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94.大切なもの(片桐side)
星七さんからLINEが届いたことに気づき、俺は彼の家まで赴いていた。
彼の家の門外には、腕を組み、俺に向かって鋭い視線を送ってくる藍沢さんの姿があった。
「今までどこで何やってた?」
彼は俺に近寄り、俺の胸ぐらを掴む。
「お前………っ」
至近距離で、俺の顔を眉間に皺を寄せながら激しく睨むと、藍沢さんは俺から手を離した。
「……ああ、そうだな。お前をもうあいつに会わせたくないが、会うといい。…会って、自分の目で確かめるといい」
そう吐き捨てるように言うと、藍沢さんは夜道を歩いて立ち去っていった。
俺は、星七さんの家の前で彼に電話をかけた。
2コールほどで、すぐ通話状態に切り替わった。
「もしもし、片桐君?」
「…はい」
「えっと、LINEでも伝えたとおり、俺もう彼から解放されてるからね」
だから、心配しないで。
笑ってそう話す彼の顔が、容易に想像できた。
「今…家の前にいて」
俺はスマホを耳に当てながら、彼の家の2階の部屋へと目を向ける。
「えっ、そうなの!?」
明かりが灯った窓が開き、同じくスマホを耳にした星七さんが、目を丸くして俺を見下ろしている。
すぐ出るね! 彼のそんな声を聞きながら、俺はゆっくりとスマホを下へおろす。
まもなくしてすぐ、玄関ドアが開けられ、ラフな格好をした彼が姿を現す。
「片桐君」
にこ、と笑顔を浮かべる彼だったが、俺を前に、彼は何と声をかけるべきか迷っているようだった。
「星七さん……俺」
顔を下へ伏せていると、ふと片頬に彼の手が触れる感触に気づいた。
「……片桐君は、ハリボテなんかじゃないよ」
そう言いながら話す、彼の首元には、赤い痣があることに気付く。
「だって俺、片桐君の言葉にたくさん救われたよ」
俺は彼の話を聞きながら、顔を上げられない。俺は彼の両肩を少し震える手で掴み、ただ唇を噛んだ。
胸の奥で、無力なあの頃の自分が、俺の姿を息を潜めて見守っているのを感じる。
何やってんだよ……
幼いあの頃の自分が、責めるような顔で俺を見つめる。
彼に慰められて、情けない。また、俺は守れなかったんだ。あの頃と同じように。
ああ……そうだ、そうだよ。
俺は守れない、いつも、いつだって。
今も、昔も。
「…ごめん……」
俺は彼を抱き寄せる。
あの頃と変わらない無力な自分の手は、情けなく震えていた。
「守れなくて……俺……」
“壮太郎…ごめんね。”
「ごめん……」
彼の体を抱き締めながら、俺は目を閉じる。
過去に、守れないままこの世を去った母親の姿が蘇り、彼の姿と重なる。強い悲しみと後悔が、さざ波のように押し寄せてくる。
過去の幼き自分が、がんじがらめになって動けないまま、俺に向かって叫ぶ。
……何やってんだよ、いいのか?このままで。
これじゃあの時と同じだ、…ふざけんな!
もうあんな思いをするのはいやだ。
もう二度と、俺は大切だったものを、失いたくない……。
両目から涙を流しながら、無力な彼が、俺を見つめてくる。
“助けて”と――まるでそう訴えかけてくるかのように。
暗い闇の向こうで、囁くような声が聞こえる。
“…やっと、見つけたんじゃないんですか。心から夢中になれるものを。大切だと思える存在を”
強い哀しみを超えた感情が、胸に灯り、熱く、焦げ付くように、徐々に燃え広がる。
強い後悔を超えた激しい感情が、全身を駆け巡る。
じっと動けずにいた過去の残像が、ゆらりと立ち上がる俺の姿を見て、驚きと戸惑いをたたえ、瞳を開く。
俺は幼き彼を睨視(げいし)し、まもなくして、跡形もなく散り散りになって消えていく様子を胸の奥で感じ取る。
そして、ゆっくりと……”目を開ける”。
まだある確かな温もりを、――この手に感じながら。
幾度となく守れなかった哀しみは、後悔は、強い憤りと憎しみになって、形を変貌させていく。
そして俺を立ち上がらせる。その強い感情が、俺を奮い立たせる。
……やってやる。全部まとめて、片付けてやる。
大切なものを、もう二度と、“…失わないために”。
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