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外伝1 独白

 幼なじみが恋人と別れる日を、指折り数えて待っている。  半年。  ビールを啜りながら、おれはボンヤリとそんなことを考えていた。チラリ、斜め向かいに座る櫻井大胡を見る。男臭い、男らしい。そんな形容詞が似合う幼なじみであり、たぶん、親友。それが、大胡だ。  大胡が今の彼女と付き合うようになって、半年が経った。多分、今までの彼女で一番長い。紹介されたことがないのは、彼女が本命じゃないからなのか、そこまでデリカシーのない男ではなかったということなのか、いまだに解らないが……。 (半年か……)  おれたちの年齢で結婚はしないだろうけれど、この付き合いが長く続いてそうなることもあるんだろう。  おれは、大胡が彼女と別れるのを、ずっとずっと、待っている。  大胡はおれに言わないだろう。いつからか、そうなった。だからおれは、待つしかない。明確に、別れが来るその時を。  そしてそれは、不意に訪れた。 「そういやさ。お前、別れただろ。あの……Cカップの」  いつもつるんでいる藤木が、急に切り出した。思わず、視線を大胡に向けた。 「……うるせえな」  大胡のその言葉が、肯定だと確信する。  ゴクリ。喉を鳴らした。 (別れた――)  背中を這うゾワゾワとした高揚感に、グッと腕に爪を立てる。  別れた。  別れた。  別れたんだ。 (―――別れたんだ……!)  長かった。  大胡は、おれの方を見なかった。意識して、見ないようにしているようだった。  幼なじみが恋人と別れる日を、指折り数えて待っていた。そんな自分が、醜いと思う。  おれの心は、ほの暗い喜びに満たされていた。  ああ。  これでようやく。    ◆   ◆   ◆  飲み会の記憶は、そこから殆どなかった。おれはただ、早く大胡を捕まえておかなければならなかった。  いつからか、大胡はおれに、恋人と別れたことを言わなくなった。再び始まることを、極端に恐れてるように見えた。  首にぶら下がったペンダントを指でなぞる。  藤木たちと別れ、夜道を歩く。大胡が気まずそうな顔をして、振り返った。 「あ、俺コンビニ寄るけど」 「おれも寄る」  大胡は、一秒もおれと一緒に居たくないようだった。ハッキリと拒絶されるよりも、こういううっすらとした拒絶のほうが、なんとなく堪えた。 (半年……)  半年の間に、大胡の心は変わっているかもしれない。あるのは幼なじみへの気まずさばかりで、少しの情も残っていないかもしれない。  努めて平静に、無言でコンドームの箱を掴んで、レジに進む。大胡は何も言わない。  アパートの階段を上がる大胡の背を追いかける瞬間も、大胡は何も言わなかった。ただ、扉の前で、咎めるような声音で、名前を呼ぶ。 「泉――」  その先を、言わせなかった。  大胡の背を押し、扉の中に押し込めると同時に、壁に追いやった。なにか文句を言われる前に、その唇を唇で塞いだ。  舌を捩じ込みながら、ドアの鍵を掛ける。大胡は一瞬も、おれを押し返したりしなかった。  腕を首に回して引き寄せると、応えるように大胡の舌が絡み付いてくる。おれから仕掛けたキスのはずなのに、いつの間にか大胡の舌にねぶられていた。 (半年……、ぶり……)  半年ぶりの、キスだ。  大胡の手が、腰をなぞる。半年の間の心変わりが杞憂だったことに、ホッとする。  大胡に女が居ないとき。おれは大胡の隣に居ることを許される。  そのほの暗い喜びに、大胡の胸を撫でる。 「……飲んでんだ、勃たねえよ」  言い訳のように紡がれる言葉に、フッと笑う。 「おれが勃たせるから、平気だろ」 「……」  逃がすわけない。  だってそうしなかったら、お前は逃げるから。  大胡の手を引いて、浴室に連れていく。大胡は乗り気じゃないふりをしていたが、結局着いてきた。     ◆   ◆   ◆  シャワーを浴びながら、身体に残る感覚に、じんわりと幸せな気持ちになる。行為のあとの身体の軋みや痕跡が、毎夜のように見る妄想ではないと証明していた。 「大胡……」  名前を呟いて、フッと笑みを浮かべる。  