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69.矛盾(片桐side)
星七さんの家を出ると、ちょうど“彼”と居合わせた。
風を受けて微かに揺れる濃紺のコートを羽織った彼の黒髪は、急いでここまで駆けつけたことを表すかのように、少しだけ乱れている気がした。
「……待てよ」
彼の横を無言で通り過ぎると、後ろから声をかけられる。
俺は足を止めて、大人しくその場に立ち止まる。
「……何でお前が、俺たちの大学にいる。お前、アイツを振ったんだろ」
秋の風に頬を撫でられるのを感じながら、彼の声を背に受ける。
「お前の考えてることなんて、分かってるんだよ。俺じゃなくて、…アキのことを今でも引きずってるアイツのことを、お前は受け止める心の余裕がなかった、そうだろう?」
肩を掴まれ、体の向きを無理矢理変えさせられる。眼鏡の奥の瞳が、まるで一点の曇りもなく、俺を射抜いていた。
「…ええ。そうだったのかもしれません」
俺はゆっくりと、コートのポケットに突っ込んでいた片手を出した。
「俺は藍沢さんみたいに、“自分を一番に好きじゃなくてもいい”なんて、そんな考え方はできません。好きな人には、自分のことを一番に見て欲しいって思うから」
「だったら何で……もう一度アイツとやり直す気もないくせに、倒れたアイツをわざわざ運んだりなんかして」
「だめですか?」
彼の眼鏡の奥の瞳を見返すと、一瞬驚いた顔にきつく眉が寄せられる。
「…当たり前だろ。アイツのことを振り回す気か」
「そんなつもりはありません…。でももし、仮にそうだとしても、藍沢さんには関係ないですよね」
「なに?」
俺は目の前に立つ、怪訝な顔をする彼の姿をじっと捉える。
「ずっと聞きたかったんですけど、……あなたは最終的に、星七さんがどうなったら幸せなんですか?」
「……。……は」
藍沢さんは一瞬だけ、虚を突かれたような顔をする。
「俺に託すような言動をしながら、星七さんがいざ取られそうになると、引き止める。あなたの行動は、いつも矛盾してる。彼を振り回しているのは…あなたなんじゃないですか?」
わずかに眉間をひそめていた藍沢さんの眼鏡の向こう側の瞳が、微かに揺れる。
俺は軽く眉を寄せながら言う。
「…藍沢さん、彼をいつまでも過去に踏み止めているのは、あなたです。彼の幸せを想うなら、彼を自由に歩かせるべきだ」
「……」
「彼の保護者だか、彼との絆が深いのか何だか知らないけど……勘違いしないでください。彼が今後どう生きていくかを決めるのは、俺でもなければ、あなたでもない。
彼自身が、自分で決めることだ」
そう言い残すと、俺は踵を返して彼の前から立ち去った。
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