13 / 20

第13話

   * 「おはようございます、佐々間くん」 「おはようございます、課長」  真木はいつものように、眠たげにエレベーターを待つ佐々間に声をかけた。いつもならばあくびの一つでも漏らしそうなところだが、なぜか佐々間はじっと真木を見ている。  いつもとは違うその仕草に、真木は思わず首を傾げた。 「佐々間くん、何か言いたいことがありますか?」 「……んー、まあ言いたいことというか……ちょっと今日、階段で行きません?」 「…………いいですよ」  部下思いの真木ならば佐々間のように駄々をこねないだろうと思ってはいたのだが、想像以上に長い間を置かれたことで本当は階段で八階まで上りたくないんだろうなと察した佐々間は、心の中でひっそりと真木に謝っておいた。  当然ながら、朝の時間から階段を使う社員は少ない。染谷と上ったときもそうだったが、真木とやってきた今日も階段には誰もいなかった。 「それで、どうかしたんですか?」  真木は、染谷よりものんびりと階段を歩む。それは佐々間にちょうど良く、佐々間は無理なく真木の隣に並んでいた。 「……あー、いや……最近、染谷となんかありました?」  深い意味はなさそうな声だった。あまりにも自然なそれに油断していた真木は、「へ?」と素っ頓狂な声を出した。  そんな珍しい声に佐々間が反射的に振り向くと、真木のその表情に佐々間も驚いたように目を見開く。 「あ、えっと、何かとは、なんですか? 何か染谷くんが言っていました?」  真木の油断は一瞬だった。すぐに上司の顔に戻った真木は、いつものようににこりと微笑む。  佐々間は少しばかり目を逸らしたが、何かを考えるような間を置いて足元に目を向けた。 「いいえ、なにも。ただ……課長、大丈夫なのかなと」 「僕がですか?」 「……染谷、課長のこと気にしてますよ。恋愛的な意味で」  歩むたびに、非常階段を打つ革靴が音を鳴らす。その断続的な音を聞いていた真木は、佐々間の言葉に言葉を呑んだ。 「すんません、オレ、課長の過去のことある程度知ってます。本社の同期が教えてくれて……もちろん誰にも言ってませんし、オレが課長のことを尊敬するところにそれは一切響かないんですが……社内恋愛で部下って、課長は大丈夫なのかなと思って」  一つの音が止まる。一段先で、佐々間が足を止めた真木に振り向いた。 「これでも心配してます。あいつのせいで課長がダメになるところとか見たくありません」  じっと佐々間を見ていた真木は、少し間を置いてふっと笑う。 「気のせいですよ、染谷くんは女性が好きな方です。僕みたいな男で上司でおじさんを相手にするわけがないじゃないですか。ですが、そういうふうに見えているのなら、染谷くんとの距離感を改めたほうが良いですね」  真木は綺麗に感情を包み隠すと、すぐに一段上に居た佐々間を追い抜いた。  真木のことだ、佐々間を信用していないとかではなく、きっと本音は漏らさないだろうとは分かっていた。しかし今はあまり面白くない。佐々間はここに来てすでに五年、それなりに長く真木と仕事をしているし、佐々間はすっかり真木に気を許している。恋愛感情ではなく、佐々間にとって真木が恩人だからこそ、真木の大切な領域から弾かれたことが面白くなかった。 「オレはいいと思いますよ」  佐々間は慌てて真木を追う。真木は足を緩めることなく、横目に振り向いた。 「いいじゃないですか、社内恋愛。一回失敗したらダメですか? オレはいいと思いますよ。てか、オレも社内恋愛ですしね。……一度ダメなことがあったからって、気に入る相手が居てアプローチしないって、もったいないです」 「……ですから、僕たちはお互い何とも思っていなくて……」 「オレ、実は恋人って言ってる相手と付き合ってないんです。オレが強がって言ってるだけ。そう言ってれば、本当に恋人になれるような気がしてます。でもまったくうまくいきません。全然相手にされてないっつーか……ただのセフレなんですけど、相手は年上だし、社内だし、挙句男ですよ。馬鹿らしいですよね、そんな関係に希望持って。