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第16話

 「ちょっといいか?」  葉月の部屋に顔を出すと風呂上がりなのか上半身裸の姿が目に飛び込んできた。  逞しい胸筋と鍛え上げられた腹筋を素早く視認してしまい、さっと視線を逸らす。  「爽とのことですよね」  「……今日一度も話せてないだろ?」  「ですね」  髪を乱暴にタオルで拭いた葉月の横顔に暗い影が落ちる。爽とのことを気にしているようだ。  「そもそもなんで爽と組もうと思ったの?」  「社長に組まされただけです」  いわゆるビジネスパートナーというやつだ。バンドとは違い、ほとんどのアイドルグループは事務所に決められてしまう。  「あっちは元ホストだしノリが軽いって言うか。合わないってことは前から結構あったんですけど」  アイドルの夢を追いかける葉月と女の子にちやほやされたい爽とでは目指す場所が違う。水と油のように相容れるわけがない。  「でも爽は歌が上手いです。もっと磨けばソロでも歌える実力があるのに、あんな見た目ばっか気にして」  「アイドルにとって容姿も重要だからな。爽がやってることも間違ってはない」  「それはわかってるんですけど」  理解はしているが納得はできないのだろう。その気持ちはよくわかる。自分とは違う考え方を否定するのは簡単だが、受け入れるのは難しい。  「でも葉月も正しい。見た目だけじゃすぐ飽きられる業界だ。歌にしろダンスにしろ人より秀でたものがないとこの先厳しい」  「ですよね」  結局は解決の糸口は見つけられない。どちらも間違っていないだけにこれといった答えは明確にでないだろう。  「とりあえず爽も仕事は真剣に取り組んでくれてるしそれでよしとしよう」  「はい」  「じゃあ仕事の話は終わりな。飯でも食いに行こうぜ」  そう促すと葉月は呆気に取られたような顔をしている。  「いいんですか? 俺、昴さんのこと好きなんですよ」  「でも俺は応えるつもりないし、きっぱり振っただろ」  「……まぁそうですけど。やっぱり脈はなしですか?」  「ないね」  きっぱり告げると葉月は夏の青空のように澄んだ笑顔になった。  「ここまではっきり振られるといっそ清々しいです」  「だろ。じゃあ肉食いに行こうぜ。最近頑張ってるから奢ってやるよ」  「ありがとうございます!」  尻尾があったらはち切れんばかりに喜ぶ様子に胸がじんわりと温められる。やはり葉月には笑顔が似合う。  寮を出て駅前まで歩いていると携帯が鳴った。名前を見て顔を顰める。  「悪い。ちょっと待ってて」  葉月には聞かれないよう先に歩いてもらい電信柱の影に隠れて通話をタップした。  「もしもし」  『新曲できたよ』  「ありがとうございます!」  『だからね。わかるでしょ?』  鎌田の伺うような言葉に体温が急激に下がった。そうだ、自分には役目があるのだ。  「わかりました。すぐに行きます」  通話を切って、葉月を追いかけた。ゆっくり歩いていてくれたのかそんなに離れていない。  「悪い。仕事入った」  「こんな時間にですか?」  夜の七時を過ぎているが業界人ならよくある話だ。  「新曲ができたからデモを聞かせてくれるって」  「また鎌田さんですか?」  「そうだよ」  葉月は顎に皺を寄せた。  「どうして俺たちなんかに曲を提供してくれるんですかね」  「そりゃおまえたちの才能を買ってるからだろ」  「でも鎌田さんほどの有名な人が俺たちを優先する意味がわかりません」  鎌田は他のアイドルにも作曲を依頼されるほどの超人気クリエイターだ。でもいまはその仕事を蹴って、ホトスプを優先してもらっている。  そう約束したからだ。  「それだけすごいって思ってくれてるんだよ。悪いけど行くな。焼肉はまた今度」  「待って」  駅へ急ごうとすると腕を取られてしまった。驚いて振り返ると葉月は捨てられた子犬のように瞳を潤ませている。  「それって俺も行っちゃダメですか」  「今日は撮影もあったし疲れてるだろ」  「大丈夫です。体力だけなら時間あります」  「でも明日は朝一で収録もあるし、早く休んだ方がいいよ」  「焼肉に誘っておいてそんなこと言うんですか?」  しまった。確かに矛盾している。  どう言いくるめようか考えていると葉月の顔が近づいた。  この世の汚れを一切知らないような黒い瞳に穢れきった自分が映る。  (葉月が見る世界は美しいものにしたい)  穢れを知らない天使のようにこの世の素敵なものを詰め込んだ世界で歌って踊っていて欲しい。地獄の底にでも響くような大きさで。  「鎌田さんとはなんもないですよね」  言外に枕をしているのか疑われているのだろう。  ふっと唇を綻ばせた。  「そんなことしてねぇよ」  「なら、その言葉を信じます」  手を離された腕には葉月の手形が残っているかのように熱い。  「気をつけて帰れよ」  「はい。昴さんも気をつけて」  じゃあな、と駅まで走っていった。  嘘を吐くことが呼吸をするように染み込んでしまっている。もう痛みすら感じない。後悔もない。  ただ葉月たちを輝かせることが昴の生きる目標だった。

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