11 / 30
第11話
「結構盛り上がったね」
赤ら顔の爽は満面の笑顔をこぼしてジョッキを煽った。浴衣の胸元がはだけると隣の銀太がすかさず直してあげている。
「食事時だったしみんなお酒飲んでたのもよかったのかもな」
「そうですね。結構ノリもよかったし」
「酒の力はすごい」
乾杯と爽がジョッキを掲げるので何度目かの乾杯をした。
食堂の通り道にライブ会場があったおかげで音を聞いて吸い寄せられるように人が来てくれた。満席とはいかないでもかなり大盛況だったと言える。
初見の客が大半を占めていたがCDも売れたし、チェキを撮ってくれる人も多かった。
「やっぱホトスプの魅力はライブだ」
しみじみと実感した。ホトスプには現場で見てさえすればみんな好きになってくれる魅力がある。
現にフロントでひと悶着があったマダム集団も来てくれ、最終的には爽とチェキを撮ってくれた。
「ライブって見てもらうのはなかなか難しいですよね」
「配信もいいけど、それだとちょっと魅力が下がっちゃうしからな」
「じゃあコツコツと一歩ずつですね」
「だな」
わけもなく葉月とジョッキを突き合わせて乾杯をした。ライブのあとの達成感は何度経験しても気持ちがいい。
「そういえば近くで祭りやってるんだって。行ってもいい?」
「でも顔真っ赤だよ」
「大丈夫。これでも元ホストだよ」
立ち上がる爽はふらふらで足元が覚束ない。実はあまり酒が飲めないらしいと葉月に耳打ちされた。
「俺も一緒に行く」
銀太も立ち上がり、爽の腰を支えた。見てはいけないものを見てしまったような気がして、ぱっと視線を逸らす。
「別に一人でも行けるよ」
「だめだ」
「ちぇっ。じゃあ行ってくるね」
爽と銀太は食堂を出て行ってしまった。
食堂には他の客もいなく貸し切り状態だ。騒がしい爽がいなくなると途端に静かになる。
この後の予定はないが、夜も更けているし観光に出かけるのは難しいだろう。
「俺たちも祭りに行きませんか?」
「なら爽たちと一緒に行けば? まだ走れば追いつくんじゃないかな」
「あそこは二人っきりにしてあげないと後で銀太が拗ねるんです」
「なるほど」
人の恋路を邪魔する奴は馬をも食わない。最悪後ろ蹴りされて撃沈しそうだ。銀太の蹴りは痛そうでもある。
「俺、祭りって一度も行ったことないかも」
「嘘!?」
信じられないとばかりに葉月の目が点になっている。
「そんなに変?」
「普通はみんな行くと思いますけど」
「まぁうち変わってたのかな」
ジョッキを煽っていると肩を掴まれた。
「やっぱり行きましょう。絶対楽しいですよ!」
「わかったから引っ張るな」
葉月に腕を引っ張られて祭り会場へと向かった。
観光地から離れている場所とはいえ、そこそこの賑わいがあった。石畳の土産通りに赤い提灯がぶら下がり、太鼓や祭囃子の音色がスピーカーから流れている。
すれ違う人はホテルの浴衣を着た観光客ばかりだ。
「どれから行きます?」
「よくわからないから任せる」
「じゃあ射的行きましょう」
入口近くにある射的の出店に向かった。
葉月は慣れているのがコルクを銃口に詰め、腕を伸ばして狙いを定めている。
「なにか欲しいものありますか?」
「じゃあラムネ」
「了解」
にっと白い歯を覗かせると葉月は一切の迷いも見せずに打ち始めた。一発でラムネに命中し、ことりと後ろに倒れる。
「上手いな」
「子どものときやり込んでたんで」
次々とお菓子の箱を全弾命中させ、店主に嫌な顔をされた。
「これ全部昴さんにあげます」
「お菓子好きじゃないけど」
「今日の記念です。ほら、たこ焼きも売ってますよ」
また腕を引っ張られたこ焼きの列に並ばされた。
香ばしい匂いや出店の電飾、すれ違う人の笑い声を聞いているだけで気持ちが高ぶってくる。
なんてことのないただのたこ焼きなのに一段と美味しく感じるのは祭りマジックだと葉月が教えてくれた。
「六個で八百円ってぼったくりですよ、絶対」
「なら買わなきゃよかったのに」
「でも祭りって言ったらたこ焼きはマストです」
そう言って口いっぱいに頬張る葉月は子どものように無邪気だ。
「慌てて食うなよ。ソースついてるぞ」
唇の端についたソースを指の腹で取って舐めた。
「確かに美味い気がする」
「な、な、なんてことするんですか!?」
「はぁ?」
「俺の純情を弄んでるんですか!?」
なにを莫迦なこと言ってるんだと睨みつけるが葉月は頭を抱えて耳まで真っ赤にさせている。
「俺は恋愛しないんだ。アイドルなんだから好きにならない」
「なにぶつぶつ言ってるんだよ」
肩を掴むとぎゃあと叫ばれた。さすがにそんな風に拒絶されたら傷つく。
しばらく祭りを満喫していると、一瞬夜空がピカっと明るくなった。数秒後に腹の底に響くような大きな音が響く。ドン、ゴンと繰り返すと雨が降ってきた。
パラパラだった数秒後にはバケツをひっくり返したような水量に変わる。蜘蛛の子を散らすように観光客はそれぞれのホテルへ走っていった。
「ホテルに戻りましょう」
葉月に腕を引かれたままホテルへと向かう。石段を降りているとまた夜空が明るくなり、さっきよりも短い時間で轟音が響いた。
「……っ!」
