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第86話

 部屋の灯りが、眩しいほどに揺れている。  エルはベッドの傍らで、ただじっと、治療を受けて眠るアザールの手を握り続けていた。 「エル様、どうかお休みください」 「……アザールが、起きないよ」 「ええ。ですが、先ほど治療のために薬を使ったせいでございます。深い傷ではありましたが、命に別状はありません。医師もそう言っていたでしょう?」 「……」  エルに穏やかに声をかけたのは、シュエットだった。  彼は、屋敷中に緊急を知らせる大声を発したあと、倒れたリチャードを兵士に託し、すぐさまアザールの執務室へ向かった。  しかし、そこに彼の姿はなかった。  嫌な予感に背を押され、エルの眠る寝室へと駆けつけたとき──彼は、血に濡れた主と、泣き叫ぶエルを見たのだった。  その後は怒涛だった。  医師を呼び、アザールとリチャードの治療を指示し、屋敷の混乱を鎮め、王子レオンにことの経緯を全て伝え、後始末に追われる数時間。  ようやく落ち着いたのは、つい先ほどのことだった。  窓の向こうには、朝焼けがにじみ始めている。  ラビスリは、レオンの命により、エルの両親と共に王城へと連行された。  その罪は重く、裁きは王の手に委ねられることとなる。  けれど──エルにとって、何より大切なのは、目の前の番だった。  アザールの手は、いつもより少しだけ冷たい。   「……やだな」  小さな声が、ぽつりと漏れた。 「番になって、赤ちゃんもできて……毎日が幸せだったのに……」  涙が、一滴、また一滴と、アザールの手の甲に落ちていく。 「どうして、こんなことに……。僕が、ここにいたから……アザールが痛い思いを……っ」 「──それは、ちがうだろう」  ぽつりと、掠れた声が返ってきた。  エルの目が、ぱちんと開かれる。  信じられない、というように、震える手でアザールの頬にそっと触れた。 「アザール……!」 「……ああ。大丈夫だ」  かすかに目を細めて、アザールが微笑む。  それはいつもの、心の底から優しい笑みだった。 「ぼ、ぼくの、せいで……っ」 「……いいや。誰のせいでもない。お前は、何も悪くない。……エル、誰も、お前を責めたりしない」  その言葉に、堰を切ったようにエルの涙があふれ出す。  その小さな体を震わせながら、アザールの手をぎゅっと握りしめた。  アザールに顔を寄せたエルは、そっと鼻先同士をくっつける。  そのまま唇を重ねれば、彼は柔らかく微笑んだ。  そっと後ろで見守っていたシュエットが、ふっと安堵の息をつく。  アザールが目を覚ましたことを知らせれば、あの混乱のなか沈んでいた屋敷にも、再び温かな光が戻るだろう。 「……早く知らせてあげないと」  ぼそり、呟いたシュエットはそうして部屋を出たのだった。

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