59 / 151

59.誕生日

――20‪‪✕‬‪✕‬年9月27日。 今日、俺は20歳の誕生日を迎えた。 俺の色々あった過去を知る親たちは喜び、どこか安堵しているように見えた。 「行ってきます」 家のドアを開けて外へ出ると、 「よ」 まるで俺が出てくるのを待っていたかのように、家の門の外に立つ藍沢がいた。 「ビックリした。どうしたんだよ、お前」 急いでLINEを確認したが、藍沢から来ている様子はない。 「授業、午前から?」 門を開けながら外へ出ると、俺は藍沢にうん、と答える。 すると、 「今日、誕生日じゃん。お前」 「え?」 どこか気恥しそうにそっぽを向く藍沢。 「誕生日、おめでとう」 「……ありがとう。てか…それ言うためにわざわざ?」 「別に。プレゼントも何も無いけど」 ぶっきらぼうに言う藍沢に、そんなの無くていいよ。と俺は笑って答える。 彼を好く友達が多い理由は、もしかしたら、こういうマメで優しいところなのかもしれないと思った。 「…今日さ、会うの?アイツと」 「片桐君?うん、そのつもりだよ。夕方…夜とかかな?」 そう言いながら、俺は表情を少し曇らせる。 この間、なぜか変にアキのことばかり考えて、片桐君に対してかなり失礼な態度をとってしまった。 ……今日は、気を引き締めないと…。 駅に向かおうと足を進めたとき、藍沢に腕を掴まれた。 すぐに振り向くと、そこには顔を伏せたような藍沢の姿がある。 「なに?」 しかし彼からの返答はない。 (……あれ、どうしたんだろう。) 「なあ藍沢、そろそろ行かないと俺授業間に合わな――」 そう、口にしたときだった。 突然、掴まれていた腕を引かれ、そのまま抱き締められた。 何が起きているのかを理解するのに、数十秒かかった。 「…あいざわ」 慌てて胸を押し返す。 「ここ、家の目の前…、外だから…!朝っぱらから酔ってるのか、お前っ」 「好きだ」 自分より大きい彼の体を引きはがそうとしていた手の動きが、ぴたりと止まる。 耳傍で聞こえた、藍沢の思いがけない言葉に、思考と体がフリーズする。 「な……何、言って」 「……」 「ほら、そろそろ親とか、家から出てくるかも。こんなところ見たら、俺の親びっくりして、ぎっくり腰起こすかも」 笑って誤魔化そうとするが、藍沢は黙ったまま。 トン、と背中に冷たく硬い壁の感触が当たり、ふっと目線を上げた先には、俺の心とは裏腹に、恨めしいほど澄み切った雲ひとつない青空が広がっていた。 「……好きだ」 彼の声が、胸にずしりと何かが重くのしかかるように響く。 『浮いてたとか、目つきがどうとかって…それ、普通に冗談でも笑えなくない』 あの日の彼の言葉が、無意識に蘇る。 ぎゅっと彼に、先ほどより強く抱き締められる感触が、今起きていることが夢ではないのだと、俺に突きつけてくる。 彼の胸を押す。…半分ほどもない力を込めて。 「藍沢、俺…」 ――分かってる。藍沢が言う。 「……ただ、伝えたかっただけだ」 俺は彼の胸元のシャツに手を添えたまま、視線を下に落とした。 …彼といると、俺はいつも、昔を思い出す。 ずっと気を張っていたものが剥がれ落ちて、まるで彼という、過去の世界へ引き戻されるかのように。 彼に触れるたび、俺は過去の過ちを思い返し、その度に何度も後悔する。 彼に対して、どうしようもなく申し訳なさを抱いてしまう。 彼の優しさは、いつも、己の意思を鈍らせ、揺らがせる。 …それは今、この瞬間も変わらない。 あの日の記憶が蘇る限り、俺は彼の手を、…振り払うことなどできない―― 「…何やってるんですか?」 腕の中で、突然聞こえた“彼”の声に、過去から現実へと引き戻される。 藍沢の胸を押し、顔を上げた先。 少し離れた場所で立ち、俺たちを見る彼の姿に気づき、瞳を大きくさせる。 なんで…… 「…星七さん今日誕生日って聞いてたし、前会った時も様子おかしかったし……だから、早めに会おうと思ったんです」 (…違う) 俺は胸の奥で必死に叫ぶ。もうきっと、彼に届くことのない声を、言い訳にしかならない言葉を。 「……片桐君、これは…」 (――違うんだ) 「けど、……もうなんか、いいです」 逸らされた、彼の冷ややかな目に、心臓が…縮み上がった。 「…待って!片桐君」 駆け寄り、彼の体に触れようとした瞬間、軽く手を振り払われる。 そして、 「触んないで」 彼はもう…俺をその目に映すことはなかった。 顔を伏せながらこちらへ向き直った彼が言う。 「…別れましょう、俺たち。星七さん」 「え……」 「短い間でしたけど、……好きでした」 ――さようなら。 踵を返し、去っていく彼を引き止める権利など…俺にあるはずもない。 最初から、とっくに分かっていた。 彼と、上手くいくはずがないことは。 それでも、付き合いたいと思った。 彼と一緒にいたらどうなるんだろうって、彼のことを知ってみたいと興味が湧いて…。 それなのに、彼のいつも真摯な態度に甘えていたのは、紛れもなく、 ”過去を捨てきれなかった”、俺だ……。 「……さようなら…」 頬を伝う涙に、後悔の気持ちに気付かないふりをしながら、遠ざかる彼の背中を、いつまでも黙って見つめた。

ともだちにシェアしよう!