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59.誕生日
――20✕✕年9月27日。
今日、俺は20歳の誕生日を迎えた。
俺の色々あった過去を知る親たちは喜び、どこか安堵しているように見えた。
「行ってきます」
家のドアを開けて外へ出ると、
「よ」
まるで俺が出てくるのを待っていたかのように、家の門の外に立つ藍沢がいた。
「ビックリした。どうしたんだよ、お前」
急いでLINEを確認したが、藍沢から来ている様子はない。
「授業、午前から?」
門を開けながら外へ出ると、俺は藍沢にうん、と答える。
すると、
「今日、誕生日じゃん。お前」
「え?」
どこか気恥しそうにそっぽを向く藍沢。
「誕生日、おめでとう」
「……ありがとう。てか…それ言うためにわざわざ?」
「別に。プレゼントも何も無いけど」
ぶっきらぼうに言う藍沢に、そんなの無くていいよ。と俺は笑って答える。
彼を好く友達が多い理由は、もしかしたら、こういうマメで優しいところなのかもしれないと思った。
「…今日さ、会うの?アイツと」
「片桐君?うん、そのつもりだよ。夕方…夜とかかな?」
そう言いながら、俺は表情を少し曇らせる。
この間、なぜか変にアキのことばかり考えて、片桐君に対してかなり失礼な態度をとってしまった。
……今日は、気を引き締めないと…。
駅に向かおうと足を進めたとき、藍沢に腕を掴まれた。
すぐに振り向くと、そこには顔を伏せたような藍沢の姿がある。
「なに?」
しかし彼からの返答はない。
(……あれ、どうしたんだろう。)
「なあ藍沢、そろそろ行かないと俺授業間に合わな――」
そう、口にしたときだった。
突然、掴まれていた腕を引かれ、そのまま抱き締められた。
何が起きているのかを理解するのに、数十秒かかった。
「…あいざわ」
慌てて胸を押し返す。
「ここ、家の目の前…、外だから…!朝っぱらから酔ってるのか、お前っ」
「好きだ」
自分より大きい彼の体を引きはがそうとしていた手の動きが、ぴたりと止まる。
耳傍で聞こえた、藍沢の思いがけない言葉に、思考と体がフリーズする。
「な……何、言って」
「……」
「ほら、そろそろ親とか、家から出てくるかも。こんなところ見たら、俺の親びっくりして、ぎっくり腰起こすかも」
笑って誤魔化そうとするが、藍沢は黙ったまま。
トン、と背中に冷たく硬い壁の感触が当たり、ふっと目線を上げた先には、俺の心とは裏腹に、恨めしいほど澄み切った雲ひとつない青空が広がっていた。
「……好きだ」
彼の声が、胸にずしりと何かが重くのしかかるように響く。
『浮いてたとか、目つきがどうとかって…それ、普通に冗談でも笑えなくない』
あの日の彼の言葉が、無意識に蘇る。
ぎゅっと彼に、先ほどより強く抱き締められる感触が、今起きていることが夢ではないのだと、俺に突きつけてくる。
彼の胸を押す。…半分ほどもない力を込めて。
「藍沢、俺…」
――分かってる。藍沢が言う。
「……ただ、伝えたかっただけだ」
俺は彼の胸元のシャツに手を添えたまま、視線を下に落とした。
…彼といると、俺はいつも、昔を思い出す。
ずっと気を張っていたものが剥がれ落ちて、まるで彼という、過去の世界へ引き戻されるかのように。
彼に触れるたび、俺は過去の過ちを思い返し、その度に何度も後悔する。
彼に対して、どうしようもなく申し訳なさを抱いてしまう。
彼の優しさは、いつも、己の意思を鈍らせ、揺らがせる。
…それは今、この瞬間も変わらない。
あの日の記憶が蘇る限り、俺は彼の手を、…振り払うことなどできない――
「…何やってるんですか?」
腕の中で、突然聞こえた“彼”の声に、過去から現実へと引き戻される。
藍沢の胸を押し、顔を上げた先。
少し離れた場所で立ち、俺たちを見る彼の姿に気づき、瞳を大きくさせる。
なんで……
「…星七さん今日誕生日って聞いてたし、前会った時も様子おかしかったし……だから、早めに会おうと思ったんです」
(…違う)
俺は胸の奥で必死に叫ぶ。もうきっと、彼に届くことのない声を、言い訳にしかならない言葉を。
「……片桐君、これは…」
(――違うんだ)
「けど、……もうなんか、いいです」
逸らされた、彼の冷ややかな目に、心臓が…縮み上がった。
「…待って!片桐君」
駆け寄り、彼の体に触れようとした瞬間、軽く手を振り払われる。
そして、
「触んないで」
彼はもう…俺をその目に映すことはなかった。
顔を伏せながらこちらへ向き直った彼が言う。
「…別れましょう、俺たち。星七さん」
「え……」
「短い間でしたけど、……好きでした」
――さようなら。
踵を返し、去っていく彼を引き止める権利など…俺にあるはずもない。
最初から、とっくに分かっていた。
彼と、上手くいくはずがないことは。
それでも、付き合いたいと思った。
彼と一緒にいたらどうなるんだろうって、彼のことを知ってみたいと興味が湧いて…。
それなのに、彼のいつも真摯な態度に甘えていたのは、紛れもなく、
”過去を捨てきれなかった”、俺だ……。
「……さようなら…」
頬を伝う涙に、後悔の気持ちに気付かないふりをしながら、遠ざかる彼の背中を、いつまでも黙って見つめた。
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