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第14話

「えっと、真木さん、はじめまして。お時間いただきありがとうございます」  男たちの先頭にいたひときわ体格の良い男が、申し訳なさそうに真木に軽く頭を下げる。  真木はにこやかに彼を見上げた。 「はい、はじめまして。たしか、キャプテンの飯塚さんですよね。みなさんも、遠路はるばる来ていただきありがとうございます」 「……真木さんが呼んだんですか」 「だって染谷くん、バレーがしたいのに素直になれないみたいでしたし……勘違いをしていたみたいだったので」  何が勘違いなもんかと、そう噛みついてやりたいのにチームメイトの手前気まずくて、染谷は険しい顔で目を伏せる。  少しばかり沈黙が訪れた。チームメイトたちも言葉を選んでいるのか、みな目配せをして相談しているようだった。  そんな空気を割いたのは、やはりキャプテンの飯塚だった。 「染谷、俺たちがここに来た理由を教えるよりもまず、謝らせてほしい」  そんな強い言葉を皮切りに、チームメイトの泳いでいた視線が一気に染谷に向けられる。染谷が驚いたように固まっていると、飯塚がはじめに頭を下げた。 「悪かった! 俺は、キャプテン失格だ」  飯塚が頭を下げると、集まっていた全員が同じように「悪い」「ごめん」「すまなかった」とそれぞれ伝えながら頭を下げる。  染谷の指先がピクリと揺れた。驚いたような目はすでにチームメイトには向けられておらず、やはりやや伏せられている。 「怪我をして不安定になっているおまえを一番気に掛けないといけないのは俺たちだった。それなのに俺たちはおまえに酷い態度をとった。仲間として最低な対応をしたと思う」 「……いや、普通に俺の態度が悪かったので……ていうか別にいいですよ、謝ってほしいわけじゃないんです。だから気にしないでください。来てもらったところ悪いんですけど、もう帰ってもらっても、」 「拓海、バレーやめんのかよ」  飯塚の後ろから、やや身長の低い男が鋭い声で問いかけた。  セッターポジションの森晃樹は、染谷と同期であり、同じタイミングで実業団チームに所属した。学年が同じであるため、学生時代の春高での話題はもっぱら森か染谷である。二人は学校が違っていたからそれぞれ目立っていたが、森は染谷の学校に勝てたことがなく、同じチームになったことを悔しがっていたと何かの雑誌で語っていたこともある。  真木はやり取りを眺めながら、選手の顔を記憶と照らし合わせていく。 「関係ないだろ、俺がどうしようと」 「別のチーム行くとか言わねえよな」 「なんだよ、俺が敵チームのほうがいいんだろ」 「ふざけんなよ! おまえ、一緒に世界でてっぺん取るって約束したじゃねえか!」 「森!」  森が前に出て染谷に勇み足に近づこうとしたところを、引き留めたのは飯塚だった。 「そんなこと言いに来たわけじゃないだろ」 「だって飯塚さん……」 「染谷、チームに戻ってきてくれないか。やっぱりおまえが居ないとうちのチームは成り立たない」 「……ああ、負け続けてるんでしたっけ。都合良いですね、そんで戻ってもまた同じことですよ」 「そうじゃない」  森が落ち込んで俯いているのを見て、飯塚が慰めるように背中をさする。 「仲間にした仕打ちを考えて、結果的に仲間一人を追い出した形になって、俺たちの心が疲弊しているんだ。試合だけじゃなく、練習にも集中できていない。監督にも怒られたよ。だけど怒られたところで、おまえに合わせる顔もなくてどうすればいいのかも分からなかった。そんなときに、真木さんから提案をもらったんだ」  染谷の目が、近くに立つ真木に向けられる。 「栄田専務にお願いして、みなさんがここに来られないか打診していただきました。顔を見て話をしたほうが良いと思って」  だから今日は真木以外がここに来なかったのかと、染谷はようやく理解した。 「染谷くんは口癖のようにバレーも会社も辞めると言っていましたから、はっきりさせるべきだと思ったんです。そういう人生を大きく左右することはね、勢いで決めることでも、もやもやしたまま決めることでもありません。