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第2話
しかし飲み会についてはすでに通達してしまっているし、店も予約済みである。染谷が来る少し前から計画していた歓迎会だったから、営業部第二課の社員は全員が参加となっていた。
もちろん、今から参加の可否を取ればまた結果は変わっていただろう。きっと真木と佐々間しか参加とならなかったに違いない。
その証拠に、終業後と言うのに、店にやってきた社員はほとんどが浮かない顔をしていた。
「みなさんお疲れですねぇ。最近お仕事を詰めさせすぎているでしょうか」
「いや、課長のせいじゃないでしょ。染谷があんな性格だって知ってたらみんな来なかったって」
佐々間の言葉に、集まった社員は気まずげに目を逸らす。
「ああそうでした。そういえば今日は染谷くんは用事があるらしく、歓迎会には参加ができないんですよ」
え! と、誰が声を出したのかは分からない。少なくとも複数の声が重なったその驚愕の声をきっかけに、場の空気は一気に明るく変わる。
「今日は金曜日ですから、みなさんの慰労会として、じゃんじゃん飲んじゃってください」
真木がそう言って微笑めば、ようやく社員たちは会話を思い出したかのように普段通り賑やかになった。
酒が入れば雰囲気はさらに変わる。金曜日と言うこともあり、染谷が居た緊張感からの解放もありで、一時間半が過ぎる頃にはすでに、社員たちはすっかり出来上がっていた。
「あいつ、しょっぱなから『こんなの三分くらいで終わるので、難しい資料作りとかないですか、できればあんたに逐一聞かなくていいやつで』って言ってきやがりましたよ! 絶対馬鹿にしてる! ムカつくから一週間分くらいの資料作り頼みましたわ! てか自分はその三分の作業すら惜しいくらい別案件の営業抱えてんだって!」
「分かるぞ八代ぉ。オレなんかトイレの小便器で隣に立っただけで『一個開けてもらえませんか。真隣とか普通立ちませんよね』だぞ? 別に良くね? 覗くわけでもねえし。奥から詰めようって思うだろフツー」
それからもポンポンと、今日一日の染谷の悪態が社員から告げられる。どうやら、真木の知らないところで火花が多く散った一日だったようだ。
「課長、自分教育とか無理です。あいつ学ぶ気ないですもん。生意気だし。目が合えば睨んでくるし」
ガツン、と八代がジョッキをテーブルに打ったのは、単に酔っぱらったというだけではないのだろう。その表情は怒りに染まっている。周囲も八代をフォローするようになだめ、染谷の態度について言及していた。
「んん、そうですねぇ」
真木が口を開くと、周囲はシンと静まり返る。
「たとえばね、ムッとした顔の人に道を聞かれたら、答えづらいですよね。だけど、にこにこしてる人に聞かれたら喜んで答えるし、むしろ地図アプリなんて見せて二人で確認してしまうと思うんですよ」
「そう! 染谷はムッとした顔で道を聞いてきたんです! こっちだって身構えるじゃないですか!」
「そうですね、八代くんは悪くないです。強いて言うなら、佐々間くんが戦犯ですかね」
「オレですか!」
「佐々間くんが朝一番で先にムッとした顔をしたんですよ。だから染谷くんは身構えちゃったんです」
ほろ酔いののんびりとした口調で咎められて、恐ろしくはないのだが、面白くない佐々間はぐっと唇を尖らせる。
「オレの口が悪いのなんか昔っからでしょ」
「そうですね。でも、初対面の人には佐々間くん、いつもあんなじゃないでしょう。きみならもっと上手に打ち解けることができますよね?」
「うっ……まぁ……」
「あー、佐々間主任、染谷さんが女子社員から人気だからって僻んだんでしょー」
女性社員に言われ、佐々間はさらに眉を顰める。
「ちっがうわ。別に……別に、恋人が染谷拓海のファンとかじゃねえし」
「彼女さん染谷拓海のファンなんだ、ウケる」
「面白くねえだろ!」
佐々間にもう長く付き合っている恋人が居るというのは、オフィス内では知れ渡っている話である。
おおかた佐々間の恋人は、佐々間の会社のバレーチームだからと試合を見て、まんまと染谷のファンになったのだろう。
ドッと笑う周囲に、佐々間は泣きそうな顔で反論する。そんな佐々間を慰めるように八代が酒瓶を持つと、泣く真似をしていた佐々間は素直にグラスを傾けた。
「ふふ、とはいえ、八代くんにお任せして良かったです。八代くんは雰囲気が優しいので、染谷くんも甘えてつい厳しいことを言ってしまうんでしょうね」
「いやです自分、そんな甘えられ方」
「あれが甘えるタマかよ」
佐々間の悪態を黙殺すると、真木は大きくジョッキを呷る。