相手はバツイチで女が好きだっつーのに」  諦めたような佐々間の言葉に、真木がとうとう振り向いた。  視線の先には、悔しそうに眉を寄せる佐々間が居る。そんな表情は常に勝気な佐々間には珍しく、先ほどの話が嘘ではないと容易に理解できた。 「佐々間くん、あの……」 「オレは、アプローチしたくてもできません。だって無駄だから。オレの気持ちなんか分かってて相手にしてもらえないんすよ。でも課長は違うでしょ。チャンスあんのにそれ捕まえねえとか……そりゃあ過去あんなことがあったから二の足踏むのも分かりますけど、臆病になってるだけなら理解できない」  コツン、と革靴が響く。  もうすぐで八階。あと十数段先のゴールを前に、二人は並んで足を止めた。 「課長、染谷のこと好きじゃないんですか?」  どこか強い声だった。だから真木は何も言えなくて、ただ音を出さずに口を動かす。 「オレね、課長が染谷のことで困ってるなら心配でした。でも違うみたいなんで……応援しますよ。お互い、頑張りましょうね」  佐々間にしては無邪気に笑って、「お先です」と残りの階段を駆け上がる。  見送った真木は困ったように笑いながら、誰もいないその場で軽くため息を吐き出した。 「……好きですよ。好きに決まってるじゃないですか」  九年前。染谷のことをテレビで知った。  数年後、そのときの子が同じ会社に入社して、バレー選手として活躍していることも知った。  別に恋愛というわけではない。ただ本当に、九年前の真木には当時の染谷があまりにも眩しくて、ただ忘れられなかっただけである。  だから、一度だけ試合を観に行ったことがある。  彼が変わらず自由で綺麗で真っ直ぐなバレーをしているところを見て、真木は心底ほっとしたものだ。  染谷は心からバレーを楽しんでいた。テレビで観たときよりも楽しそうに笑っていた。親心からか、真木はそんな染谷の姿に勝手に涙を流したものだ。  彼が夢を追えているならいい。  その気持ちだけを抱き、たった一度を最後に試合を観に行くこともなく、真木は前向きに仕事に取り組んでいた。  そんなある日、真木が本社に研修があって顔を出したときのことだ。 「え、今来てるあの人、ゲイなん?」 「らしいよ。なんか昔刺されたらしい」 「嘘だろ? 社内?」 「社内恋愛だって聞いた。部下の男に手ェ出してたんだってさ。んでなんか浮気? かなんかで刺されたって」 「へ〜、見た目からは分からんもんなんだな。おれたちも狙われてたりして」  軽く笑い合う会話を聞いて、真木はその場を動けなくなった。  会話をしていたのは、さっきまで一緒にオフィスに居た新入社員だった。今は休憩中なのか、自販機の前で集まっている。 「んでもさ、正直困るよなぁ。もし好きになられても気まずいだけじゃね? 社内だけは勘弁してほしい」 「いや分かる、あいつといい感じなんかなとか、同じオフィス内で感じたくないわ」 「あの人本社の社員じゃなくて良かったな。今日帰るんだろ?」 「じゃない? 細かい日程知らんけど、研修のために来てるだけだろうし」  いよいよ出られなくなった真木は、どうしようかと身を潜めていたのだが、 「男が好きとか意味分からんわ。気持ち悪いんだよなぁ、そんな目で見られても」  その言葉で、そこの通路を通り過ぎることを諦めた。  一旦オフィスに戻ろうと踵を返す。気持ち悪いと思われることも、気まずさを感じられることにも慣れた。自分が邪魔者だということもよく分かっている。そんなこと、あの事件以来何度も自分に言い聞かせてきた。  真木が早足で歩いていると、角から出てきた社員とぶつかった。  それが、染谷だった。 「うわ、すんません」  染谷がもっていた書類が散らばる。最初ぼんやりとしていた真木は、すぐに遠くに飛んでいった書類を追いかけた。 「いえ、僕がすみません。これ」 「ああ、どうも」  代表合宿の案内。書類にはそう書かれていた。  ああ彼は順調に夢に進んでいるのだと、そう思えば、先ほどまでズキズキとしていた真木の心も幾分和らぐ。 