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第10話

 三上の在籍する家庭教師斡旋センターは、駅前のビルの三階にある。  事務局の他に予備室があって、簡易テーブルとパイプイスの並んだその部屋では、壁ぎわの棚に並んだ参考書や辞書といった書物を自由に使用することができ、教材の作成や授業の予習復習など好きなように行うことができた。  ただ、年度末は様子が違ってくる。私立なら年明けから、公立は三月、合格発表の日は、受験生を生徒に持ったバイトたちが集まってきては、落ち着きのない様子で連絡を待っているのである。  合否の連絡は生徒の保護者から直接、事務所のほうへ入ってくる。規則として、生徒と個人的に連絡先を交換してはいけないことになっているからだ。そんな規則がご丁寧に守られているとは三上も思っていないが、やはり形としては、この予備室で連絡を待つというのが恒例の光景ではあった。  予備室に入ってゆくと、見知った顔がいくつかあった。同じ大学のやつもいるし、よその大学のやつもいる。それぞれの生徒の受験先は知らないが、どんなに合格確実の判定が出ていたところで不安はつきまとう。みんな多かれ少なかれ、ちゃんと責任を感じているのである。 「よー。連絡来た?」 「まだ。そっちは」 「まだなんだよー。あいつまさか落ちてんじゃねえよなー」 「不吉なこと言ってんじゃねえよ」  軽口をたたきながら、三上も長テーブルの端に腰かけた。ナオは、確か自ら学校に張り出されるのを見に行くと言っていた。確認してから母親に連絡して、それから連絡が来るはずだから、もう少し後だろうか。壁にかかった時計に目を向ける。  時計のそばには選挙の当確発表さながらの、合否一覧表がある。センターとしては難関校に受かった生徒が多ければ多いほど、いい宣伝になる。私立の学校名の横にはすでに、いくつも花丸がついていた。見るともなしにその一覧を眺めていた三上は、まだ華やかさの少ない公立のほうに目をやって思わず、眉をしかめた。  ナオが受けるはずの高校のところに、ナオの名前がないのである。 「あれ?」  思わずつぶやき、立ち上がる。一覧表に近づき、何度も確かめるがやはりない。  おもむろに、他の高校名へと目をやった。  まさか。  目を疑うほど格上の高校のところに、ナオの名前はあった。  確かに、今のナオの成績なら無理ではないかもしれない。それでも、確実とはけして言えないところだ。  あいつ。やりやがったな。  三上は予備室を飛び出すと事務局に向かい、ナオの受験校が印刷ミスでないのを確かめた。三上が把握していないことを驚かれながら、事務局の電話を借りてナオの自宅にかける。電話口に出たナオの母親は、事務局と同じように驚いていた。 「あの子、先生にお伝えしてなかったの? どうしてかしら。それじゃ驚いたでしょ。ごめんなさいね」 「いや、それはいいんですけど。それより連絡、ありました?」 「まだなの。家を出るのが遅かったから、まだ向こうに着いてないんじゃないかしら」 「ありがとうございます」  挨拶もそこそこに、電話を切った三上はセンターを出た。悠長に連絡を待つ気にはなれなかった。  なんでそんなことを。  三上は混乱していた。受験先を変えるのは別にいい。でもどうして三上に隠していたのか。  驚かせたかったから?  そういうことを、あいつはしそうだ。  落ちるなんて、やめてくれよ。  駅に向かう足が速くなっていた。  受からないかもしれない、どこかでそんな不安があったからもしかして、海に行きたいなんて単純な褒美にしたんだろうか。  今まで、三上の生徒で受験に失敗したやつはいなかった。だから三上は、落ちたやつに対する慰めの言葉なんてわからない。  なにより、落ちたあいつは見たくない。  落ちたとしてもナオはきっと、三上に向かって笑うだろう。  先生のせいじゃないから。  きっとそう言うだろう。  ちょっと挑戦してみたくなったんだよな。ほら、成績けっこう上がったから。行けると思ったんだけどな。でも大丈夫だよ。もともとおれ、どこでもいいと思ってたんだし。二次募集でどっかに入れるだろうし。  そんなことを言って笑うんだ、きっと。  知らず、三上は走り出していた。  受かっても落ちても、その瞬間に三上は、ナオのそばにいてやりたいと思った。

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