一旦すべてすっきりした状態で、もう一度考えてほしいんです」  染谷は複雑な表情で真木を見ていたが、おそるおそるチームメイトに目を移す。  想像とは違い、チームメイトは申し訳なさそうに眉を下げていた。 「みなさんは、染谷くんとまたバレーがしたいそうですよ。大好きな染谷くんとのバレーが楽しいんだと思います。染谷くんはどうですか?」  飯塚も森も、他のチームメイトも、染谷の答えを緊張気味に待っていた。体育館が静まり返り、音が失せる。  その中で、染谷は小さく息を吸い込んだ。 「俺も、すみませんでした」  ゆっくりと、染谷が頭を下げた。 「何の相談もせずに一人で抱え込んだ気になって、突っ走って、むしゃくしゃして、ひどいこと言ったと思います。もっとチームのこと信頼してたら良かったって今なら思えます。すみません」  下げたときと同じほどゆっくりと頭を上げた染谷は、少しだけ気まずそうな顔をしていた。 「また、一緒にバレーしたいです」  染谷のその言葉を聞いた瞬間、チームメイトたちが「よっしゃ!」と強い言葉を交えてガッツポーズを決めていた。  飯塚は力が抜けたのかしゃがみ込み、森も安堵したようにほっと胸を撫でおろす。  しかし。 「でも」  続いた染谷の言葉に、またしてもその場が止まった。 「俺異動してきてるんで、今すぐには戻れません。それにここのオフィスの人たち、たぶん俺が整理したファイルの場所とか分からないと思いますし、資料作りも下手な人多いし、コピー用紙の補充とか都度やらないから大変なんで、放っておけないんですよ」  今使っているリストのほとんどを染谷がエクセルの関数を使って簡略化しているし、注文書も過去二十年分がぐちゃぐちゃに残されていたから染谷が整理したばかりでこれからも心配である。営業部第二課の社員は真木の言う通り優秀ではあるが、細やかなことが苦手な社員が多く、営業の仕事以外はめっきりポンコツだった。  きっと染谷が居なくなれば、また大変なことになるに違いない。そんな未来が想像できてしまい、染谷はげんなりとため息を吐く。 「……おまえ、こっちでちゃんとやってたんだな」  飯塚がぽつりと呟くと、染谷は聞き捨てならないとでも言いたげに眉を寄せた。 「そうですね、うちの子たちはみんな染谷くんが大好きなんです。最初こそぶつかりましたが、今では染谷くんはうちの主力ですから」 「……やっぱり、本社に戻すのは難しいですか」 「いいえ? 大丈夫ですよ」  真木は慌てることなく微笑むと、すぐに染谷を見上げる。 「実は染谷くんはまだ、本社に在籍しているんです」 「えッ!」  いくつの驚愕の声が重なったかは分からなったが、染谷も同じく驚いたのか、ポカンと口を開けていた。 「ふふ、異動はフェイクですよ。みなさん出社する社員じゃないので分からなかったかもしれませんが、実は正式な辞令は出ていません」  朗らかに告げる真木とは裏腹に、その場にいた全員があっけにとられている。 「なので染谷くんはいつでも戻れます。ただ、染谷くんの言うように引き継ぎは必要になりますので、少し時間はいただきたいですが」 「も、もちろんです……ありがとうございます。その、配慮してくださっていたみたいで」 「僕ではなく、栄田専務ですよ。知っていましたか? 栄田専務は染谷くんの大ファンなんです。絶対にチームから外したくないからと、休養の時間をくれました」  チームメイトたちはようやく事情を理解したのか、安堵したように笑っていた。飯塚も森も、これでようやくみんなでバレーが出来るのかとホッとしている。  ただ一人、染谷だけは表情が固かった。 「染谷くん?」 「……いえ、あ、はい。そうですか。……俺は、戻るんですね」 「染谷! 良かった本当に、おまえが居ないと締まらないんだよ!」 「おまえが戻ってきてくれるならようやく本気で練習できるわ!」  わっと集まってきたチームメイトに囲まれながら、染谷は次々に声をかけられている。  真木が少し染谷から距離を取ったところで、真木のそばに飯塚がやってきた。 「本当にありがとうございました。酷かったでしょう、ここに来たばかりの染谷は」 「ええ、ツンツンしていましたよ。目に入るものすべてを威嚇して遠ざけていました」 「そうですか。