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第12話
昼食の店は、前もって調べてあった。
海鮮の鉄板焼きに、ナオは目を輝かせた。行きつけの定食屋に連れていったときと同じテンションで、これすっげえうまいね、と嬉しそうに食べた。
こいつって本当に、何でもうまそうに食うよな。たわいのない会話の合間に、うま、だの、まじうま、だのと感想をこぼすナオを、三上は感心して眺めた。無邪気に喜ぶさまを見ていると、もっといろんなものを食べさせてみたくなる。一緒に食べていると、なんてことないものでさえおいしく感じるような気がする。
「どうしたの、先生。食べないの? いらないならおれが全部もらうけど」
「食うに決まってんだろ。貝ラーメンっつうのもあるらしいけど、食うか?」
「食う! あ、このさ、貝入りカルボナーララーメンってのも頼んでさ、半分ずつ食べようよ」
「え、普通のだけでよくねえ?」
「絶対うまいって。ね、半分ずつ」
結局押し切られて二つ頼んだ。二つとも上等においしかった。
会計のときに三上が払おうとすると、ナオは恐縮した。母親からこづかいをもらっているから大丈夫、と言うのだったが、合格祝いだから、と三上が固辞すると、はにかむような素振りでちゃんと礼を言った。
「この後どうする。もう帰るか?」
来るときはよく晴れていた空が、灰色の雲に覆われていた。
雨になるかもしれない。天気予報をちゃんと確認していなかったが、空模様が急変するというのはよくある。
もうちょっと。とナオは言った。
「この先に奇岩岬ってとこがあるって、さっきの看板に書いてたじゃん。そこ行ってみようよ」
本当は三上もまだ、帰る気分ではなかった。なんというか、まだ、終わってはいけない気がする。このとらえどころのない、何をどうしたいんだかわからない空気のままでは。
「じゃ、ちょっと行ってみるか」
奇岩岬は、その名の通りいびつな岩が突端まで連なっていた。風や波で浸食されて形成されたらしいが、奇妙な岩の形は意外と見ていて飽きなかった。三上は直射日光をあまり好まないから、雲が出てきたのはちょうど良かった。海からの湿気を含んだ風が、体にまとわりついて離れてゆく。
「先生」
後方を歩いていたナオが、近寄ってくるなり言った。
「そういえば、キスさせてくれるって言ったよね」
思わず、立ち止まる。
言った、ような気がする。いや、そういえば確かに言った。合格したら、キスくらいさせてやる、って。
「まさかおまえ、ここでとか言うんじゃないだろうな。冗談いうなよ」
「絵になるのに」
冗談だとばかり思ったのに、どうやらナオはそこそこ本気だったようだ。辺りには三上とナオ以外に人の気配はないが、さすがにこんなところでキスなんてごめんだ。
「ドラマとかの見すぎじゃねえの、おまえ」
「じゃ、どこならいいの」
「人目のないとこ」
歩き出すと、ナオが遅れてついてくる。
「どこだよ、それ」
「……さあ?」
「ちょっと訊いていい?」
「何を」
「女の人相手だったら、人目があってもいいの?」
女の人。
やっぱり、気にしてるのか。そうだよな。
男どうしなんて、普通じゃねえしな。
三上は足を止めずに答えた。
「女でもしねえな」
「……そう」
くだらねえ。唐突に胸の内にわいた苛立ちに、三上は困惑した。何なんだよ、いったい。
「不便だな、男どうしって」
「な。いろいろ面倒なんだよ。だから、普通に男女交際してるほうがいいって。おまえもまだ若いんだし」
それらしい、普通ならこんなふうに言っとくんだろうって言葉が口をついて出る。それは少し、自分に言い聞かせているようでもある。
「でもなー、理屈じゃないんだよな」
どこかあきらめたような口ぶりで、ナオはため息まじりに言った。
「わかってるよ、おれだってさ。でも、好きなもんはしょうがないじゃんか。考えたくなくたって先生のこと考えちゃうし、勝手に頭の中に顔が浮かんでくるし、会えないと思うともう会いたくてたまらなくなっちゃうんだよ。触りたいと思うし、キスしたくってたまんないし、あきらめられるんならあきらめたいよ、ほんと」
ためらいのないナオの言いようは、三上の胸の奥深くへするりと滑りこんでくる。
どうしてこいつはそんな素直な感情を、こともなげに言ってのけられるのだろう。
「先生なんて口悪いし冷たいしさ、態度でかいし」
「言ってくれるな、てめえ」
「おれのことなんて全然眼中にないし」
突風のような風が吹きつけて、不意をつかれた三上の体が押されるように揺らいだ。一歩踏み出そうとしたところで、肘のあたりをつかまれる。振り返ると、あわてたようなナオの顔がすぐそこにある。
「大丈夫だよ。こけやしねえ」
「……うん」
その手の力強さに、もうガキではないのかもしれない、と三上は思う。並んで水平線を見つめる横顔も、やる気のまるで見えなかった一年前とは顔つきが全然違っている。
でもさ、とナオは遠方へ視線を向けたまま口を開く。
「ん?」
「感情をあんまり出さないだけなんだよな、先生って。本当はおれのことよく考えてくれてるしさ、さりげなく優しいしさ、言いたい放題言ってるけど、言葉には嘘がないんだよな。だからおれ、先生のこと好きなんだよ。先生のいろんなとこ知れば知るほど、好きになっちゃうんだよな」
なんで、と三上は、口に出さずに視線を落とした。
なんだってこいつは、こんなにもまっすぐなんだ。まだガキだってことだろうか。
いや、たぶん違う。
ナオだからだ。
風にのって、波しぶきが足元まで飛んでくる。それとは別の水滴が、ぱらぱらと上空から落ちてきた。
「きたか」
見上げると、いつのまにか空は暗雲に覆われていた。
「帰ろうぜ」
ナオの返事を待たずに、三上は踵を返した。
このまま進んじゃ、いけない気がする。
後ろをついてくるナオの気配を感じながら、足早に波打つような岩肌を進む。
でも、とも三上は思う。
進んじゃ、いけねえのかな。
いつだってずっと、流されるままにやってきたのに。
俺はまあ別に、どうでもいいんだけど。
でもナオはまだ、十五だし。
やっぱりだめなんじゃねえのかな。
考えているうちに、雨が本降りの様相を呈してきた。やばい、とどちらからともなく走り出す。雨なのか他の何かからなのか、追われるように三上は駆けた。
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