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第9話

 正直、拍子抜けした。  あたりまえだが、期待していたなんてわけはない。ただ、なんというか。  あまりにも普通で。  普通すぎて、妙な感じがする。  今までメシに連れてけだの大学を案内しろだの、その前には家に来たいだの、あげくキスさせろとか、散々好き勝手に要求してきたというのに。 「なんだよ、海って」  と、光井もそう言った。  例によって、事あるごとに進捗状況を訊ねられ、三上ももう余さず話すことをためらわない。 「だよな。なんか、変だよな」 「なんかおかしなこと考えてんじゃないか? 海でおまえをどうこうしようとか」 「海で? 漠然としてんな。どこで何をどうするってんだよ」 「わかんねえけど。ほら、室内だと警戒されそうだろ。だから野外でだな」 「おまえの言い方だと、まるで俺があいつに犯られるみたいになってねえか? どっちかっつうと逆だろ。俺のが年上なんだし」 「いや、おまえはどっちかっていうと下だ。女側だ」 「なんでだよ」 「じゃあおまえ、抱きたいか? その男子中学生を」 「抱きたいわけねえだろ」  そう言って、三上は小さく咳払いをした。近くを司書が歩いてきたからだ。光井は何食わぬ顔で参考書のページに蛍光ペンを走らせている。  三上と光井は、大学併設の図書館の学習スペースにいた。テストが近いため、光井に勉強につき合ってもらっている。隅っこのほうで付近に人がいないとはいえ、こんなところで話すような内容でないことは重々承知している。ただ、光井が訊いてくるのだからしょうがない。 「それってさ、日帰りなのか?」  司書がいなくなってから、光井はまた身を乗り出して顔を寄せてきた。 「日帰りに決まってんだろ」 「じゃあまあ、大丈夫か。ガキだし、さすがに外じゃなあ」 「なんの話をしてんだっつの」 「まあ、せいぜい気をつけろよ」 「だから何にだよ」  光井の言いたいことはわかっていたが、三上は、ナオにそんな気はないだろうと思っていた。あいつがそんなまわりくどいことをするとは思えない。本当にその気なら、ちゃんとはっきり言うだろう。だからたぶん本当に、受験後の息抜きなのだ。 「それでおまえ、律ちゃんとはちゃんと別れたのかよ」  蛍光ペンにフタをして、三井が話題を変えてきた。 「え? ああ、いや。あれから連絡してねえし」 「マジで?」 「向こうからも連絡ねえし」 「おまえなあ」  光井が同情するみたいに眉根を寄せた。 「そういうの、よくないぞ。別れるんならさっさと別れてやれよ。かわいそうじゃん」 「いや、どっちかっつうと、フラれたの俺のほうじゃねえ?」 「そうさせたのはおまえだろ。ほんと、ひどいやつだよ。女心をもてあそんでさ」 「もてあそんでなんかねえけどさ」  でも、光井の言うことには一理ある。と三上は、他人事のように思った。  優しくない。  そう、自分が優しくないことは重々承知している。  優しく、なれない。  きっと、ちゃんと好きじゃないからだ。好きなような気がしていたけれど、たぶんそうじゃなかった。途中から面倒くさくなった。そういうのが、律には伝わっていたのだろう。 「ほんと、そうだよな」  思わず独りごちる。  律には、悪いことをした。  ナオにだって、きっとそうなるだろう。 「俺なんかと一緒にいたら、ろくなことになんねえよな」  ぽつりとこぼした三上の言葉に、光井は不安げな顔を向ける。 「あ、なんか気ィ悪くした?」 「いや? 全然」 「安心しろ、俺はおまえのことが好きだぞ」 「そりゃどうも。あ、そういやさ、海行くとき車貸してくんねえ? おまえ、自分の持ってただろ」  三上は、免許はとっていたが自分の車は持っていなかった。光井は去年、親が車を買い換えるさいにそれまで使っていたものをもらったと聞いていた。 「別にいいけど。家の車とか借りたりしないのか」 「んー、ちょっと面倒なんだよな。おまえがムリならそうするけど」 「別にいいよ。合格発表の後だろ? 俺その頃たぶんタヒチだわ」 「あいかわらずムカつくやろうだな」  三井が旅立つ前に車の鍵を預かる予定にして、三上はテスト勉強に没頭することにした。

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