「バレー、楽しいですか」  書類を渡しながらなんとなく問いかけた言葉に、一瞬だけ驚いた様子を見せた染谷は、それでもすぐに明るく笑った。 「楽しいですよ、めちゃくちゃ。ここのチームみんな強いし仲良いし、一番楽しいバレーできます」 「ふふ、そうですか。それなら良かった」 「……あれ、俺たち知り合いでしたっけ?」 「いえ? 初対面ですよ。すみません、馴れ馴れしく声をかけてしまって」 「別に……あ、そうだ」  染谷が腰を曲げ、真木の顔を覗き込む。 「試合見て泣いてた人」  たった一度だけ見た試合では、真木は深く帽子をかぶっていた。成人の男が泣いているなんて恥ずかしくて、けれども目を逸らせなかったから仕方なしの処置だった。  もしかしたら、試合の合間にでも大型スクリーンに真木が映されていたのかもしれない。成人の男が泣いているなど記憶にも残るだろう。 「あはは、あのときの人、社内の人だったんですね。もう泣いてないですか」  あまりに綺麗に、染谷が笑う。  先ほどまで感じていた心の重さは、いつの間にか消えていた。 「はい、おかげさまで」  真木は二度救われた。  だから染谷の一件を聞いたとき、力になれるならと二つ返事で彼を受け入れる選択をした。  あんなにもチームを大切にして、バレーを楽しんでいた彼が挫折をしていいわけがない。そう思ったから、またバレーが出来るようにとたくさん働きかけもした。  染谷には特別、分かり難くではあるが、構っていた自覚はある。  まさかそれを、佐々間に見抜かれていたとは。 「僕は彼の邪魔をしたらいけない」  八階の非常階段の扉の外からは、出社した社員の明るい声が聞こえる。 「……染谷くんは、普通の人なんだから」  異性が恋愛対象の、日本代表にもなっている有名なバレー選手。男で上司でうんと歳上から好かれるなど、あまりに迷惑で醜聞である。 「僕は、彼の邪魔をしない」  佐々間から指摘を受けたのは誤算だった。誰にも気付かれていないと思っていた。  もしかしたら、染谷とキスをしたとか、染谷が真木のことを知っても拒絶をしなかったとかそういうことが重なった上に、キスをされたから浮かれた空気を出していたのかもしれない。 「僕は、彼の邪魔になるから」  小さく小さく、まるで言い聞かせるように呟いて。  真木は数度深呼吸を繰り返すと、ようやく薄暗い非常階段の重たい扉を開けた。  真木が少しだけ遅れてオフィスにやってきたことに、違和感を覚えたのは佐々間だけだった。佐々間はじっと真木を見ていたが、真木は何ともない顔をして「さっきの話は内緒にしておきますからね」と佐々間にそっとささやく。  そのほかは何も言われなかったからか、佐々間はやけに腑に落ちない顔をしていた。 「そんだけですか」  思わず佐々間がそう聞いたのは、ほぼ反射だった。しかし真木は慌てることなく柔らかな笑みを浮かべる。 「それだけですよ。……相談があったらいつでも言ってください。僕で力になれるなら、必ず手助けをしますから」  真木の様子に嘘はなさそうだったから、佐々間はひとまず「課長の手助けなら一番有効ですね」とだけ返しておいた。  しかしそれで佐々間の気持ちがおさまるわけもない。なにせ今日は何故か染谷も真木を気にしているし、染谷に凡ミスが多い。さすがに発注数を間違えることはないが、誤字脱字やコピー数の間違いなど、普段はしないような些細なミスが多かった。  やはり何かがあったに違いない。なんとなく察した佐々間は真木をチラチラと窺っていたのだが、 「そうだ、佐々間くん」  佐々間からの視線に気付きながら、真木がようやく佐々間に声をかけたのは昼休憩の時間だった。  他の社員はおおよそ外に食べに出ている。染谷も八代に連れ出され、残っているのは少数だった。 「はい、なんすか」  佐々間は朝買ってあったおにぎりを取り出したが、真木がやってくると立ち上がる。しかしすぐに真木に肩を抑えられ、無理やりチェアに座らされた。 