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95.亀裂(片桐side)
後日、邸宅の門を抜け入ると、すぐ目の前にいた黒服の男の胸ぐらを掴んだ。
「あの人は今どこにいる」
「、玲司様でしたら、社内の方々と現在、幹部会議中かと…」
「住所は」
「一体何をするおつもりなんです」
「つべこべ言うな、早く言え。殴られたいのか」
「……分かりました。住所は――」
***
朝の光を受けた、ガラス張りの高層ビルを見上げる。
俺は黒塗りのバイクを停めると、肩で風を切るようにビルのエントランスへ歩み寄った。
まもなくして辿り着いた会議室の扉を、俺はためらいなく開ける。
扉を開けた先では、堅苦しい空気の中、スーツに身を包んだ数名の男たちが長テーブルを囲んでいた。幹部たちの視線が、一斉に俺へと向けられる。
奥の席に着いたままの彼が、ただ一人、微動だにせずこちらを見ていた。
「――すまない。会議はここまでのようだ」
彼が言い放つと、男たちは互いに顔を見合わせて、無言で席を立ち、部屋を後にしていった。
やがて、2人きりになった部屋で、席を立ち上がる彼――義兄に俺は目を向ける。
「よくその身なりで会社に入れたものだな。周囲の好奇の視線を感じなかったのか」
俺は冷笑する義兄の傍まで歩み寄り、右手の拳を大きく振りかざした。
直後、鈍い衝撃音が鳴り、弾かれたように彼のかけていた眼鏡が床へと落ちる。
彼の口の端が切れ、赤く滲んでいく。
義兄はゆっくりと俺の方へ向き直ると、俺の胸ぐらを掴んだ。
「俺を殴ったな……お前!」
「――ああ殴った!だったらなんだよ、俺のものに手出しといて、この程度のかすり傷でこのまま済むと思うな……!」
同じように義兄の胸ぐらを掴んで、言い放つ。
彼は憎悪をそのまま目に乗せ、じっと俺を射抜くように睨みつけていた。
「…今まで何をされてもあんたに手を出さなかったのは、それでもあんたを家族だと思ってたからだ。義理だったけど、どうしても情があった。だからいつも抗えなかった、だからあんたに譲ってきた。…だけど確かに俺は言ったはずだ。彼に手出しをするなって」
「……」
「――お陰で、あんたに対する情も一切無くなった。会社を継ごうとも思ってなかった。でも、あんたのお陰で興味が湧いた。その権力ってやつに」
義兄の喉元を掴む指先に、じわじわと熱がこもる。
胸の奥底から、黒い泥のような憎悪が沸き上がる。
かつて何度も押し殺してきた感情――今はもう、抑える理由がどこにもなかった。
「……あのとき、刺客を使って俺を殺し損ねたのがあんたの唯一のミスだった。
生憎、俺は彼に命を拾われた」
そして、もう少し生きようと思った。
このまま終わりたくない、――いや、終わらせるわけにはいかないと。
「ふ、大袈裟な」
義兄は落ちた眼鏡を手にしながら、乾いた笑みを漏らしている。
「…ああ、そうやって笑ってればいい。自分の冒したミスで、寝首をかかれる日が来るのを待ってればいい」
「言わせておけば…。随分軽く見られたもんだ。ずっと家を空けてたくせに今更家に戻って権力行使するつもりか。相変わらず我儘放題でお前には反吐が出る」
「あの家でじっと身を固めて必死に箱庭を守ろうとしてるあんたみたいな生き方するよりずっとマシだ」
「なんだと?…もう一度言ってみろ!」
「ああ、何度でも言ってやる!あんたは昔俺に言ったな、使える子どもが欲しいだけだって。でもそれは俺だけじゃなくあんただって同じはずだ。なのに首を横に振ることもなく彼らに愛想振りまいて、…俺からすればあんたの方がよっぽど滑稽で憐れだ!」
義兄が拳を強く握るのを見る。
俺は睨む彼の目を逸らすことなく睨み返し続けた。
再び拳を握り締めた瞬間、ガチャリ、ドアが開く音がした。
「――そこまでだ」
聞き覚えのある声に振り返る。
現れたのは、深いネイビーのジャケットを羽織った痩身の人物。
髪にはわずかに白いものが混じり、穏やかな雰囲気の中に、確かな厳格さが漂う。
「父さん」
驚きながら義兄がそう言い、俺から手を離す。
「いつ日本に?」
「今朝方な…。お前たちのことは、“彼”からすべて聞いている」
育て親である父は、軽く息をつくようにしてそう言うと、視線をすっと俺に向けた。
「壮太郎、少しいいか。私と来なさい」
部屋を出る彼の後に、黙って続いた。
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