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第2章 17.夏

夏の暑さは、どうにも苦手だ。 「やっぱ海水浴でしょっ!」 「バーベキューとかどう? 俺、肉食べたいや~」 大学の廊下を歩く中、後ろから聞こえてきた楽しげな会話が耳に届く。   時期はすでに、夏休みに入っていたところだった。 周囲が浮き足立つのも無理はない。 ***   「星七くん、お疲れ。もう上がって大丈夫だよ」 「はい。お疲れ様でした」 大学帰りに立ち寄る本屋でのバイトを終え、店の外に出ると、空はすっかり夜の顔をしていた。 駅のホームに立って電車を待っていると、スマホの通知音が鳴る。 《家帰った?》 藍沢からのLINEだった。 《今から帰るよ》 すぐに返信を送ると、間もなく既読がつく。 《気をつけて。俺はサークル仲間たちといて、まだ帰れそうにない》 その文面に、小さく笑ってから画面を閉じた。   やって来た電車に乗り込む。 そこそこ混んではいたが、奥に詰めてなんとかスペースを確保した。   目の前に立つサラリーマンの背中をぼんやりと見つめながら、頭の中で考え事を巡らせる。 (帰ったら、今日の講義の復習しないと……。あんまり理解できてなかったし) (ああ…そういえば、明日のバイトって何時からだったっけ?あとでシフト表見ないと) そんなふうに思考を巡らせていた矢先だった。 ――ぞわっ。 突然、体に触れる感触に目を開いた。 誰かの手が、お尻のあたりを撫でている。 (…き、気持ち悪い……) 俺は息を呑み、声も出せずに固まる。怖くて振り向くことすらできない。 数分後、ようやく最寄り駅に電車が止まると、俺はドアが開くや否や、人をかき分けるようにして外へ飛び出した。 「…はぁ、はぁ…」 プシューというドアの閉まる音が背後で響く。 俺はそのまま、ホームの端でへたり込むように尻もちをついた。 人の足音がまばらになった頃、ポケットの中でスマホが震える。 LINE通話の着信を知らせる音だった。 画面に表示された名前を見て、俺は震える手でスマホを耳に当てる。 「…もしもし」 一瞬の間のあと耳に聞こえたのは、落ち着いた彼の低い声。 「あ、もしもし。…片桐ですけど」 彼の声を聴いた瞬間、俺は乱れていた心がほっと安堵する感覚を覚える。 ゆっくりと…体の震えが収まっていく。 「……片桐くん」 俺は平静を装って、電話の向こうの彼の名前を呼ぶ。 まだ完全に消えていないこの動揺、彼に、伝わってしまっていないだろうか?変に思われていないだろうか?…と、そう思いながら。 「今って、大丈夫ですか?」 「うん。もちろん」 無理に明るく返した自分の声は、少しだけ裏返っていた。

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