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65.運んでくれた人
『星七さん』
彼の声がする。これは、片桐君の声だろうか。
『……寿命縮むかと思いましたよ』
汗でおでこに張り付いた前髪を、サラリと手でかき分けられる。
『俺のせいですか』
彼に振られて近いうちに倒れてしまったからか、彼は責任を感じてしまっているようだ。
ううん、違うよ。片桐君のせいじゃないよ。
しかし、
『俺のせいだったら、いいのに』
思いもよらない彼の言葉に、俺は困惑する。
すると、彼の大きな手に、頬を撫でられる感触を感じる。なんだかくすぐったい。
『もう、そろそろ行かないと。家族に変に思われたら、星七さんが困りますから』
え?片桐君、まって……
『さようなら。星七さん』
まって、行かないで!
もう、ちゃんとする。
もう昔のことなんて、考えないようにする。もう振り返ったりしない。立ち止まったりしないよ。だから、
だから――
「……っぁ!」
自分の口が動く感覚に気づいて目が覚めた。
ここは、どうやら自分の部屋のようだ。
「ん、起きたか」
寝起きの声と、傍でもぞもぞと動く気配を感じて、俺は視線を横にやる。
ベッドの脇で、つい先ほどまで顔だけ伏せて寝ていたと思われる藍沢が、外していた眼鏡を掛ける仕草をしている。
「藍沢……俺、何でここに」
「覚えてないのか?」
藍沢の問いに、俺はベッドに横たわったまま、頭を縦に頷かせる。
「高熱でぶっ倒れたんだよ。バスケの試合中に」
藍沢はベッド脇のカーペットに座っていた腰を上げ、ベッド上へと座り直す。
「何で俺の言うこと、聞かなかったんだ」
藍沢の眼鏡越しの瞳に見つめられ、俺は熱い息を吐きながら答える。
「分からないよ。自分でも」
俺の返答を聞いた藍沢は、瞳を閉じ、はーっと長い息を吐く。
「心配だよ」
「ごめん…」
「心配過ぎて、いっそお前の首に首輪とリード付けて、行動をずっと監視してたいくらいだよ」
熱で朦朧とした意識の中で、藍沢のそんな冗談に笑った。
「…いつもより冗談きついね。藍沢」
「こういうくだらないことは、ちゃんと聞いてるんだよな」
藍沢の手が、熱を確認するように俺の頬に伸びた時、思い出したように俺は口を開く。
「そういえば、倒れてからここまで運んで連れて来てくれたのってさ…藍沢?」
「え?」
「さっき夢の中で、なぜか片桐君が出てきてさ。だから、もしかしたら彼なのかもって思ったけど…」
俺はそこで一度区切って、ふっと自嘲気味に笑う。
「……そんなわけないよな。俺は彼に、振られたんだから」
「星七…」
俺の頬を触る藍沢の右手に、微かに力が込められるような感覚がした。
そして、俺からふっと一度視線を逸らす藍沢。
「ああ、運んだのは俺だ」
「……」
「ここで、ずっとお前が目覚めるのを待ってた」
次の瞬間には、藍沢の瞳がしっかりと俺に向けられていた。
「やっぱり」
口元に笑みを浮かべ言うと、頬に触れていた藍沢の手が、ベッドに付くのが分かる。
「俺じゃない方が良かった?」
「まさか」
すると、突然藍沢の顔が目と鼻の先まで近付いた。
相変わらず涼しげで、クールで、……だけど本当は、よく笑う奴。
「なんだよ」
「……」
「あはは、ダメだ。なんかこんな近くでずっと顔見てると、だんだん面白くなってき……」
そのとき、唇に藍沢の口が覆うように重なった。
「ぁ…ふ…っ」
熱のこもった手で、俺は藍沢の胸を押し返す。
藍沢の舌に、熱を帯びた舌を絡め取られる。
「あ……藍沢、うつる、から」
やっと離れた唇に、俺は既に熱を上げて赤くなっていた頬をさらに上気させながら言う。
藍沢は滴り落ちそうな涎を舌で舐めとり、上から俺を見下ろす。
藍沢が言う。
「俺を、殴ってくれよ……星七」
ベッドに横たわったままの体を、ぎゅっと抱き寄せられる。
藍沢…?
その後、藍沢は俺を抱きしめたまま、しばらく離れようとしなかった。
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