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第4話 ミッション終了

 夏休みが終わって、新学期が始まった。  何かが始まる特別の日だけは、父は俺たちに声をかける。 「君彦、来年からは中等部になるんだ。その心構えをしっかりと持ちなさい…それから、昭彦。人生は勉強が全てではないが、お前ならもう少し出来ると、父さんは信じている」 「はい。父さん。それでは、いってまいります」    俺たちは玄関先に停めている黒塗りの車に乗り込んだ。 「なぁ…昭彦。上手くいけば、離れに行けるぞ」  兄は車内で、声を潜めて得意気に言った。 「ほんと⁈…ねぇ、いつ?」 「だから、決行する日が決まったらすぐに言うよ」 「うん。わかった」  兄のその言葉で新学期が始まる前の面倒くさい気分は、一気に吹き飛んだ。    そして、新学期が始まって二週間ほど経ったある日。夏休みの課題だった自由研究の発表の場で、兄の課題が学年の最優秀作に選ばれた。『カビは僕たちの生活を豊かにする』というものだった。カビの生態をよく調査し、子供ならではの切り口で、もっとカビを役立てようとするその発想が面白いと評価された。 「お兄ちゃん、すごいね」  俺は兄に羨望の眼差しを向けた。すると、兄はニヤッとして、俺に言った。 「昭彦…決行するよ。離れに行くんだ」 「…えっ?」 「俺は表彰されて、もう、成功者になったんだ。だから、あそこに行っても、バチは当たらないさ」 「あっ、そうか。すごいお兄ちゃん」 「いい?…絶対に誰にも言っちゃだめだよ。今日の夜中の三時に決行だ。俺が昭彦の部屋に迎えに行くから、黒っぽい服を着て待ってて。だから今日は早く寝るんだよ」 「どうして、黒い服なんだよ」 「黒い服はさ、暗い所だと見つけられないんだよ」  その日、夕食後はいつものように兄弟でふざけたり、我儘を言ったりして、ばあやに怪しまれないように振る舞った。  パジャマから黒い服に着替えも済ました。俺はドキドキしながら、ベッドに入った。  決行時間前にしっかりと起きて兄が来るのを待っていたが、また俺は眠ってしまっていた。兄が俺の体を揺すり、昭彦、起きて、と言う声で目を覚ました。 「ごめん…寝てた」  俺は目を擦りながら言った。   「ううん…いい?行くよ」  俺はスリッパを履いて、パタパタと兄の後ろを追った。 「昭彦。スリッパはダメだって。音がするだろ。靴下履いておいで」  俺は兄の言う通りにした。  俺たちは、自分の家であるのにもかかわらず、辺りをキョロキョロしながら、忍び足でリビングを通り過ぎた。暗い廊下を壁つたいに父の書斎まで辿り着いた。 「お兄ちゃん。大丈夫かな」 「大丈夫だよ」  兄は俺の手を繋いでくれた。  左側にやや曲がった廊下は、回廊のように庭を跨いで離れに繋がっていた。ガラス窓からは、庭園灯の光が池の水面に映ってゆらめいているのが見えた。  足音がしないように、慎重に離れの扉近くまで行くことができた。俺たちは、ふう、と息を吐いた。すると、その離れから声が聞こえた。 「お兄ちゃん…何かいる」  兄は、すかさず、しっ、と人差し指を口に当てた。俺たちは微動だにせず、その場で耳を凝らした。  扉の向こうから聞こえてきたのは、ああっ、とか、あん、とかの女の短い声と、獣の唸り声のような音だった。  俺は、兄と繋いでいる手に力を入れて、ぎゅっと握った。 「お兄ちゃん…誰かお祈りしてるのかな?…それに動物の声も聞こえるよね」    すると、兄は全てを理解した様子で、俺に優しく言った。   「昭彦…さぁ、戻ろう」  俺は兄の一言で、ホッとした。   「…うん。ここまで来たんだもんね」  そして、俺たちは、また忍び足でそれぞれの部屋に戻った。

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