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第4話

 しきりに頭を下げる飯田を見送って資料室をあとにする。彼がどのような結論を出すのか佐藤にはわからないが、はじめよりも腹の決まった表情をしていたので、本人の望むように事が動くのを祈るのみだ。  期待は諸刃の剣だ。  相手へ勝手に望みを託して、叶えられなかった場合は落胆し、順調に叶えられると「次を」と望む。無限に広がる他者の願望の中で泳ぎ続けるのは、困難を乗り越える力になるものの、一方で当事者はいつしか疲れるだろう。  そして凝り固まって型に()まると、周囲の評価の中でしか泳げなくなる。チヤホヤされている間はいいが、長くなった鼻っ(ぱしら)へし折られて最終的に潰れるのが多いと、フィルターを噛みしめながら紫煙と共に吐き出される横山の元上司の声は苦々しかった。  他者に評価を預けてしまうと、責任転嫁が生じやすくなる。そして介入がいつもあるとは限らず、宙ぶらりんの状態になってしまう。そこが、彼の上司が案じた部分だ。個人的に横山を潰したくない。頭の柔軟な内に、他にも方法があることを知って欲しい――とも。  これからの人材育成は個人だけでは手にあまる。対象が多様性に富んでおり、今後はさらに加速する。それまでの世間があまり個性を重要視しなかったのも理由としてある。  横山の世代は物にも人にも執着が薄い傾向があるので長く会社に居着かず、今までの職員よりも断然転職のハードルは低い。有益な人材を留めておくためには、何らかの対策をしておく必要がある。だがそれは自分たち末端ではなく、:上役(うわやく)のタヌキたちが嬉々として飴と鞭を用意するだろう。言い方は悪いが、飼い殺すために。  そして嫉妬云々を抜かして、仕事ができるという認識自体が大きな落とし穴である。できるからと上から放置され気味になり、我流なりにやった結果取り返しのつかないところで発覚するなどよくあることだ。  上司の依頼からほどなくして、佐藤は横山に接触を図ったのだった。 「流石ですね」 「え?」 「本当に、だれにでもやさしい」  強い力で二の腕を引かれる。西日の逆光に目を細めつつ見上げた先に、今朝から頭を悩ませている人物を認めて佐藤は息を止める。 「……よ、こやまく……」 「お久しぶりです、秋生さん」  早い。メールに記されていた人事は来月のはずだ。  数年ぶりのその声は、記憶よりも低く甘い。顔はこんなに凜々しかっただろうか。 「ひさし、ぶり……」  引きつれた喉で紡ぐ言葉は、無様に擦れていないか。  当時はなにも言わずに出国し連絡も寄越さなかったのに、なぜ何もなかったかのように戻ってこられるのだろう。頭の中で渦巻く文句は言葉にならず、佐藤は距離をとる。思いのほか簡単に外れたぬくもりに、安心とともに感じる言いようのない侘しさ。 「あの、えっと、用が、あるから……じゃ」  嘘だ。  心の準備ができていない状態で会うには、あまりにも早すぎた。それでなくとも、佐藤自身どう処理をしていいのかまったくわからない。 「ええ、ゆっくり、話をしましょう」  ひと区切りずつ噛みしめての確かめるような言葉に、満足な返事もできず佐藤はディスクへと急いだ。

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