……染谷はここで大切にされていたんですね。最後に見たときとはまったく顔つきが違うので驚きました。本来俺たちがケアすべきだったのに……本当に、感謝してもしきれません」  飯塚が眉を下げて笑う。 「なるべく早く染谷くんが復帰できるように引き継ぎをしますから、待っていてください。うちの子たちはみんな寂しがるでしょうけれど……試合は必ず観に行きます」 「はい、ぜひ」  その日は結局、せっかく来てくれたのだしと選手たちで練習をして解散となった。  新幹線の終電の関係であまり長くは出来なかったが、染谷もチームメイトたちもみんな満足そうにしていたから良い時間だったのだろう。  チームメイトを見送った真木と染谷は、二人で社宅への帰路をたどる。 「楽しそうでしたね」 「……まあ、はい。ありがとうございました。なんか余計な気回してもらって」 「なんだか含みのある言い方ですねぇ……」  そう言うくせに、真木は楽しそうにクスクスと笑う。 「来週から忙しいですよ。しっかり引き継ぎしておいてくださいね。いつ頃本社に戻るかは栄田専務とも話し合ってみます。一応異動扱いになっているので、違和感があるようならしばらくは長期出張扱いで戻っても良いですし……」  そこまで話したところで、真木はぴたりと足を止めた。  隣に居たはずの染谷が居ない。くるりと振り向けば、数歩手前で足を止めている。 「どうしました?」 「あー……なんというか、大丈夫ですかね、俺が居なくなって」 「大丈夫ですよ。大丈夫じゃなくても、大丈夫にします」 「でも八代さんとか、本当に整理整頓が下手なんですよ。デスクもぐちゃぐちゃで、出したファイルもあった場所に戻さないし……佐々間さんも、資料作りは丁寧なんですけど、経理とか総務に出す書類の期限守りませんからリマインドが絶対必要ですし、抜け漏れもたまにあったりして、三上さんもしっかりしているように見えますけど、この間商談に資料忘れて行ったんですよ? 俺が気付いてすぐメールで送ったから良かったけど、気付かなかったら商談相手にどやされてました」  心配そう、というには少し複雑な表情で、染谷は言葉を吐き出していく。 「平岡さんだっていっつも元気に見えますけど、あの人自分のご機嫌取りできないみたいで情緒安定しないし……田岡さんはぼんやりしてるから締め切りの認識が誰よりも低くて、松井さんはおしゃべりしながら作業するから絶対に資料のダブルチェックは必要です。今は俺がやっているからいいですけど……」 「そうですか。染谷くんはみんなのことをよく見てくれていたんですね。いつも見えないところでフォローしてくださりありがとうございます」 「そうじゃなく……」 「染谷くん」  立ち止まった染谷に、真木は数歩で近づいた。 「寂しがってくれてありがとうございます。みんなきっと喜びますよ。だけどね、君はバレーをするために生まれてきたような人だから、みんなきっと、染谷くんが本社に戻ると知ったら染谷くんの心配事を退けようとしっかりしてくれるはずです」 「……あんたも?」 「もちろん。僕も全力でしっかりしようと努めます」  染谷の目が少しだけ揺れて、ふっと下がる。 「染谷くんが居なくなったらみんな寂しいですよ。居なくなっても良いと思っているわけでもありません。染谷くんが居てくれたら嬉しいですし、染谷くんの抜けた穴を塞ぐなんて誰にもできませんが……それでもね、染谷くんがどこに居るべき人なのかをみんな分かっていますから」  一緒に頑張りましょうねと、そう続けようとした真木だったが、うまく言葉を吐き出せなかった。  染谷の手が、真木の手に触れたからだ。 「そ……染谷くん……?」  久しぶりのそういった接触に、真木の頬が熱くなっていく。振り払うにも失礼かとやんわり手を引いたのだが、思った以上にしっかりと握りしめられて離すことが出来なかった。 「すみません、なんか……いろんな気持ちがあって。チームに戻れるのが嬉しいとか、でもここが心配だとか、あんたが勝手に立ち回っていたこととか、なんかいろいろぐちゃぐちゃなんです。不安なんですかね」  ああ、彼は今誰かに縋りたい気持ちなのかもしれないと、察した真木はすぐに手を握り返した。 「大丈夫ですよ。