「課長、話変わるんですけどね、課長ってまじですごいっすよね。おれ本気で尊敬してます」
そんなことを言いながら真木の隣にやってきたのは、今年で三十になる平岡だった。しっかりと酔っ払っているようで、目尻はすでに垂れている。八代も話題の転換を気にしなかったのか「分かる!」と賛同して笑っていた。
平岡は真木の空になったジョッキを見て、佐々間の瓶ビールもついでに追加を頼む。
「いやすごいっすよ、課長出来過ぎですって。おれ異動してきたとき本当緊張してたんすよ。前の支部の人たちからは『地方でナンバーワンの業績を叩き出してるやり手の課長が居る』って聞いてたんで」
「あー、だからおまえ、歓迎会のときあんなに肩に力入ってたのか」
「そうっすよ!」
平岡が異動してきたのは半年前のことだった。そのときにも同じように歓迎会をしたのだが、平岡の表情は終始固く、肩に力が入りすぎて少し持ち上がっていた。
そのときの様子を真似する佐々間を、平岡は「やめてくださいよ!」と必死に止める。
「僕がすごいというよりは、みなさんがすごいんですよ。僕は何もしていませんから」
「ほら! 見て、八代さん見て、このスタンス。これ、これなのよこの課長」
「分かる、分かるよ平岡。課長はずーっとこうだよ。おれたちをマジで甘やかしてくれんの」
「甘やかしているつもりはないんですが」
「いーや、甘やかされてる。オレなんて最たるもんだね。甘やかされすぎてこうなりましたー」
佐々間の言葉に、周囲からは「確かに」「佐々間主任がこうなったのは課長のせいだ」「佐々間主任を止めろ」とふざけたヤジが飛ぶ。
平岡も例外ではなく、ひと通り佐々間にヤジを飛ばしたのち、すぐに「だからこそおかしいんすよ」とふらつく体を支えるようにテーブルに肘をつく。
「課長は仕事もできるし人間もできてるのに、なんで結婚してないんすか!」
途端、それまで賑やかだったテーブルが一気にシンと静まった。
平岡もその事態に気付いて、垂れた目に驚きを浮かべながら周囲をうかがう。
「……な、なんすか?」
「あのなぁ平岡。そういうのも今時セクハラだなんだ言われる時代よ。べっつに結婚してねえくらいでそんな」
「だっておかしいっす! こんないい男絶対女が放っとかない!」
「はいはい、その話終わりな〜」
佐々間が強引に話を終わらせようとしたところで、口を開いたのは真木だった。
「そっか、平岡くんは半年前に異動をして来たから、知らないんでしたね」
真木の表情に無理をしている様子はない。周囲が真木の顔色を見る目をしていたからか、真木は思わず苦笑を漏らした。
「いいんですよ、隠しているわけでもありませんから。それに、あとから人伝に伝わるより、僕の口から言っておいたほうがいいですし」
「っても課長、言いたくなけりゃ別に」
「佐々間くんこそ、僕を甘やかさないでください。……平岡くん、僕の恋愛対象は男の人なんです。だから結婚はしていませんし、これからもする予定はありません」
平岡の垂れていた目が、一瞬で元に戻った。
酔いが覚めたのかもしれない。あるいは、周囲の空気にハッとしたのか。平岡はとっさに何かを言うこともなく、口をぽかんと開けて丸くした目を真木に向けた。
「驚きますよね。すみません。気持ちが悪いと思うなら、佐々間くんに相談してください。人事に言って異動をすることも出来ますから」
「あ、いえ……すんません、おれ……」
「大丈夫ですよ。最近は比較的そういったことも受け入れられるようになって来たとはいえ、やはり受け入れられない人のほうが多いことも分かっているつもりです。……昔ね、同じように結婚の話で盛り上がったことがあったんです。やはり歳をとるとそういう話は避けられませんから。そのときに、今のメンバーの方にはお伝えしました」
平岡がぽかんとしたまま周囲を見渡せば、周りの社員たちはみんな訳知り顔でうなずいた。
「まあ、そうは言っても僕ももう四十なので、異性が好きだったとしても立派な売れ残りです」
「え! てかすんませんおれ! あ、気持ち悪いとかないっす! 本当課長を尊敬してますし、尊敬する課長の一部がそれなら別に……いや違う、えっと、男の人が好きだからって、課長は課長なわけですし!」
ただ、びっくりしちゃって、すんません。
平岡は反省したように小さく呟いて、申し訳なさそうな顔で俯いた。
「気にしていません。むしろ、平岡くんに僕の口から話せて良かったです。受け入れてくれて嬉しい、ありがとうございます」
平岡がおそるおそる顔をあげる。
するといつも通りに微笑む真木と目が合って、平岡は一気に泣きそうな顔をして真木に抱きついた。
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