69 / 151

69.矛盾(片桐side)

星七さんの家を出ると、ちょうど“彼”と居合わせた。 風を受けて微かに揺れる濃紺のコートを羽織った彼の黒髪は、急いでここまで駆けつけたことを表すかのように、少しだけ乱れている気がした。 「……待てよ」 彼の横を無言で通り過ぎると、後ろから声をかけられる。 俺は足を止めて、大人しくその場に立ち止まる。 「……何でお前が、俺たちの大学にいる。お前、アイツを振ったんだろ」 秋の風に頬を撫でられるのを感じながら、彼の声を背に受ける。 「お前の考えてることなんて、分かってるんだよ。俺じゃなくて、…アキのことを今でも引きずってるアイツのことを、お前は受け止める心の余裕がなかった、そうだろう?」 肩を掴まれ、体の向きを無理矢理変えさせられる。眼鏡の奥の瞳が、まるで一点の曇りもなく、俺を射抜いていた。 「…ええ。そうだったのかもしれません」 俺はゆっくりと、コートのポケットに突っ込んでいた片手を出した。 「俺は藍沢さんみたいに、“自分を一番に好きじゃなくてもいい”なんて、そんな考え方はできません。好きな人には、自分のことを一番に見て欲しいって思うから」 「だったら何で……もう一度アイツとやり直す気もないくせに、倒れたアイツをわざわざ運んだりなんかして」 「だめですか?」 彼の眼鏡の奥の瞳を見返すと、一瞬驚いた顔にきつく眉が寄せられる。 「…当たり前だろ。アイツのことを振り回す気か」 「そんなつもりはありません…。でももし、仮にそうだとしても、藍沢さんには関係ないですよね」 「なに?」 俺は目の前に立つ、怪訝な顔をする彼の姿をじっと捉える。 「ずっと聞きたかったんですけど、……あなたは最終的に、星七さんがどうなったら幸せなんですか?」 「……。……は」 藍沢さんは一瞬だけ、虚を突かれたような顔をする。 「俺に託すような言動をしながら、星七さんがいざ取られそうになると、引き止める。あなたの行動は、いつも矛盾してる。彼を振り回しているのは…あなたなんじゃないですか?」 わずかに眉間をひそめていた藍沢さんの眼鏡の向こう側の瞳が、微かに揺れる。 俺は軽く眉を寄せながら言う。 「…藍沢さん、彼をいつまでも過去に踏み止めているのは、あなたです。彼の幸せを想うなら、彼を自由に歩かせるべきだ」 「……」 「彼の保護者だか、彼との絆が深いのか何だか知らないけど……勘違いしないでください。彼が今後どう生きていくかを決めるのは、俺でもなければ、あなたでもない。 彼自身が、自分で決めることだ」 そう言い残すと、俺は踵を返して彼の前から立ち去った。

ともだちにシェアしよう!