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第13話
なんだか妙なことになった。
何がいけないんだったか。
つるりとしたロビーの床の上で三上は、しばし立ち尽くす。
ナオと車に乗って海へ来て、ぶらりとして車に乗って帰る。それだけのことだった。
予定が狂ったのは、想定外の雨のせいだ。天気予報をちゃんと確認しなかったのは三上の落ち度だったが、それでもこれほど降るなんてことは気象予報士も予想できなかったのではないかと思う。
三上とナオが車に乗りこんだのを見計らったかのように、雨は猛烈に勢いを増した。
叩きつける雨音が車中に響いて、会話もままならないくらいだ。フロンドガラスの向こうは白く煙ってワイパーも利かず、この状態で帰途につくのはまったくもって現実的ではなかった。何しろ初めての土地である。来た道を戻るだけといっても、よそ様の子どもを預かっている立場だ。安易には動けない。
とりあえず三上が最優先に考えたのは、当面の状況打破についてだった。ともかく湿った服のせいで肌寒く、何か温かいものでも飲みたかった。それで、近くにあったホテルへ移動した。
別にいかがわしいホテルというわけではない。少なからず訪れる観光客や、岬をめぐるスカイラインを目的にしたバイカー客などを見込んだ、ビジネスホテルよりは趣のある小ぶりのホテルだ。
滝のような雨から逃れて駆けこんだ館内は、さびれた外見のわりに清潔で暖かみがあった。期待したとおり入ってすぐのところにカフェレストランがあり、天候のせいか暖房が効いていて、濡れた着衣で冷えた体がようやく人心地ついた。コーヒーでも飲んでしばらく時間をつぶせば、そのうち雨も止むだろう。
もちろん、そう思っていたのだったが。
「え、マジっすか」
「おう。今日は帰れんな」
今しがた入ってきたばかりの客が、三上の席の近くに腰掛けながらそう話しているのが聞こえてきた。作業服を着た男たちだった。その中でも一番若そうな金髪の男が情けない声を出す。
「勘弁してくださいよー、俺んち昨日赤んぼ生まれたんすよ」
へえ、と三上は少し、感心する。見た感じ、自分とそう年は変わらない。きっと奥さんも若いのだろう。それで一瞬、比百合のことを思い出した。
――あたし、妊娠したんだ
そう告げられたとき三上は、頭が真っ白になった。比百合とは何回か寝たけれど、毎回ちゃんと避妊はしていたはずだった。でも万が一ということもある。
子どもができるなんて想像したこともなかったから、背すじに冷たいものが走った。幸い、比百合はすぐに三上との子である可能性を否定した。あの瞬間、ほっとしたことに三上は、今でも少々罪悪感がある。なのに、その後も無責任なセックスはしてきた。
やっぱり、優しくないな、と思う。
金髪の向かいに腰かけた年かさの男が、からかうように言う。
「焦るな焦るな。一日や二日で変わりゃしねえよ」
「変わるんすよ、赤んぼは。毎日絶えず変化してるんすからー。もう、参っちゃうな、土砂崩れなんて」
え?
三上はナオと顔を見合わせた。
何だって?
「あの、土砂崩れって、この先の道ですか」
思わず、三上は彼らの会話に割って入った。年かさの男性のほうが、気安く答えてくれる。
「え、ああそうだよ。何、兄ちゃんたちも市内から来たの? だめだよ、通れなくなってっから。今日はだめだね」
「だめって、道がふさがってんの?」
「そ。この雨じゃ今日中には撤去してくんないだろうなあ」
「じゃ、帰れないってことですか」
「参っちゃうよ、うち、子供生まれたの。昨日。毎日見にいくって奥さんに約束したのになあ」
残念そうに金髪が言い、彼らは自分たちの会話に戻ってしまった。
「……え、マジ?」
呆然として視線を向けた先で、ナオが肩をすくめて見せる。
「おれに聞かれても困るんだけど」
「じゃ、今日どうすんだよ」
「え、野宿?」
どうしようねえ、なんて口調とはうらはらに、ナオはどこか嬉しそうだった。頬が緩むのを隠しきれないでいる。
その気持ちは、わからないでもない。きっとナオも三上と同じように、まだ帰りがたかったのだろう。
ただ、面倒なことにはなった。
「マジかよ」
「何、今晩用事でもあったの?」
「ま、ちょっとな。電話してくるわ。あ、おまえもしとけ。家に」
「え、なんて?」
「帰らなかったら心配するだろ。今日俺と出かけることは言ってあるんだよな?」
「うん」
「じゃ、事情説明して今日はこっちに泊まるって言っとけよ」
「え、泊まるの」
見るからに、ナオの顔が輝いた。反射的に、三上はため息が出る。
「しょうがねえだろ、帰れねえんだから。ちょうどここホテルだし、部屋空いてるか聞いてくるよ。待ってな」
うん、とナオが行儀よく返事をした。
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