「今週金曜日のバレー、みんなには来ないように『体育館の点検がある』とそれとなくと伝えておいてもらえませんか」  小声で告げられたそれに、そんな内容と思ってもいなかった佐々間は当然眉を寄せる。 「どうしてそんなことを?」 「ちょっと事情があって。ふふ、佐々間くんは見学に来てもいいですよ。あ、でも内緒で来てくださいね」  佐々間には真木が何を考えているのか分からなかったが、ひとまず頷くことしか出来なかった。   「お疲れ様です、染谷くん」  染谷からキスをしたあの夜から、数日後の金曜日。まさか真木だけが居るとは思わなくて、体育館にやってきた染谷は足を止めた。 「……お疲れ様です。どうしたんですか」 「バレーをしようと思いまして」 「最近来なかったじゃないですか」 「ふふ、この間気にされていたみたいなので、それなら一緒にバレーをしようかなと」  体育館の鍵を開けた染谷は、入る前にじっと真木を見下ろす。その目は睨むようやものではなく、どこか探る色をしていた。 「…………そうですか」  けれども、真木に向けた言葉はそれだけである。  言いたいことを飲みこんだような染谷の様子が少し引っかかったが、真木はひとまず中に入った染谷に続く。 「もう、来ないかと思いました。あの日からなんか、避けられてるとは違いますけど、距離置かれてる気がしてたんで」  真木は、染谷の邪魔をしないと決めてから、やんわりと距離を置いていた。もちろんそれまでよりも分かり難い範囲でだ。  けれども染谷にはお見通しだったらしい。もちろん肯定することはないが、真木はひっそりと感心していた。 「すみません、気にさせてしまって。上司失格ですね」 「上司……あー、まぁそうではないですけど」  今日の染谷はどこか歯切れが悪い。しかしネットを張る手際は良く、表情と動きがちぐはぐだった。 「今日はあんたしか居ないんですね」 「寂しいですか?」 「そういうわけではありませんけど」 「実はみんな予定があるみたいなので、今日は帰ってしまいました。僕一人ですみません」 「そんなことが言いたかったわけでもないです、別に」  段取り良くコートを作ると、染谷はストレッチを始める。先ほどから目が合わない。  こんな状況を見ると、染谷から距離を置いているのが真木というより、染谷が真木を避けてでもいるようだった。  けれどもちろん、真木はそんなことを指摘しない。あの日のことを思い出させるようなことを染谷に伝えるのは彼を邪魔することなのだと、真木はよく分かっているからだ。 「う、いたた……染谷くんは柔らかいですねぇ。僕なんてつま先に触れません」  染谷を真似してストレッチしていた真木は、長座体前屈で確かに指先がまったくつま先についていない。惜しいところまで近づいてもおらず、少し倒した程度で震えていた。 「……いけませんね、怪我をしやすい体になってます」 「ふっ、そこじゃないでしょ」  真木をじっと見ていた染谷が、かすかに笑みを漏らす。その気配に気付いたけれど、真木はそれも確認しなかった。  やがて染谷はストレッチを終えたのか、ボールを一つ取り出した。時刻は午後七時前。真木は体育館の時計をちらりと確認し、染谷に続く。 「今日こそサーブを返してみせます」 「まだ諦めてなかったんですか……無理ですって」 「まあまあ、やってみましょう!」  真木が反対のコートに向かうのを、染谷はため息交じりに見送る。  どうせ強く言ったって聞きやしない。ここ数カ月で真木のことが分かってきた染谷は、強く引き留めることが無駄だとも分かっていた。  見た目や雰囲気に反して意外と頑固で、意外と機転が利く。周りを良く見ている。少々読めないところもあり、上司の顔の裏側には、卑屈で臆病な男が隠れている。  そんな男にどうしてキスなどしてしまったのか。  ぼんやりとそんなことを考えながら、染谷は数度ボールを突く。 「さあどうぞ! できれば僕が取りやすいところに打ってください! あとちょっとだけ優しく!」 「注文多いっすね」  そうしたところで取れるとも思えないのだが。  染谷は出来るだけ真木の注文を取り入れながら、一本目を打った。  