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68.彼の過去(片桐side)
俺は席についてから、ふと周囲を見渡す。
星七さんの家のリビングには、いくつかの表彰状のようなものが飾られていた。
「これ、全部星七……伊吹季さんの?」
正面に座る星七さんの母親は、ティーカップを手にしながら、ゆっくりと仄かに笑んで頷く。
「そうよ。皆勤賞から、成績優秀者表彰まで…」
「凄いですね」
そう言って振り向いたとき、目の前の彼女の表情は少し影がさしたように曇っていた。
「あの子が進んでしてることに口出しするつもりは無いわ…。でも、たまに思うのよ。本当に、自分のための人生を歩んでいるのかしらって…」
自分のための人生。
その言葉は、なぜか強く自分の胸に突き刺さった。
「5年ほど前、あの子のとても仲の良かった子がいたのよ。まるで本当の兄弟のようだった」
けれど、星七さんの母親は続ける。
「とある事故で、その子が伊吹季を庇って突然他界してしまってね…。悲しかったわ、あの子の気持ちを思うと、胸が張り裂ける思いだった」
涙を流す様子を見て、俺はそっと目線を下に伏せる。
…そうか。あの事故は星七さんだけじゃなく、他にも悲しんでいる人が大勢いるのか。
「ごめんなさい、私ったら突然。こんな話されても、困っちゃうわよね」
「いえ」
俺は静かに首を横に振る。
「俺も、小さい頃に母親を亡くしてるんで」
星七さんとは状況が違うけれど。
「まあ、そうだったの……」
星七さんのお母さんは、悲しげに眉を下げて俺を見つめている。
「ねえ、あなた名前はなんて言うの?伊吹季と同じ大学?」
「俺は…“片桐”です。大学は違います」
すると、星七さんのお母さんは、そう。と言ってにこりと優しく微笑んだ。
「あの子が友達を家に連れてくるなんて、長い間藍沢くん以外いなかったから、…何だか嬉しくてね」
穏やかに話す彼女の言葉に、俺はぴくりと眉を動かした。
「……藍沢さんって、彼と付き合い長いんですか?」
机に置かれたティーカップの柄をぐっと握る。
「あら、藍沢くんとお知り合い?」
「ええ。まあ」
「そうねえ……中学の時からだから、長いかもしれないわね。彼には、本当に数え切れないほどお世話になったわ」
へえ…。俺は心の中で呟く。
星七さんのお母さんから見て、彼の好感度は大分高いらしい。
「……例えば、そうね。昔、あの子が事故のことで気を病んで、家を飛び出して行方不明になった時も、彼が血眼になって見つけ出して、ここまで連れ戻してきてくれたのよ」
「そんなことが?」
「クス。ええ、色々あったのよ、昔は」
色々……。
悔しいけれど、それはきっと、俺では築けない2人の絆なのだろうと思った。
「でもね、」
ふいに、目の前に腰掛ける星七さんのお母さんの声が明るくなった気がして、俺は顔を上げる。
「ここ最近のあの子、少しだけ前と変わった」
「え?」
「突然テーマパークに行くって言ったり、お洒落な服を自ら買いに行ったり……。ふふ、周りからしたら至って普通のことよ。でも、あの子にとっては違うのよ」
頭に、いつかの星七さんの言葉を思い出す。
“実はこういうとこ、俺あんまり来ないんだ。だから、何があるのかよくわからなくってさ…”
あの言葉の意味を、改めて今ようやく理解したような気がした。
「私は嬉しかったのよ。何かが、…誰かが、あの子を連れ出してくれた、って」
星七さんのお母さんの話に、心臓が微かに早鐘を打つ。
自惚れた心が、浮き足立つかのように。
「あらヤダ、ごめんなさい。長話しちゃったわね」
星七さんの母親に会釈をして、俺は玄関のドアに手をかける。
「あの、片桐…さん」
かけられた声に振り向くと、星七さんのお母さんが深くお辞儀をして言った。
「これからも、どうかあの子をよろしくね。今日は本当に、ありがとう」
俺は同じようにお辞儀をした。
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