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53.昔の連れ(片桐side)

夜。 俺は出されたカクテルの酒を、ぐっと飲む。 バーカウンターの奥には、ずらりと並んだボトルがガラス越しに光を帯びる。 柔らかなアンバー色の照明と、静かに流れるジャズの曲が、静かに胸に沁み渡っていく。 「あれ、壮太郎?久しぶりじゃん」 店の奥から出てきた人物に声をかけられ、目を向ける。 黒髪をオールバックにセットし、白いシャツに黒ベストを着た、葉月という男だ。 「お前の顔見るなんていつぶりだよ。来るの聞いてたら、いい酒でも仕入れといたのに」 「俺、一応未成年」 「あ。そういやそうだっけ?つーか見え無さすぎ」 昔の連れである彼は、そう親しみある笑みを浮かべながら、カクテルをくるくるとマドラーでかき混ぜている。 「でもさ、お前には感謝してるんだよ。お前の言う通り、ここに店構えたらこの通り、大繁盛してさ」 両手を広げて表現してみせる彼を見て、俺は口元を緩ませた。 「上手くいってるなら、安心した」 その後、ごめん電話だ、と店の奥に引っ込む彼を見送り、俺はひとり考え事に耽っていた。 “藍沢と星七、この2人が男同士でありながら、正真正銘付き合ってたんだよ” あのふたりが付き合っていた。 それはショックだったが、実は薄々勘づいていたことでもあった。ただ、なんで2人は別れたのか。そもそもお互い好き同士だったのか。 …体の関係はどこまであったのか。 聞きたいことが多すぎて、頭の整理が追いつかない。 “あんたに、アキを超えられんの?” 藍沢さんが呟いた言葉が脳裏に蘇る。 ……まさか、星七さんは亡くなった友人に、恋心を抱いていた? そして、それを承知であの2人は付き合っていたんだろうか。 「――壮太郎!まじで申し訳ないんだけど、ちょっとお願いが…」 カウンターの向こうで両手を合わせる彼に気づき、俺は考え事を放棄し、グラスを机に置いた。 『今日ピアノ弾く人が来れなくなったみたいで、壮太郎お願いできないっ!?』 『何で俺?』 『だってお前頭いいじゃん!頼むよっこのとおり!それに、お前の容姿なら客は何でも喜んでくれると思うからさ!』 そう言われて無理やりピアノの前まで連れてこられた。 耳に、ひそひそとした周りの客の囁き声が聞こえる。 「ねえ、もしかしてあの人が弾くのかな。腕に刺青入ってない?」 「でもなんか、かっこいいよ」 ……葉月の野郎……。 バーの薄明かりの中、隅に置かれたグランドピアノを見つめた。 こんなにも間近で目にするのは、“あの家”で弾いていた頃以来だろうか。だけど、一体何の曲を弾けばいい?そもそも俺、覚えているのか…。 そのときふと、懐かしいメロディが、風に吹かれて揺れる白いカーテンが、ピアノを弾く実の母の後ろ姿が、一瞬…頭を過る。 俺は椅子に座り、ピアノの鍵盤に両手を乗せる。 脳裏で母が微笑む。 曲のタイトルは…… 『ドビュッシーの月の光よ』 母の声が静かに蘇る。 俺の指は、過去の音色と記憶を辿って、ぎこちなく、曖昧に動き出した。

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