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第25話

 半年が経って春になると季節がうつろうようにホトスプの話題から次のスキャンダルに変わった。  とある有名俳優がアイドルとアナウンサーの二股をかけていたというもので、世間の目は一気にそちらに向かう。  人の噂も七十五日とはよく言ったものだ。  単発のバイトで食いつないでいたが、そろそろ貯金も心許なくなり、昼はコンビニ、夜はビルの清掃の掛け持ちを始めた。  慣れない肉体労働は精神的にも体力的にもしんどい。 それにレジの使い方すら知らなくて、高校生のバイトの子に引かれてしまうくらい世間に疎かった。  みんなが当たり前に通る道をショートカットで進んできていたのだと痛感する。  客に罵られるのは日常茶飯事、トイレの掃除は匂いもあって何度も吐きそうになった。でもそれも段々と慣れてくる。  怒られている間は意識を飛ばし、便器に残った汚物を見ても動揺しなくなった。これが成長と呼ぶのかわからないが世界に順応しているのだろう。  僅かな給料は最低限の生活費だけ残して、すべて事務所に送金した。 自分のせいで表舞台を降ろされた葉月たちに少しでも報いたかった。 せめてお金だけでも気持ちを示したい。  雑誌売り場で品出しをしていると「Z―UP」が表紙を飾っている女性誌が目についた。 以前はホトスプが飾っていた誌面もいまはグラビアアイドルになっている。もうどこにもホトスプの姿はない。 まるで最初からいなかったかのようにこの世界からぽっかりと存在がえぐられてしまっている。 だが昴はわずかな情報をかき集め、ホトスプの続報を逐一チェックしていた。  いまはまた地下アイドルに戻り、小さなライブハウスを転々としながらも活動を続けているらしい。  あの騒動で離れたファンは多かったが残ってくれた人もいる。 誠心誠意をモットーに掲げ、ファンを大切にしながら活動しているようだった。  コンビニからの帰り道、通い慣れた繁華街のビルには広告の看板がいくつも掲げられている。  その小さな一角に葉月がレギュラーで出演していたバラエティ番組の看板がいままさに降ろされようとしていた。  高所作業車に乗った作業員が慎重に看板の金具を外し、下へ降ろしている。  葉月の笑顔を眺め、まだ燻る痛みがじわりと広がる。  本来ならずっとあり続けた場所を降ろされる屈辱は自分では計り知ることも恐れ多い。恨まれても仕方がないことをしてきた。  でもどうしようもなく葉月に会いたかった。  目を皿のようにして葉月の情報を探り、ライブのレポや新曲の告知動画など見逃さないようにした。  まるで粘着ストーカーのようだが違う。  心の奥底で芽吹いている感情はそんなものではない。葉月の笑顔という陽光を浴びながらすくすく育った気持ちはいまも大切にある。  それだけでいい。  これ以上はなにも望まない。  アパートに帰ると玄関前に芦屋が立っていた。まさかいると思わず、固まってしまうと芦屋は人懐っこい笑顔を浮かべた。  「久しぶり」  「お、お久しぶりです」  「ちょっと話したいから中に入れてもらってもいい?」  「はい」  「お邪魔します」と芦屋が言うので「律儀ですね」と返すと笑われた。  「それは谷河くんだよ。お金、ずっと振り込んでくれてるでしょ」  「……俺のはそんなんじゃ」  「じゃあ慰謝料的な感じ?」  「俺のせいでホトスプも事務所もダメにしましたから」  コーヒーを淹れる手が震えてしまう。なにをどう言われても自分は受け入れるしかない。それだけのことをしたのだともう何度思っただろうか。  「もういいよって言っても谷河くんは続けるだろうね。自分が納得するまで送って」  「はい」  「ありがたく使わせてもらってるから」  いらない、と跳ねのけられなくてよかった。大した金ではないが葉月たちの活動に報いることができるなら嬉しい。  「あ、ちゃんと働いた金ですよ。コンビニと清掃の」  「わかってるよ」  目尻を深くさせる芦屋はすべてを見透かしているかのようだ。  コーヒーをテーブルに置くと芦屋は鞄から一枚の紙を取り出した。  「週末ライブがあるんだ。よかったら見に来て」  ホットスプラッシュの名前と日時と時間、ドリンクチケット代込みと書かれたチケットをテーブルの上に置かれた。  息を吹きかければ飛んでいきそうなほど軽いのに頭をがんと殴られた気分だ。  いまさらどの面さげて会えばいいのかわからない。  「無理です。行けません」  「どうして」  「俺は葉月たちの未来を奪ったから」  「いまの彼らを見てそれを言えるかな」  「え」  顔を上げると芦屋にじっと見られた。その眼差しは真剣でまっすぐだ。こちらが目を背きたくなるほどの力で奥歯を噛んで耐えていないと負けてしまいそうになる。  「これは僕だけの意見じゃないよ。みんなも見に来て欲しいって言ってる」  「みんな……」  そこに葉月も入っているのだろうか。軽蔑された眼差しを思い出す。  またあんな顔をされたらもう二度と立ち直れない。  でも会いたい気持ちは膨らんでいた。水風船のようにパンと弾けていつ水が噴き出してもおかしくないくらいに。  だからといってホイホイ会いに行けるほど無神経でもない。  唇を開いたり閉じたりを繰り返していると芦屋は立ち上がった。  「待ってるね」  それだけ言い残すと部屋を出て行ってしまった。来たときと同じようにあっという間だ。  すぐに動けるはずもなく、しばらく空になったカップを眺めていた。

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