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81.無邪気な笑顔
「おい、待てって!」
目的もなく走る俺の後ろから、彼の声がかかる。
「何でわざわざそう人気のない方向に……いい加減止まれって!」
追いついた彼の手に、肩をぐっと掴まれる。
立ち止まってやっと顔を上げた場所は、住宅街の裏手にある細い道だった。
辺りには、しんとした静けさが漂う。
「ただでさえもう暗いってのに、こんなとこ来て…あんた襲われたいの?ソウさんの兄の回し者にさ」
「……」
「俺はごめんだよ。だからほら、早く帰…」
佐野さんにそう言いながら振り向かされた瞬間、隠しきれない涙が頬を伝って零れ落ちた。途端に、彼が目を大きくさせて俺を見る。
「うわっ!な、なんで泣いてんのっ」
彼になんと言えばいいのか分からず、言葉に迷っていると、目の前で佐野さんが金髪の頭をグシャグシャに掻き乱した。
「頼むからなんか話してくれよっ、俺あんたを守らないとソウさんに殺されるんだって」
艶のある金色の髪の毛が、彼の長い睫毛にかかっている。
「…片桐君のこと、そんなに慕ってるの?」
彼の挙動を見ていたら、何だか心が少し落ち着いてきた。
佐野さんは、え?と言って髪を乱す手の動きを止めた。
「当たり前じゃん。あの人を慕わないなんて、考えられないよ。頭もキレるし、喧嘩だってすげー強いし」
どこか興奮気味にそう話す彼。きらきらとした目は、まるで少年のよう。
片桐君や黒崎さんと比べて、彼にはどことなく親しみやすさのようなものを感じる。変な緊張感がないっていうか、何だか話しやすい。
「確かに、片桐君何でもできるもんね」
「そうそう!他の人にはないオーラがあるっていうか」
「分かるよ」
「あんた話分かるじゃん」
無邪気な笑顔を見せる彼を見て、つられて口許が緩む。
「佐野さんって、今学生?それとも社会人さん?」
「ああ、社会人かな、一応。あ、ちなみに学生に見えたとか言ったら殴るから」
「歳いくつ?」
「俺は今年18に……」
そのとき、背後の空気がざわついた。
アスファルトを踏む足音が響き、黒い影が視界の端に飛び込んでくる。
何かが、来る。
反射的に振り向くも、遅かった。
建物と建物のすき間から、数人の男たちが現れた。
全員が黒いパーカーのフードを目深に被り、顔の下半分を覆面で隠している。
「くそ、囲まれてる……!」
振り返った先にも、怪しい男たちの姿が映る。
「こっち来い、走れ!」
佐野さんが腕をつかみ、俺を引き寄せながら前に出る。
先ほどの無邪気な表情は一欠片も感じられない、真剣な眼差しの彼がいた。
佐野さんの腕に引かれながら、裏道を走る。
しかし、追ってくる足音がすぐ背後に迫る。
「こいつら、マジで本気だな……!」
佐野さんはそう呟いた次の瞬間、振り返りざまに一人の男の腹部を蹴り飛ばした。
男の持つ、鉄パイプのようなバールを振りかぶる隙も与えない俊敏な素早さだった。
「後ろ下がってろ!」
佐野さんは、目の前にいる彼らに向かって一直線に飛び込んでいく。
俺は言われた通り、壁際に身を寄せる。
しかし、背後から足音がした。
路地の奥から、いつの間にか覆面の男が回り込んでいた。
(どうしよう……っ!)
俺は体を動かせずに固まる。
男の手がスっと伸びるのが分かり、思わず目を閉じかけた、そのとき。
「佐野、お前あとで説教な」
低く、どこか余裕を感じさせる声が、路地に柔らかく響いた。
一瞬、風を切るような感覚。
気づけば、そばにいた男が呻き声をあげ、アスファルトに崩れ落ちていた。
ゆったりとした足取りで現れたのは、笑みをたたえた黒崎さんだった。
彼の漆黒の瞳の奥、穏やかな笑顔の裏に潜む鋭い殺気が、一瞬垣間見えた気がした。
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