染谷くんのこれからの未来は明るいものでしかありません。これからきみはまた楽しいバレーが毎日できるようになります!」  染谷の手を両手で包み込むと、真木は胸元でさらに強く握りしめる。  染谷はただ小さくうなずき、じっと真木を見下ろすだけである。  そんな染谷の様子が気になったのか、染谷をなだめようと必死に真木が言い連ねる。どれほど染谷がすごいのか。どれほど染谷が素晴らしいのか。どれほどこの会社に、そしてチームに必要なのかを、手を握ったまま必死に告げる。  その様子を、やはり染谷はじっと見ていた。 「分かりましたか? 染谷くん。不安がることはありません。染谷くんはこれからもみんなから注目されるような、誰もが必要とする人です」 「好きです」  真木の言葉と染谷の言葉がやや重なった。  真木は何を言われたのか分からず、ただ目を丸くしていた。聞き間違いに違いないと思ってはいるが、なんだかいたたまれなくなり、そっと手を離す。  しかし染谷の手が追いかけ、離れることは許されなかった。 「染谷くん……どうしました?」 「あー、いや、たぶん俺、あんたのことが好きです。恋愛とかしたことないんで正直よく分かりませんけど……」  照れた様子もないその曖昧な言葉が、あまりにも染谷らしい。  真木は告白をされたというにはあまりに淡白な状況に、一瞬ぽかんと呆けていた。 「……聞いてます?」 「え、あ、はい、聞いていますよ。そんなに僕のことを気に入ってくれてありがとうございます。ですが、染谷くんは恋愛をしたことがないので、きっと間違えているだけだと思います。ほら、残念ながら僕がファーストキスになってしまいましたから、錯覚している可能性が高いかと」 「そうなんですか?」 「そうですよ。安心してください」  染谷の手から力が抜けたのを感じた真木は、するりと手を離した。  きっと染谷の「いろいろな感情がぐちゃぐちゃで不安」と言っていた中には、真木への感情も含まれるのだろう。それもそうだ、初恋を知らない染谷がいきなり男で上司で一回り以上歳上の男にキスをされ、そのせいで気になってしまっているのだから。  ようやく前を向いて歩けるようになった染谷の足を、真木の失態で引っ張るわけにはいかない。  真木はもう大丈夫だろうと歩き始めたのだが、染谷がついてくる気配がない。それにどうしたのかと振り向けば、染谷は先ほどとは少し違い、腑に落ちない顔をしていた。 「どうしました? 帰りますよ」 「……今の告白であんたの敬語が抜けなかったことが結構面白くないんですけど、これって恋じゃないんですか」 「ええ、違います。大丈夫ですよ」  はっきりと否定してあげたのに、染谷はやはり腑に落ちない顔をしていた。  けれども帰ることには賛成だったのか、ようやく染谷の足が動く。 「……なにがあれば恋なんですか。なんか難しいですね」 「恋愛は簡単ですよ。染谷くんもそういった人に出会えば分かります。今はバレー中心なので難しいかもしれませんが……」 「元カレとはどうだったんですか。出会った瞬間に恋とか分かりました?」  染谷をちらりと見上げ、他意のない様子を確認した真木は、すぐに前に視線を戻す。 「……いいえ? 出会った瞬間には分かりませんでしたよ。男女なら分かるのかもしれませんが、お相手は元々男女どちらも好きになれるタイプでしたし、男同士ということもあったので」 「へぇ。何年くらい付き合ったんですか」 「何年でしたかね……五年くらいだったと思います」 「どこが好きだったんですか?」  ほんの一瞬、真木がふっと目を伏せた。  目ざとくそれを見ていた染谷はそれでも何かを言うことはなく、視線を上げる頃にはいつもの見慣れた横顔に戻った真木からすぐに目をそらす。 「そうですね……どこだったんでしょう。僕を引っ張ってくれるところとか優しいところとか、そういったありきたりなところだったような気もしますし、もっと別のところだったような気もします」 「そんなもんですか」 「そんなものですよ」  染谷はやはりなんとなく腑に落ちなかったが、それ以上はもういいかと話題を深追いすることはなかった。

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