咄嗟に耳を塞いでその場に蹲った。身体が震える。ぎゅっと目をつむり縮こまった。
「昴さん、早くホテルに」
「……無理。動けない」
「雷苦手なんですか?」
頷くとまた雷鳴が轟いた。
腰が抜けてしまい自力では立ち上がれそうもない。
頭からびっしょりと濡れ、気温も下がっているのか夏とは思えない冷たい風が吹く。
「……おまえは先に戻ってろ。ここにいたら風邪引く」
「それは昴さんも一緒でしょ」
「俺はどうとでもなる」
葉月に風邪を引かせるわけにはいかない。また来週もライブが入っているのだ。上り調子のいま、メンバーの誰かが欠けてベストを尽くせないのは痛い。
でも葉月のことだから昴を置いていけないだろう。どうにか足に力を入れようとしたが震えてしまってだめだ。
雷は苦手だ。音も光も。嫌な記憶を全部持ってくる。
「じゃあこうしよう」
腰を抱かれて立ち上がらされた。回された腕に力が入る。
びしょびしょに濡れていて寒いのに葉月と触れ合っている右半身は燃えるように熱い。
「一気に走ろう。でも石畳は滑りそうだからゆっくりね」
「どっちだよ」
「どっちも一緒にやるんです」
まるで二人三脚をするように階段を下りた。観光客たちはもう避難しているのか誰もいない。街灯と出店のわずかな光を頼りにホテルへと戻った。
フロントに着くとスタッフはバスタオルを用意してくれていて、ありがたく使わせてもらった。せっかくの浴衣もびしょ濡れだ。
部屋に戻ったが爽たちの姿はない。
どうやらマダムたちと祭り会場で偶然会い、近くの居酒屋で避難しているとメッセージがきていた。
「爽たちは大丈夫そうだな」
「よかったです。じゃあ俺たちだけでも風呂に 」
窓ガラスの外に稲妻が走り、バリバリと空気を引き裂くような音がした。バチンと大きな音とともに部屋の電気が暗くなる。
「昴さん、大丈夫?」
真っ暗でなにも見えない。時々雷が光り、轟音を響かせる。
恐怖が血管に乗って全身を駆け巡ってくる。燃える家。泣き叫ぶ声。目の前に人生最悪の日が再現され、頭を抱えて項垂れた。
「昴さん?」
葉月の声が近くでする。大丈夫。一人じゃない。ここは違うとわかっているのに身体に刻まれた恐怖がゆっくりと顔を出す。
歯の根が合わなくなりガタガタ震わせていると背中になにかぶつかった。温かいそれは形を確かめるように往復している。葉月の大きな手だ。
昴の目には真っ赤に燃える家が映る。住み慣れた家が炎に包まれ、なす術もなくぼんやり見上げていたあの日。
遠くにいても熱気が届いて頬が熱かった。
「俺がいます。怖くないよ」
葉月の胸に顔を預けるととくとくと心音がする。自分を慰めてくれるようなやさしい音色だ。
「雷苦手なの?」
「……俺の大切なものを奪うんだ」
また外がピカっと光り、雷鳴が響く。肩を跳ねさせると葉月の腕に力が込められた。
「家の桜の木に雷が落ちて、その火が家に燃え移ったんだ。昼寝してた母親と妹はそのまま……」
それ以上は続けられなかった。目を逸らしていた過去が蘇ってくる。だから雷は嫌いなのだ。
「辛かったね」
葉月の言葉が浴衣に染み込んだ雨粒よりも深くなかに入ってくる。辛くて悲しかった。とても大好きな二人だったのだ。
その気持ちに寄り添うような葉月との距離感にほっとする。上からでも下からでもなくぴったりと隣にいる感じは辛さを分かち合ってくれる気がした。
「妹ーー理華がダンススクールに入りたいから付き添いで入ったって言っただろ」
人見知りで引っ込み思案な理華の付き添いだったのにいつの間にか昴の方が虜になっていた。
妹が辞めてもずっと続けて数々の賞を取った実績もある。
「なんか俺と似てますね」
「おまえは好きな子の影響だろ。俺はそんな不純じゃない」
「でもダンスの魅力に憑りつかれたのは一緒です。すぐに好きな子のこととかどうでもよくなっちゃったんですよ」
楽しそうな葉月の横顔を見つめた。いつもより近くにあるヘーゼルナッツ色の髪は暗がりでもキラキラしている。
よく表情も見えないのに葉月が笑っているような気がした。
遠くで雷が鳴った。あれほど怖かったのに隣に葉月がいてくれると思えば怖くない。
レモンみたいな香水の匂いに胸の奥がざわざわとする。なんだろうか。
葉月の肩に頭を乗せてみたくなった。甘えて寄りかかってみたい。
「あ、明かり点きましたね」
ぱっと部屋が明るくなり、外を見ると他の旅館や土産通りにも元の明るさを取り戻している。
電話が鳴って葉月が慌てて取りに行ってしまう。温もりが遠のいていき、名残惜しくて葉月の背中を見つめた。
「大丈夫です。ありがとございました」
「誰から?」
「停電大丈夫だったかってフロントからでした」
「さすがに驚いたよな」
「そうですね。爽たちも雨が止んだら帰ってくるそうです」
「そっか。じゃあ風呂に入るか」
「身体だいぶ冷えちゃいましたもんね」
着替えを持って部屋を出ると葉月が後ろから追いかけてきた。
さっきまで寄りかかろうとしていたときは男だったのに、いまはもう忠犬に戻っている。
(雷のせいで落ち込んでたからだ)
邪な思いはいらない。こんな気持ちでマネーシャーを志願したわけではないのだと自分を奮い立たせた。
ともだちにシェアしよう!

