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二十話 積もる苛立ち

 泉を貰うという進藤の言葉が、俺への牽制だったのか、宣戦布告だったのかは解らないが、ゼミ旅行から帰ってきてからというもの、泉と進藤が一緒に居る姿は、明らかに多くなった。進藤は泉に対する距離感が近かったし、泉の方は問題さえなければどうでも良いというヤツなので、二人が仲が良いというのは、公然の情報となった。 「大丈夫なのか? 木島のやつ」  藤木が顔をしかめながら、紙パックの牛乳を啜った。それを聞いて、俺はスマートフォンから顔を上げる。  大学の日常は、旅行に行ったからといって変わらない。課題の締め切りが迫っているだけで、たいした彩りもない日々だ。 「大丈夫って?」 「進藤だよ。アイツ、ゲイなんだろ? 噂になってるぞ」  学食のテーブルを挟んで向かい合った席から、藤木が身を乗り出す。唾が飛ぶ勢いで喋る藤木に、顔をしかめた。 「ああ」  曖昧に返事し、スマートフォンに視線を落とす。  二人の仲が良くなれば、当然、そんな噂は出てくるものだ。男前でスマートな進藤と、細身でミステリアスな泉の組み合わせは、妄想を掻き立てるのに役立つらしく、付き合ってもう二年だとか、デートを目撃したとか、キスしていたとか、そんな噂が囁かれていた。 「お前、こんな時も無関心か?」 「泉の噂なんだから、泉がなんとかするだろうよ」 「そりゃあ……」  藤木は納得行かない様子で、唇を尖らせる。隣で聞いていた滝は、慎重に俺の様子を見ていた。 「でも、気づいてないのかもよ? 忠告くらいして上げたら?」  滝の言葉に、俺はげんなりして溜め息を吐いた。 「あのさ」 「ん?」 「お前ら、噂が本当だったら、どうすんの?」 「え?」  噂は噂に過ぎないと思っているのだろう。実際、泉と進藤が付き合って居ないことを知っているから、コイツらはそんなことを想像もしないのだ。 「どうって……」  藤木が言い淀む。俺が何を言っているのか、ちっとも解らない顔をして居る。 「――けどさ」  滝の言葉を無視して、スマートフォンに視線を戻す。画面にはニュースサイトが映っていたが、なにも見ては居なかった。 「櫻井……」  呼び掛けに答えずにいると、藤木が滝の肩を揺らして、首を振っているのが視界の端に入った。  諦めたような顔をして、二人は立ち上がる。俺は黙ったまま、テーブルに肘を着いて外の景色に目をやった。    ◆   ◆   ◆ 「ねえ、進藤くんってアレなんでしょ? 本当なの?」 「本当だってよ。前に男の人と歩いてるの見たって」 「えーっ、やだー」  好奇の声に、顔をしかめながら並木道を歩く。本人は小声で話しているつもりなのか、お喋りな鳥のように、甲高い声が残響して響いている。  前を歩く女子の声にげんなりしながら、方向が一緒だからと諦める。 「最近、木島くんと付き合ってるっていうじゃない」 「本当かなー。ちょっとショック~」 「でも分かる。木島くん色気あるし」 「それ分かる~。女の子といるの見たことないよね。やっぱりそうなのかな」 「聞いてみる?」 「うっそ。やるの?」  話の雲行きがあやしくなるのに、眉を寄せる。彼女たちは今にも、泉に詰め寄っていきそうな勢いだった。 「だってー」 「あんたちょっと木島くん好きだったもんね」 「じゃあ、突撃しちゃおうよ!」  勢いのままに、女子たちが騒ぎ出す。俺はそれを見送りながら、ハァと溜め息を吐いた。 (くだらない……)  心底、くだらない。  世の中はどうして、誰と誰が付き合うとかそう言うことに、関心を持つのだろうか。自分の思う通りじゃなければ反感を持つくせに、どうして知ろうとするのだろう。  女子たちの後を追う形で、教室棟に入る。階段に話し声が残響する。 『お前、こんな時も無関心か?』  藤木の言葉が頭に過る。苛立ちから無視してしまったが、あの時藤木たちは、俺に何を期待していたんだろうか。 「あの」  教室の後ろの席で本を読んでいた泉に、女子たちが声をかけた。泉は少しだけ眉を寄せたが、表情を表に出さずに視線を上げる。  その様子を、入り口で見守る。入るべきか、一瞬、迷ってしまった。 「なに?」 「――その、木島くんって、もしかして……男のひとが好きだったり、する?」  その質問に、泉は一瞬、ピクリと肩を揺らした。 「―――」  唇が、なにかを言おうとして、空気を吐き出す。  俺は開いていた扉をわざと開け直して、意識をこちらに引き寄せた。  他に人が来ると思っていなかったのか、女子たちがあからさまに驚いた顔をする。  泉の唇が、「大胡」と呟いたのが、動きでわかった。 「そこ、邪魔なんだけど」 「あっ、ごめんなさ……」  女子の間をすり抜け、泉の隣に座る。鞄からテキストを取り出して拡げ始めた俺に、女子たちが戸惑った顔をした。 「あ、あの」 「なに」  泉の代わりに、俺が返事をする。赤い顔をしてうつむくと、「なんでもないです」とその場を去っていく。  その背中に、泉の鋭い声が刺さった。 「どうでも良いけど、きみに関係ないよね」 「っ……」  スカートを翻して、足早に去っていく背を、なんとなく眺めた。 (なんかすごい、邪魔だ)  泉はすでに、視線を手元の本に戻していた。長い睫が、頬に陰を落とす。  泉はなにも言わない。俺も、なにも言わなかった。 (進藤はなんで)  考えても答えなど出ないというのに。  頭のなかが、ぐちゃぐちゃだった。

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