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第13話

 「なんかまたバズってる?」  「本当だ」  「このダンス動画そんなにいいかな?」  爽たちは携帯画面を眺めて首を傾げた。  先日投稿した新曲のダンスレッスン風景がまた万バズしているのだ。なんの変哲もなく、正直面白みもない。  だがこの前の男が手を加えてくれたのだろうとすぐに察したが表情には出さないよう頬に力をいれる。  「ほら、コメントには爽のTシャツが可愛いって書いてある」  「こんなのどこにでも売ってるけど」  まだ不思議そうだったが、深く悩まないタイプの爽は「ま、注目されるのは嬉しいよね」と笑顔になった。  だが葉月だけが難しい顔をして携帯を睨みつけている。  「練習しよう。今週末もライブ詰まってるし」  「そうですね」  名残惜しそうに携帯を鞄にしまった葉月は鏡の前に立って、ダンスの練習を始めた。  前回鎌田に作ってもらった曲は好評で、ライブでも評判がいい。やはり有名人に作ってもらえると注目度が増す。  扉がノックされ、芦屋が顔を出した。  「みんなちゃんと練習してる?」  「もっちろんです!」  なにもしていない爽が一番大きな声で返事をしていて、頭を小突いた。  「谷河くん、ちょっといい?」  「はい。じゃあ事務所に行ってくる。練習サボるなよ」  「はいはーい」  一番不安である爽は景気よく手を振って見送ってくれた。本当にちゃんとやるのだろうか。  短い廊下の突き当りにある事務所に向かうと芦屋は浮かない顔でパソコンを指さした。  只事ではない雰囲気にごくんと唾を飲む。  「どうかされました?」  「これって詐欺かな?」  パソコン画面を見ると有名な朝のニュース番組からのメールだった。  どうやら先日バズった動画をみて取材をしたいとのことたった。  「いや、これ本物ですよ!」  「本当?」  「電話番号もメルアドも公式ホームページに載ってるのと同じですし。とりあえずコンタクトとってみましょう」  「えぇ〜大丈夫かな」  芦屋はまだ不安そうだったが、パソコンを奪い取って返信をした。  「もし放送されたらどうしよ。ここから一気にスターダムかな」  「その可能性はありますね」  「じゃあ彼らが安心できるように環境整えよう」  「はい」  テレビの影響力は大きい。SNSはほんの一部の間だけで流行っているにすぎず、幅広い層にみつけてもらえるわけではない。  全国放送のテレビに出れば不特定多数に観てもらえる。絶対にホトスプのよさが伝わるはずだと背骨がぐっと伸びた。  「この仕事慣れてきた?」  「難しいこともありますけど、楽しいです。なによりホトスプを近くで見られるのはマネージャーの特権ですし」  「谷河くんがあの子たちに思い入れを持ってくれて嬉しいよ」  「こちらこそ感謝したいくらいです」  あの日、あのときあそこの道を通らなければホトスプの存在なんて気づかなかっただろう。星の数よりアイドルが多い戦国時代に産声をあげたばかりの彼らの声はきっと小さい。  他の誰かの歌声にかき消されて誰にも注目されずに消えてしまっていただろう。  でもいま昴の手のひらにはホトスプの運命が握られている。彼らを生かすも殺すも自分次第。  前のような過ちは絶対にしない。  「でもそんなに肩肘張ってたら疲れちゃうよ。ほら、ここ座って」  芦屋に無理やりソファに座らされ、肩を揉んでもらった。ほどよい力加減にほぅと息が漏れる。  「だいぶ凝ってるね」  「上手ですね」  「これでも柔道やってたんだ。だから自然と憶えたよ」  芦屋の大きな手は温かくて気持ちいい。肩と首筋をぐりぐりと押されると詰まっていた血流が流れていくのがわかる。  んっ、と変な声が出てしまい慌てて口を押えた。  時間をかけて開発しつくされた身体はただのマッサージですら敏感に感じてしまうらしい。  「失礼します!」  けたたましいノック音とともに扉が開くと前髪が汗で貼りついた葉月が入ってきた。  「どうしたの、葉月くん?」  「お話は終わりました? 終わりましたよね? 昴さんを返してもらいます!」  芦屋が返事をするよりも先に腕を引かれて事務所の外へ連れ出された。エレベーターに乗っている間も骨が軋むほど強い力で掴まれている。  顔を上げると葉月はいつにない真剣な顔をしていて、声をかけていいのか戸惑ってしまう。  