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第7話

 「付き合って欲しいってこれ?」  「はい! チケット重複当選しちゃってキャンセルも勿体ないし」  王者の貫禄を滲ませる東京ドームを見上げた。  水道橋駅からライブTシャツやグッズを持った女の子たちが多く、もしやと思っていたが、ここにきて確信に変わる。  「Z―UP好きなの?」  「姉ちゃんの影響でハマりました。毎日家に帰ればライブDVDを観たりしてたんで自然と」  「刷り込みじゃん」  「確かに。だから姉ちゃんにチケット頼まれたら向こうも当選してて。倍率高いのにラッキーですよ」  満面の笑みの葉月は事前に買っておいたのかライブTシャツを着て、トートバッグからうちわの取っ手とペンライトが見えている。  「Z―UP」は男性アイドルだ。歌やダンスの技術も高く、俳優業をしているメンバーもいる。個性豊かな九人組で絶賛売り出し中だ。  「もしかして嫌でした?」  「なんで」  「だって昔のメンバーがいますし」  「なんだ、そんなこと気にしてんのか」  「Z―UP」のリーダーである冴島はかつて「チェリッシュ」で共に活動していた。  客席とステージは離れているからわからないだろうと気にも留めていなかったが、葉月は心配になったらしい。  「向こうにしてみれば何万人もいる観客のなかで俺を見つけるほうが不可能だろ」  「……またアイドルやりたいと思わないんですか?」  伺うような葉月の瞳は不安げに揺れていた。もしここで昴がいなくなればホトスプの成長も途絶えてしまうと思っているのだろう。  背伸びして葉月の頭をぽんと撫でた。  「アイドルに未練はないよ。いまはおまえたちを日本一にさせたい」  「……嬉しい。ありがとうございます」  葉月の笑顔を見ているだけで救われる。  裏でやっていることも、いままでやってきた汚い行為も全部正当化してもらえるような力があった。ドロドロの水たまりが太陽の光で温められさらさらと砂になっていくような清らかさすら感じる。  席につくと目の前が通路のブロック最前列だった。もしかしたらメンバーが降りてくる可能性もある。でも冴島が来るとも限らないし、ここは純粋に楽しみたい。  葉月はうちわとペンライトを掲げて準備万端だ。メンバー全員好きらしく、うちわは九本ある。  「ほら、昴さんも持ってください。俺一人じゃ全員分持てないので」  「なんで俺まで」  「こういうとき箱推しって大変ですよね」  うちわを押しつけられ仕方がなく持つと後ろの席の女二人組に「仲良しなカップル」と噂されて恥ずかしかった。  ライブは言わずもがな素晴らしステージだ。  金をかけた演出、ライト、曲目、衣装すべてが際限なく使われている。そのどれもが神々しい光を伴っていた。  でも葉月たちステージに立てる実力はある。もうすぐおまえたちの足場を崩してやると内心メラメラと闘志を燃やした。  ライブの中盤、メンバーがステージとトロッコ二台に乗る三組に分かれた。 トロッコが目の前を横切ると冴島が降りてきた。マイクを片手にこちらに駆けてくる。  一際大きな歓声が耳をつんざき、興奮した後ろの女に頭をペンライトで叩かれた。  笑顔で手を振る冴島が目の前に迫る。ちらりと目が合ったような気がした。笑顔が一瞬なくなったが、すぐに元に戻り歓声を背にステージへと走っていった。  (いま目が合ったよな)  でもそんなの気のせいだろう。何万人といるファンのなかで自分と目が合うなんてそうそうないだろう。  「やっぱZ―UPはすごいですね!」  帰り道を歩く葉月は感無量の面持ちで涙まで浮かべている。よほど好きらしい。  「確かによかったけど、おまえたちも負けてないよ」  「そんな褒めてもらっても困ります」  「いや、まじでさ。いまはまだ実力は足りてないけど、いつかは肩を並べられるよ」  「……どうしてそんなに応援してくれるんですか? まだ出会ってひと月くらいですよね?」  夏の熱気を残したじめっとした風が葉月の前髪を揺らした。街灯に照らされたヘーゼルナッツの髪色は光の粒子を含ませてきらきらと輝きを増す。  いつまでも見ていたい気持ちにさせられ、瞬きすら惜しい。  葉月の笑顔も歌もダンスも全部応援したい。頑張っている姿を誰よりもそばで見ているからこそ、支えてあげたいと思える。  「アイドルってそういうもんじゃない? 応援したいって思うのがさ。理由なんてないんだよ」  「確かに。じゃあ昴さんが俺たちの最初のファンですね」  「どっちかっていうと社長が最初じゃないか」  「じゃあ二番目で!」  「なんか微妙だな」  葉月はにいと可笑しそうに笑った。  「あんな大きな舞台でライブできたら楽しそうだな」  振り返ってドームを見上げる葉月にならって顔を向ける。  会場から帰るファンはみんな笑顔だったり、感動で泣いている人もいる。だがどれも砂糖で包んだお菓子のように甘く幸福感に満ちていた。 そんな顔をさせられるのがアイドルだ。  「新曲よかったですよね。特にサビの」  葉月が鼻歌で歌いながら踊り始めた。一度しか見ていないのにもう完璧に自分のものにしている。  「で、ここのターンしたときの冴島くんがカッコよかった」  「あとBメロのここもさ」  昴も負けじとステップを踏むとそれいいよね、と葉月も隣で踊り始めた。  どんどん楽しくなってきて、デビュー曲から順に踊っているといつのまにか人だかりができてしまっていた。どうやら道を塞いでしまっていたらしく、警備員がすっ飛んでくる。  「ここで踊らないでください!」  「すいません」  頭を下げて逃げるようにひた走った。こんなこと初めてだ。  汗が張りついて気持ち悪いことも自分の皮脂の匂いがしてくると身体が生きていることを実感した。  駅とは逆方向へと向かっていると人の姿が減ってきた。振り返ると追いかけてくる人もいない。二人して「もう限界」と根を上げて近くの公園のベンチに座った。  「こんなに走ったのいつぶりだろ」  ベンチの背に頭を乗せると汗が垂れてくる。それを拭う気力もなく、呼吸するので精一杯だ。  「はい。スポドリです」  「ありがとう」  すでにキャップは開けられていて一気に飲み込んだ。慌てたせいで口のはしに零してしまい手で拭うとベタベタする。  「やべぇ零した」  「昴さんって案外ドジなんですね」  「いまは疲れてるから」  「どうだかな」  そう言って葉月は触ると「本当にベタベタだ」と笑い、唇を寄せてきた。  「汗と混じって甘じょっぱい」  「……おまえは犬なの?」  「なんか美味しそうだなって」  「はいはい」  不意打ちだったので面映ゆい。気づかれないようにそっと距離を取った。  「それだけ踊れたらもう一度アイドルやりたいって思わないんですか」  「またそれか。元風俗のアイドルなんて誰がみたいんだよ」  葉月の表情から色がなくなっていく。しまった。直接的過ぎたなと少し反省した。  場を切り替えるようにわざとらしく咳払いをした。  「いまはおまえたちが俺の夢だ」  はっと目を大きく見開いた葉月の両目に力が入る。  宝石のように純粋無垢で一切の汚れを知らない瞳。美しいものだけ見て、世界に羽ばたいて欲しい。汚れは全部自分がかぶる。  そんな決意すら知らない葉月は目元をきゅっと細めた。  「昴さんのためにも頑張りますね」  「そうしてくれ」  肩を軽くパンチすると「痛いです」と笑ってくれた。

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