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83.契約成立
住宅街の裏道。街灯が灯された下で、複数の男たちがぐったりとアスファルト上に倒れている。
ふう、と息をつき額の汗を軽く拭うような仕草をする佐野さんの頭を、黒崎さんが軽く小突いた。
「お前、“庇護対象”の傍から易々と離れるなよ。ただの喧嘩じゃないんだぞ」
佐野さんは納得のいかないような顔を黒崎さんに向け、いってーな、と言いながら、小突かれた頭をさすっている。
「それは、確かに俺が悪かったけど…。だけど正直、ここまで本気で来ると思ってなかったんだよ。それに……まさか本当に、襲ってくるなんて」
そうしてふと、2人の目が俺に向かって降り注がれるのが分かり、俺は頭の後ろを片手で触りながら、ぎこちなく笑みを浮かべた。
「あ……えっと」
お礼を言いたのに、喉がつかえて言葉が出て来ない。言葉を詰まらせる俺の元に、黒崎さんが近付く。
「突然のことで、びっくりしたよね」
「…いえ」
そう言いながらも、震える口元を彼から隠し切れているのかどうかは定かではない。
「とりあえず、今日はもう家まで送るよ。“彼”は良かったの?」
黒崎さんの漆黒の瞳を見つめていると、不思議と気持ちが穏やかになっていく気がした。
「……はい」
俺は藍沢の姿を思い浮かべ、そっと瞳を閉じた。
「それにしても、妙だな」
傍に立つ黒崎さんは、辺りに倒れ込んだ男たちを見ながら、腑に落ちない表情をしている。
「なんで?」
「何か…上手く誘導されてるような気がしないか」
「はぁ?誘導?こいつが勝手に走り出しただけだぞ」
「ああ…。でも、最初からそれを見計らっていて、彼を追って俺たちが動くことを想定していたら?」
「だから何だって言うんだよ。こいつは“庇護対象”だろ?で、こいつらにも勝った。何の問題がある?」
そこまで言って、佐野さんがハッとするようにして、笑わない黒崎さんの顔を見た。
「……まさか」
黒崎さんが俺へと視線を移す。
「“彼”に、電話をかけてみて」
俺は言われたとおり、彼に電話をかけた。
……そんなわけない。
心の中で、そう強く願いながら。
長く続くコール音に、俺は目を瞑る。
――数秒後、「もしもし」という声がして、俺は静かに目を開けた。
「……あなた、誰ですか?」
スマホの向こう側から聞こえる声は、昔からよく知っている彼の声ではなかった。
「君か。ようやく対面というわけだ」
ようやく…?
「君の大切な友人を預かっている。最も、来たくなければ来なくてもいい。だが、」
――君は彼を裏切れないはずだ。そうだな。
――…一体何が目的なんですか?こんなことして、大人げないって思わないんですか?
――ただ、君と少し話がしたいだけだ。俺はそんなに暇じゃない。
通話越しから聞こえる、低く、冷たい雰囲気を薄らと感じさせる彼の声に、俺はスマホを握る手に汗を湿らせる。
「……分かりました。行きます」
――ただ、約束してください。
――ほう、聞こう。
――俺が行ったら、藍沢を…、あなたの義理の弟を、2人をすぐ解放してください。
――…ふ、良いだろう。契約成立だ。
彼との電話を終える。
もう、体は震えていなかった。
「まさか行く気かい?」
振り返ると、黒崎さんと佐野さんが心配げな表情をしてこちらを見ていた。
「はい。俺に何か、用があるみたいだし」
それにこれ以上、彼らを俺のせいで振り回したくない…。
「泣くことになるって分かってても、行くの?」
ふと、近くに立つ黒崎さんが、真剣な顔で俺を見つめて聞いてきた。
気のせいか、彼の表情が一瞬切なげに見えた。
俺は彼に向かって、ゆっくりと迷いなく、頭を縦に動かした。
「だとしても……行きます。俺」
黒崎さんの読めない瞳が俺を見て、そして静かに――逸らされた気がした。
「……分かった。なら、彼のいる場所まで、俺が道案内しよう」
黒崎さんとともに、俺は彼らのいる場所へと向かった。
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