいた。  ──人間と獣人の間にできる命。  まして、エルの文様のこともある。もし、胎内で何か異変が起きたら……。  アザールは、そっとエルの手を握った。 「エル。……一度、詳しく診てもらおう。お前と、お腹の子のことを」 「……診てもらうって、お医者さんに?」 「ああ。俺にも分からないことが多い。異種族間の妊娠だ。それに文様のこともある……。信頼できる医者に、ちゃんと診てもらった方がいいと思う」  エルは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく頷いた。 「……うん。わかったよ。僕も……本当はね、どんなふうに育つのかもわからないし、なんだかちょっと、こわくて」  アザールはエルの肩を抱き寄せ、額に口づけを落とした。 「心配するな。……一度、レオン王子を訪ねてみよう。文様や異種妊娠に詳しい医師がいるかもしれない。王族の医師団には優れた者が多いだろうから」 「……レオン、びっくりするかな?」 「ああ。それにきっと、喜んでくださる」  レオンの嬉しそうにしている顔と、その隣でティナが微笑んでいる姿が頭に浮かんだ。  アザールが王城に連絡を入れたのは、その日の午後だった。  エルが妊娠したかもしれない──その報せは、レオン王子のもとへと、迅速に届けられた。

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