強烈な音が体育館に響く。  ボールは、真木の少し前に落ちて跳ねた。 「わ! おしい!」  真木の手には触れなかったが、反応できたことが嬉しかったのか、真木はすぐに「もう一回」と人差し指を立てる。 「はー……ほんと、なんであんなに無邪気なんだあの人……」  本当に自分より歳上か? と時折考えてしまうほど、少年のように笑う瞬間がある。  もう一本、今度は取りやすい位置にサーブを打ってやれば、真木の片腕がボールに当たった。痛みもあるはずなのだがそんなことはどうでも良いのか、真木はさらにキラキラとした目で「当たった! 見ました!?」と先ほどよりも嬉し気に笑っていた。そしてやはり「もう一回お願いします!」と続く。  明らかに男。自分よりも歳上。見た目には若いがしっかりとおじさん。そんな相手と分かっているのに、染谷は一瞬、とんでもないことを思ってしまった。 「笑顔が可愛いとか、マジか」  そんな思考にげんなりとしながら、染谷はさらにもう一本サーブを打つ。  軌道はまっすぐに真木の腕。もはや真木が動かなくて良いようにと気を遣った結果である。  驚いて逃げるかと思いきや、真木はなんと動くことなくじっとボールを見ていた。受けやすいように膝を曲げ、腕に力を込める。ボールが当たる直前、真木は染谷に返すために当てる位置まで整えていた。  しかし。  痛々しい音を立てて腕に直撃したそのボールは、想定とはまったく違う方向に弾かれた。  思わず尻餅をついた真木がボールを見送る。ボールはネットを張っていない隣のコートにてんてんと転がっていた。 「大丈夫ですか!」  染谷が慌てて真木に駆け寄る。  腕が痛いのではないかと心配していたのだが、やってきた染谷に振り向いた真木の目は、先ほどまでよりもキラキラとしていた。 「見ましたか⁉ 受けられました! 染谷くんの重たいサーブ、僕、受けたんです!」 「いや、見ましたけど……腕痛いでしょう」 「痛いですが、栄誉の負傷です! ふふ、やっぱりバレーは楽しいですね」  染谷に差し出された手を、真木は素直に受け取って立ち上がる。  腕は痛いが、気持ちはすっきりとしていた。 「染谷くんはどうですか? バレー、楽しいですか?」  流れで問いかけられたそれに即答できなかった染谷は、真木から離れるようにパッと背を向けた。 「……さあ。ただ最近は、おせっかいな人たちが集まってバレー教えろだの簡易的な試合しろだの騒がしいんで、悪くないとは思ってますよ。素人のお遊びバレーですけど」 「いいじゃないですか。やはり楽しいことをやりたいですから」  ネットをくぐる染谷に続き、真木も反対側のコートに向かう。どうやら染谷は水分補給に戻ったようだ。今日は準備していたらしく、自身のカバンからスポーツドリンクを取り出した。 「まあ、そうですね。会社辞めようって思ってたんですけど、なんかここでぼんやりお遊びバレーしてんのも悪くないかもです。そのうち教室とか開いて次世代の選手育てるとかも楽しそうですし」 「だけど染谷くんは教えるよりも、試合が楽しいんじゃないんですか?」  午後七時半。真木は時計を一瞥し、染谷の横顔を見上げる。 「だって染谷くんは、今のチームメイトとする試合を楽しんでいるように見えました」 「……なんすかそれ。それ聞いて何になるんですか。俺言いましたよね、チームには戻れないって。俺は邪魔者なんですよ。居るだけで空気悪くなるし、どっか行ってくれってチームから外されました。分かって言ってます?」 「分からないから言っていますよ。染谷くんは邪魔者なんかじゃありません」 「……何も知らないくせに、知ったように言わないでくださいよ」 「別に俺たちは邪魔だなんて思ってねえよ」  ガタン、と音がして、体育館の扉が開いた。染谷と真木の目が入り口に向かう。  一人、二人、体育館にはぞろぞろと、染谷にとっては見知った顔が入ってきた。 「……なんで、ここに居るんですか」  立っていたのは間違いなく、かつて染谷が共に試合をしていた、チームメイトたちだった。

ともだちにシェアしよう!