セフレ。都合の良い相手。世間の評価などおれは知らない。ただ、大胡に愛されても良いこの時間が、何よりも愛おしい。  大胡は、女性にモテる。外見的なところもそうだが、身に纏う色気や雰囲気が、そうさせるのだろう。  そんな彼だが、周囲が想うほどには、不誠実な男ではなかった。特定の相手が居るときには、遊んだりしない。要するに、浮気の類いをした試しがない。女性と付き合っているとき、おれは一度も触れられなかったし、キスでさえされなかった。  それは、彼の母親が、浮気をして家を出たことに起因しているのだろうと思う。大胡のどこか心の奥底にある潔癖さが、この不明瞭な関係を作り出していると言っても良かった。  髪を拭きながら部屋に戻ると、大胡はベッドの上で気だるげにしていた。大胡の視線が、首に掛けたネックレスで止まる。 「それ――まだやってんのかよ。ガキっぽい」  その言葉に、おれはクスリと笑った。 「外せっていうなら、外すけど?」  大胡は返事をしなかった。  大胡が外せと言ったら、それはこの関係の終わりだと、ずっと想っていた。大胡は外せと言いながら、結局は外さない。おれたちの関係と同じだ。  おれは、自分からは外さない。  最初に大胡がこのネックレスを首に掛けた瞬間から、おれはずっと、自分で外すことはしないと、決めていた。  それは、確かに。  願掛けだったんだろう。    ◆   ◆   ◆  ハァ、ハァ、ハァ……。  荒い呼吸音を聴きながら、おれはぼんやりと、どちらの呼吸音なのだろうかと思っていた。  ぐったりとベッドに身を任せ、覆い被さる大胡を見る。切羽詰まったような顔は赤く、少し幼い。  ぐしゃぐしゃのシーツ。倒れたローション。脱ぎ捨てた制服。太股にこびりついた精液。  穴は擦られて痛かったし、先程まで大胡が入っていたせいで、なんだか変な感じがする。全身の筋肉が悲鳴を上げていた。  高校二年の夏。おれは大胡に抱かれた。  仲の良い友達だったのに、いつどうしてそうなったのか解らなかったけれど、いつからか、大胡の目線が変わった。そしておれは、それを知っていて、気づかないふりをしていた。  嵐の日だった。学校が早く終わることになって、大胡の部屋に行った。雷がすごくて、雨が窓を叩く音が、やけに大きかった。  大胡が手を伸ばして。おれは拒まなかった。告白も、会話らしい会話もなく、ただ本能のままに結びあった。 「――……」  大胡は何も言わなかった。もしかしたら、なにか言おうとしたのかも知れない。  けど、言わせたくなかった。 『ごめん』  その一言を聞いたら、終わる気がした。おれは、嬉しかったから。大胡に触れて貰えたことが、嬉しかったから、その言葉を聞きたくなかった。 「すげー雷……」  窓を見上げてそういったおれに、大胡が静かに頷いた。 「……うん」  互いに、ベッドに転がって。  なにか言うでもなく、空を見上げて。  大胡の手を、握った。  大胡の手は、震えていた。  おれたちは無言でキスを交わした。それが、始まりだった。  歪な始まりだったが、おれは幸せだった。  けれど、大胡も同じようではなかった。  いつからか、大胡は内面に深い怒りと闇を飼い始め、それが徐々に彼の心を蝕んでいるようだった。  大胡は多分、おれよりもずっと|まとも《、、、》だったのだろう。  大胡が苦しんでいるのは知っていたけれど、おれは離れることは出来なかった。  おれたちは、一緒にいたら不幸になるような恋をしていたのかも知れない。  好きだと言って。  そう何度も胸のうちで繰り返したけれど、大胡から言葉を貰えたことは、一度もなかった。  幸福じゃなくても良い。  大胡がいればそれで良かった。  いつか大胡がおれから離れて、影を踏む以上の触れ合いが出来なくなったとしても。  おれはきっと、大胡から離れることは出来ないのだ。  おれはあの日から、大胡以外の存在を、愛することは出来ない。 -------------------------------- 外伝を三本ほど更新します。

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