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二十三話 好きになるなよ。好きにならないから。
(あー、怠っ……)
辟易しながら、書庫に資料を押し込んでいく。構内をうろついていたら、教授に「暇だろう」と連れて来られてしまった。おかげで、やりたくもない資料室の整理をさせられている。
「櫻井くんが来ると思わなかったな」
「あー。まあ暇だったのは本当なんで……。それに、ここクーラーあるし」
「アハハ。一回引き受けたら、また頼まれるよ。あたしがそうだったもん」
「マジすか」
円谷というこの女は、一つ歳上の先輩だ。今は就職活動の真っ最中らしく、今日はスーツ姿のまま資料室の整理に来ていたらしい。
「就活すか」
「そ。あちこち見てるけど、余計に解らなくなるわ。あたしは本が好きでこのゼミ入ったけど、やりたいことがあるわけじゃないし」
「あー。俺は課題が楽そうなとこ選びました」
「あは。じゃあ就活苦労する組だ」
「かもですね」
円谷はそう言いながらケラケラ笑っている。就職とか、ピンと来ない。俺もスーツを着て、就活に奔走するんだろうか。会社に行くのも想像ができないのに、そんな未来が来るなんてイメージ出来なかった。
円谷が上の方にある棚に、本を押し込めようと背伸びする。彼女の手から本を抜き取り、そのまま納めた。
「っと、ありがとう……」
「ドウイタシマシテ」
「全然、心こもってないじゃん」
チラリ、円谷の視線が俺の横顔に刺さる。なんとなく、嫌な予感がした。こういう予感は、やけに当たる。
「――今、フリーだって聞いたけど」
「まあ、そうっすね」
「なんで別れたの?」
「……面倒で」
「え。酷っ」
「俺、マチズモ酷いんで」
「あー、解釈一致だ」
呆れたような、残念なような声を出しながら、本を整理していく。その耳が、なんとなく赤い気がした。
「櫻井ってさ」
「質問多いな」
「良いじゃん。暇なんだし」
「まぁ……」
だんだんと、億劫になってくる。今は何時だろうか。そろそろ、前の授業が終わっても良い頃合いだ。次のコマは授業がある。それまでの約束だった。
「櫻井は、恋愛したことある?」
「は?」
「文学的興味じゃん」
「……」
恋。そんなもの、俺には解らない。
少なくともこの五年ほど、俺はそれを遠ざけている。物語のようには行かない。ただ、自分が自分でなくなるような、激しい感情に見舞われる。
泉を抱いている時、同時に、酷く冷静な俺が、肉を貪るそのさまを見下ろしていて、己の醜さに嫌悪感を抱き続けている。
多分、俺はずっと、あの幼かった泉を抱いたことを後悔していて、自分自身を、嫌悪している。
「そんなもの、しない方がいい」
「え?」
「俺は、――好きにならないし、好きになって欲しくない」
ガタッ。と、扉の方から聞こえた音に、ハッとして顔を上げる。
「あれ? 誰か今、来なかった?」
立て付けの悪い扉が、僅かに隙間を開けていた。
「――」
気づけば、部屋を飛び出していた。円谷が「ちょっと!?」と呼ぶ声が聞こえたが、振り切るように階段を駆け下りていった。
◆ ◆ ◆
「泉っ」
階段を下りきったところで、俺は泉の腕を掴んだ。泉は目線を合わせず、黙って顔を背けている。
「泉」
泉は答えなかった。
先ほどのやり取りを、聞いていたのだろう。泉がどう思って、どう解釈したのかは、解らない。
やがて、根負けしたように溜め息を吐いて、泉が俺の手を振り払った。
「おい、泉」
無言で歩き出す泉のあとを追いかけ、歩き出す。だが、なんと声をかけたら良いのか、よく解っていなかった。
「大胡」
「え? ああ、うん」
泉が立ち止まり、俺を見上げた。他人を見るような瞳に、ギクリとする。
「着いてこないで。一人になりたいから」
「―――泉」
そのまま立ち去る泉の背に、俺はかける言葉を持っていなかった。
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