外に出るとびゅっと強い秋風が通り過ぎた。昼はまだ夏の気配を残しているが朝晩は冷える。  ろくにコートを着させてもらえなかったので薄手のシャツ一枚だと寒い。  「くしゅっ」  「そのままだと風邪引くぞ」  半袖シャツに汗を浮かべたままの葉月はくしゃみをこぼした。このままでは風邪をひいてしまう。せっかく大きな仕事が舞い込んできそうなのに調子を崩されたらたまったもんではない。  「これ羽織ってろ」  コートを葉月に羽織らせようとしたが腕を離してくれない。葉月、と低い声で呼ぶとじっと見返された。  「いくらもらったんですか?」  「なんのこと?」  話の全容が見えずに首を傾げると葉月は苛立たし気に舌打ちをした。こんな怒る表情は初めて見る。  いつもニコニコと穏やかな犬のように愛嬌を振りまいていたのにいまは飢えた野良犬のような殺気を滲ませている。  「社長とヤってましたよね。俺そういうの辞めた方がいいって言いませんでした?」  「……ヤったってセックスってことか?」  小さく頷く葉月に笑ってしまった。  「なにがおかしいんです」  「社長にマッサージしてもらってただけだよ」  「嘘だ! だって変な声してたし」  「社長が思いのほかマッサージがうまくて変な声出ちゃっただけ」  「……本当?」  「こんなことで嘘なんて吐かねぇよ。社長に確認してもいい」  「うわぁ~まじか」  その場に座り込んでしまった葉月が大きな身体をダンゴムシのように丸くさせている。耳を押さえ、目を閉じ、唇を引き結び、まさに見ざる聞かざる言わざるだ。  「わかったなら部屋に帰れよ。風邪引くぞ」  やっと腕を離してもらえたのでコートをかけてやると葉月がぐっと首を伸ばした。  黒曜石のような瞳が近づく。睫毛の際までわかるほど近くにこられて、視界がぼやけた。  ぶつかるように唇が当たり、ざらついた感触が生々しく残る。  「昴さんが好き」  「はぁ? なに言ってんの?」  唇を手の甲で拭うと葉月はあからさまに傷ついた表情になった。でも無視をする。  「おまえ、アイドルになるんだろ」  「そうです」  「なら恋愛はご法度だぞ」  「わかってます」  「いや、全然わかってない。わかってないからこんなとこでキスできんだよ」  人の往来は少ないとはいえ、住宅街のど真ん中だ。夜も更けて暗がりだが所々には街灯もある。  まだメディアで売れているわけではない葉月の認知は低い。でもこんな誰が見ているかわからない場所で安直な行動は身を滅ぼす。  自分が一番知っていた。  「おまえたちにテレビのオファーがきてる。もし放送されたら世界が一変するぞ」  「つまり付き合えないってことですか」  「そうだよ。溜まってるならその道のプロを手配してやる」  少し値は張るが高級のラウンジ嬢は口も堅く、仕事も丁寧にこなしてくれる。売りをやっていたときに知り合った風俗嬢でプライバシーを守ってくれる真面目の子も知っていた。  携帯を取り出してすぐに連絡が取れそうな子がいないか探していると鷹のような俊敏さで奪われてしまった。  「いい。そういうわけじゃないですから」  「あまり溜めておくのはよくない。仕事に影響が出る」  「昴さんがいいです」  「そこまでマネージャーの仕事じゃねぇ。男がいいならボーイ呼んでやるから」  「……昴さんがいいんです」  言葉尻が小さくなっていく葉月はとうとう項垂れてしまった。顔が見えないけど落ち込んでいるのがわかる。  まるで子どもが親に甘えているようだ。一緒に風呂に入って欲しい、一緒に寝て欲しいとわがままを言ってるように聞こえる。  (そういう風に甘えられたらどうすればいいのかわからない)  自分の家庭環境は世間的に見ても酷いものだろう。母親と理華が生きていたときは幸せだったが、死んでから世界が百八十度変わってしまった。  酒浸りの父親に甘えられるはずもなく、自分の拠り所はテレビの向こうのアイドルだけだった。  キラキラした笑顔。やさしい言葉。  与えられるものを受けとめるだけしかしてこなかった。求められるとなにが正解なのかわからない。  「莫迦言ってないでもう寮に帰れ。帰ったらすぐ風呂入れよ」  葉月の頭をぽんと撫で、その場を後にした。

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